第二百九十五話 とある紳士のお話
「アントニウス様、ブレイスマ様が、到着されました」
神聖歴1205年九月の夜半。
私の屋敷に、友人がやってきた。
何のことはない。
今夜も愚痴に付き合って貰う為だ。
「おう、アントニウス。今日はまた一段と、辛気くさい顔をしているな?」
「お前と違って、苦労をしているからな」
「おう。それよ」
遠慮会釈もなく、ブレイスマはドカリとイスに腰掛ける。
事前に用意しておいたワインを勝手に手に取り、乾杯もせずに、がぶがぶと飲んでいく。
「俺がクソ忙しい最中に、お前の辛気くさい顔を見に来たのは、その苦労話を聞くためさ。あらかたの情報が出たんだろう、『セロ大災厄』に対して。こちとら密談とは無縁の武官なんでね。是非にも情報は欲しい」
わざとらしい演技で、私のグラスにワインをついでいく友人。
私はそれを受け取り、舌の上で転がして、大きく息を吐いた。
「あの件は、中々難しい。未だに情報が錯綜している」
「ああ。聞いてるぜ? 今回も、『あの』星読みの親子が絡んでいるらしいって。まず、そこがどうなんだ?」
ブレイスマは、他人事だと思って笑っている。
この男は知っているのだ。
『あの親子』と直に会って遣り取りするのは大変だが、傍観者でいる限りは、最上の娯楽になることを。
「うむ。セロの夜空に、幻精歴の七輝が現れ、更には奇怪な怪人が天空より光を放ち、地上の魔物共を一掃したと云うのだからな。こんな途方もない奇跡を起こせる者がいるならば、まずあの親子を疑って掛からねばならない。不本意な話ではあるがな」
「ははははは。不本意ね。ま。ハタから見ればあの母娘、ただのアホだからな。そりゃあ奇跡の体現者とは、認めたくあるまい。……んで、聞き取りはしたのだろう?」
「した。複数回な」
「結果は?」
ブレイスマの笑顔が、人の悪いものに変わって行く。
「……ロッコルの実だ」
「は?」
「『ロッコルの実の果汁は美味しい』。何をどう聞いても、結論がそこへ行く……。質問者たちが揃って頭を抱えていたぞ」
「あっはっはっはっは……! うちの部署でも、確かにあの実は食うがね! しかし意味不明すぎだろう! どうして星空のことを訊いて、そんな話になるんだよ?」
「私が知るか! あの幼子とは、何をどうやっても意思の疎通が出来ん……! 本当に同じ言語で会話をしているのかもおぼつかぬ!」
「母親の方は?」
「もっと話にならん! タルビッキ・アホカイネンはセロでは早々に避難し、奇跡には一切係わっておらぬし、本人も何があったのかは分からぬはずだ。が、『奇跡が起きたのならば、それは私の娘以外にありませんね!』と得意げに語るばかりだ。閉口したのは、パン屋の閉店間際のセール品が買えたのも、娘の手柄だと真顔で主張していたことだ。空の青さも、星の明るさも、全てが全て、娘のおかげと云わんばかりだったぞ」
「じゃあ、収穫は無しか」
「そうでもない」
断片的ではあるが、どうにも天空へ祈りを捧げたのは、件の少女――最近は『奇跡の御子』と呼ばれているらしいが――の、ミルティア・アホカイネンであると云う。
万が一、あの少女が本当に奇跡の担い手であるならば、此度にセロで『王都の再現』を成したとしても、不思議はないのだ。
「だが、結局は王都の『月の奇跡』と同じで、確証がないんだろう?」
「そうだ。あの少女が本当に『奇跡の御子』なのかと云うこと自体の判断も、意見が割れている」
前回も今回も、あの幼女は「自分の手柄だ」とは決して云わない。
タルビッキ・アホカイネンは執拗に娘の手柄だと主張してくるが、彼女の意見は完全に無視しても良いだろう。
あれ程までに、予断と偏見と思い込みだけで結論を語る人間も珍しい。
「情報が出ていないと云えば、セロの天空に現れた、あの怪人もそうだ。アレが神の使いなのか、神そのものなのか、或いは別の何者なのか、まるで分からぬ」
「おう。俺も姿絵を見て笑ったぞ。何だありゃ?」
「その怪人は、『メジェド様』――と云うらしい」
「メジェド様ァ……? どうして名前まで判明してるんだ?」
「うむ。調査によって、セロの天空に現れる前から、複数の目撃情報が上がっている。そのうちのひとつが、冒険者ギルドだ。何でもバウマン子爵家の令息を拐かそうとした連中を一瞬で打倒し、逆に捕縛してのけたのが、件の怪人であると云う」
「聞いてないぞ? そんな情報」
「一応、極秘だからな。何せ、その誘拐犯たちの大半が、ギルド内部の牢屋の中で毒殺されている。セロ大災厄との関係も不明だが、おいそれとは公に出来ん」
「おいおいおいおい。それは何とも、きな臭い話だな? 額面通りに受け取れば、ギルドの内部に毒殺犯か、それを手引きした奴がいることになる。――アントニウス。お前、今、大半がと云ったよな? 生き残りがいるなら、そいつからは情報を引き出せなかったのか?」
「それが中々、難しい。何せその男は、捕縛されたときから、精神に異常をきたしていたと思われる。態度も言動も、意味不明であったそうだ」
「ふぅん?」
「そして、その男は、熱心な『メジェド様の信徒』を名乗っている。それも、セロの上空に現れる前からな。男を放り込んだ牢屋の壁面には、あの怪人の絵が無数に描かれていたようだ。その男が生き残ったのも、毒入りの食事を摂るよりも先に、『偉大なる神』に祈りを捧げることを優先していたからだそうだ。件の男は、それでますます、『メジェド』なる怪人に傾倒したそうだ。セロの奇跡を聞いた折りには、興奮のあまり失禁したとも」
「と云うことは、以前から土着の神として信仰されていた可能性もあるのか……?」
「うむ。それが、別の目撃証言だ。セロの託児所に、粘土細工で作られた精巧な『メジェド像』が飾られていることが目撃されている。託児所の子供たちに大人気で、調査団が手に取ろうとした際には、それを阻もうとする幼子と、もみ合いにすらなったと云う。……ひとつ云えることは、間違いなくセロでは、今後あの怪人――『メジェド神』が、信仰されて行くと云うことだ。『教会』との間に、軋轢が起きなければいいのだがな」
「アントニウス。教会が絡むなら、調査は重要になるぞ?」
ブレイスマの指摘は尤もだ。
大災厄と教会は無関係だろうが、それ故に厄介事を増やす訳には行かない。
友人は腕を組みながら、唸るように云う。
「マイナーな神話や、神代の知識に通じていると云えば、ベネディクテュス先生だがなァ……」
「王国の誇る碩学の老翁か。確かに、かの御仁は魔導考古学にも魔道具にも、錬金生物学にも通じているが、それ故に接触は難しい。『あの家』は、『奥院』の縄張りだからな」
他に『知られぬ神』に詳しい者と云えば、若き俊秀・知る人ぞ知る在野の学士、フローチェ・シェインデル女史がいるが、彼女との間にコネがない。
会うことが出来るだろうか?
「アントニウス。セロの復興の方は?」
「人を集めることは出来るだろうが、問題は資金だな。それに関しても、少々マズいことがあった……」
「ほう……?」
セロそのものに過失のない災厄だ。
復興資金は当然、国庫からも出さねばならない。
計算によると、必要な資金は、ざっと四十億ほど。
国は十億の援助を決め、その使者を出発させた。
――その瞬間に、早馬が届いたのだ。
曰く、フェーンストラ大公家が、五十億の復興資金を供出することを決めたと。
「五十かよ。大公領は景気が良いと聞くが、そんなに儲かってるのか、あの領地。右から左へ、ポンと出せるような金額じゃないぜ?」
「ブレイスマ。事は大公領の財政の話だけではないぞ?」
「分かってるさ。王家の威信の話だろう? いくら何でも、十ってのはショボすぎる。特にセロは、反・フレースヴェルクの多い土地だ。それを加味して、資金を出さなくてはいけねぇ。そして形式的には臣下である大公以下の金しか出さないと云うのは、面目が丸つぶれになるな。それにまた、陰口が広まるだろう。『偽王家は、正統の血筋を誇る大公家に徳で及ばず』と」
流石は我が友だ。
物事の急所が分かっている。
「この問題の根が深いのは、タイミングでな。先程も云ったように、セロへ使者が進発した直後なのだ。早馬が届いたのは」
「ほーん。つまり、意図的だと?」
「確証はない。だが、これを誰かが考えたのだとしたら、完全に後手に回ったことになる」
「誰かって、大公じゃないのか?」
「たぶんそうだが、他の可能性として、セロのアッセル伯からの発案だとしても、私は驚かない。彼は出来る男だ。話の真偽がどうであれ、大公家との結びつきを強くさせるわけにはいかない」
「具体的には、どう手を打ったんだ?」
「十億は、急場しのぎのために、先渡しするものだと云う形になった。後日改めて、大公家を上回る資金を出すしかなかろうよ」
私の言葉に、ブレイスマはガシガシと頭を掻いた。
「俺が大公――いやさ、その発案者なら、王家が緊急で出す金の出所に揺さぶりをかけるがね。初っぱなが十ってことは、単なる『節約』ってだけじゃなく、国としても、あまり使いたくないって事だろうからな。追加で金袋を積むとして、どこに頼むんだ? 商家か? 貴族か?」
「主立った商家――特にセロに支部を持つ大店は、既に自発的に支援を始めている。そんな所に、更なる供出を命じるわけにもいくまいよ」
「となると、貴族だな?」
「バウスコール公爵家は出すだろう。他に富者と云えば第二王子の母君の生家であるケーレマンス伯爵家だが、あそこは吝い。後は、ベイレフェルト侯爵家」
「おいおいおいおい。カスペル老か。あの爺さんに借りを作るってのは、大公家に権限を与えること並みに危険だと思うがね。内部から食い荒らされるぞ? 前門の虎、後門の狼とはよく云ったものだよなぁ?」
「『金の借りならマシ』と思うより他にない。もしもベイレフェルト家が王家の外戚となっていたら、より苦労をしていただろうよ」
「あー……。確か、先代の頃のゴタゴタで、侯爵が幼い頃に、身内がだいぶ減ったと聞いているな。そして、肝心のカスペル老自身も、長いこと子供に恵まれなかったと。結局、やっと生まれた娘ひとりに、入り婿を取るしかなかったと聞いているが」
「そうだ。あの家の弱点は、門閥を形成するための『コマ』が不足しているという一点に尽きる。先頃生まれた男児は跡継ぎにするだろうが、嫁に出せるのが、現状、幼い孫娘ひとりではな……」
「あのトゲトゲしい侯爵の娘か……。俺ァ、あの女性は、苦手なんだよなァ……」
「だが、子を複数産めているならば、名族の母としては合格だろう。カスペル老に『手駒』が増える未来など、あまり想像したくはないがね」
「あの爺さん、案外、どこぞから養子を取るかもしれないな」
「取るとしたら、猶子だろう」
猶子と云うのは養子の一種だが、この場合は『財産相続権のない義理の子供』を指す。
門閥形成のための具にするのだから、相続権は与えないだろう。
その必要が無い。
「猶子ね……。それでも天下の五候のひとつだ。飛び付く家も出るだろうな」
「或いは、王家との繋がりにも利用出来るか」
「おいおいおいおいアントニウス。それは流石に、難しかろうよ。ま、余程の『付加価値』でもあれば別だろうがね」
「容色に恵まれているとかの、な……」
私はそう云ったが、もっと効果的な価値が思い浮かんでいる。
しかし、それは口にしない。
ブレイスマが、気を悪くするからだ。
(魔力――)
そう。
もしもカスペル老が猶子を取るとしたら、それは間違いなく、優れた魔術の素養持ちを選択するはずだ。
王太子殿下と第四王女殿下は充分以上の魔力を有するが、第二、第三王子殿下のそれは、あまり強い方ではない。
第三王女殿下に至っては、魔力がないとまで云われている。
王家としても、強力な魔力持ちの血は、取り込みたいはずだ。
ブレイスマは、大きく息を吐いて、わざとらしく肩を竦めた。
「いやはや。どこもかしこも、大変なことばかりだな。アントニウスよ。何か、愉快になれるような話題はないのかよ」
「それなら、私がエルフの商会より買い求めた秘蔵の品を見せてやろうか? 聞いて驚け。なんと、ビンの中に帆船がまるまる入っているという芸術品なのだ」
「おいおい、なんだよそれ! 気になるじゃないか!」
ブレイスマは、勢いよく立ち上がった。
なんだか、今晩の話題で一番食いついてきたのかもしれない。
「ふふふふ。エルフの商会は、最近、気鋭の発明家を囲ったみたいでな? 次々と便利な新商品を売り出しているのだが、これはその発明家が趣味で作った唯一品なのだ。貴様が欲しがっても、手に入らんぞ?」
「いや、お前から貰うから」
「やらんわ! あれは我が家の至宝とするのだ!」
暗い雰囲気で始まった友との会話は、こうして与太話へと流れていった。
願わくば、この国を覆う暗雲も、明るい空へと変わって欲しいものだと私は思った。
 




