第二百九十二話 設置
「ほらよ、これで完成だ」
神聖歴1205年の八月。
西の離れの二階に、簡易キッチンが設置された。
大改装をするわけでもなく、排水溝に作業台をくっつけただけのシンプルなものだが、我が家にとっては、大きな前進だ。
何で二階部分に排水溝があるのかと云うと、お貴族様の離れらしく、かつてはここにも風呂があったからなんだそうだ。
だが、浴室は一階部分にもあるので次第に使われなくなり、湯船の老朽化に伴い、撤去されたのだとか。
今回は、それを再利用させて貰う。
設置者は毎度おなじみのドワーフ、ガド先生。
組み立て式の作業台をバラして持ち込んで、しっかりとしたものに仕上げてくれた。
まさに匠の技である。
組み上がった台所には、商会からの払い下げ魔導コンロを三機設置してあり、蛇口をひねれば、水が流れ出す便利な仕様だ。
コンロも水道も、動力源はエイベルが持ってきてくれた魔石。
これを電池やカードリッジを交換する要領で使っている。
キッチンの傍には、念のために水瓶も置いてある。
これは料理に使うのではなく、防火対策だね。
ダクトは薄い鉄板を加工して作成。
壁に穴は開けず、窓にハメ込んで外部に煙や蒸気を出す仕組み。
やっとこ自分で調理が出来るようになった母さんと、作業内容はよく分からないが、とにかくワクワクしている妹様が、同じ表情で目をキラキラと輝かせている。
何せ、完成までの間は、ミアか商会かガドが持ってきてくれた出来合い品を食べるだけだったからね。
母さんはそれをとても感謝していたが、一方で居心地悪そうでもあった。
これで少しは、気分が上向きになってくれるだろうか?
「冷蔵庫と冷凍庫は、そっちだな。断熱効果の高い箱に氷の魔石を入れただけだが、すげえもんを使っているよなぁ?」
相変わらず、エイベルの持ってくる魔石は、高級品のようだ。
「……ん。氷の魔石は、氷雪の園のレァーダがくれたもの。彼女もアルたちに恩返しが出来ると喜んでいた」
うわぉ。
雪と氷の本場じゃないか。
園の皆は元気かな?
エニネーヴェの身体の調子は、どうなんだろうか?
「エイベル、エアバイクで行ってきたの?」
「……ん。カッ飛ばした」
無表情のまま、エイベル先生がサムズアップ。
やっぱモータースポーツ好きだろ、この先生。
「食材の方は、店頭に並べられない『訳あり品』ばかりですが、鮮度や味に問題はありません」
商会から安く物資を持ってきてくれたのは、ハイエルフのヤンティーネだ。
購入費用は、俺の発明品からさっ引いて貰っている。
「こっちが、頼まれてた土鍋だぜ。米を炊く為だけの特化品を、俺のダチに作って貰った」
「うっひょう! お米だ! 米、米! アオーン!」
思わず小躍りしてしまう。
「アルちゃん、お米好きだものねぇ?」
「うん! 大好きッ!」
「にーた! ふぃーは!? ふぃーのことは!?」
「もちろん、大好きーっ!」
「きゅきゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!」
マイシスターと、ガッシリ抱きしめ合う。
離れの食事って、パンばかりだったんだよね。
心は今でも日本人のままなので、お米が恋しくて仕方がないのよ。
その他の食器や調理器具も、商会お抱えの見習い鍛冶士の試作品で、店には出せないが問題なく使用可能な水準のものを見繕って、格安で譲って貰えた。
つまり、アレだ。
俺は『食えない』と云う状況の克服を、知己の皆様に縋ったわけだ。
結果はごらんの通り、効果覿面。
コネ万歳!
人脈に頼って悪いかぁ?
まあ主に、エイベルの人脈だけれども。
「皆さん、本当にありがとうございます。感謝の言葉もございません」
母さんが腰を折るので、俺もそれに倣う。
すると、フィーもマネをして、ぺこりん。
「何、気にすんなよ。ガキに飯を食わせねぇとか、性根から腐ってなきゃあ出来ん所業だ。本当なら、お貴族様のお屋敷くらい、俺がハンマーひとつで解体してやるんだがなぁ?」
「我々エルフ族も、子供は大切にします。この度の仕打ちは、とても許せるものではありませんでしたからね」
ううむ。
ふたりとも、単純な付き合いだけじゃなく、義憤に駆られてのことであるようだ。
母さんは涙をぬぐい、それから俺たち兄妹を抱きしめた。
「アルちゃん、フィーちゃん! 今日からは、お母さんが美味しいものを、いっぱい作ってあげるからね?」
「やったあああ! ふぃー、美味しいの好き! にーたが好き!」
はしゃぐ妹様。
そしてマイマザーは、何かを思い出したかのように、俺に向き直る。
「あ、でも。アルちゃんは、ちゃんとすっぱいものも食べなきゃダメよ? 好き嫌いは、良くないんだから!」
「えぇー……!」
すっぱいのは、出さなくて良いよぉ……。
「にーた、すっぱいの美味しい! 食べれば分かる!」
食べても分からんから、苦手なのだが。
「何だ何だ、いつも何でも出来ちまう坊主にも、苦手なものはあったのか!」
ガドたちが、ドッと笑った。
ともあれ、これで我が家に、自由になるキッチンが手に入ったのだった。
※※※
と云う訳で、マイマザーが調理を出来る環境が整った。
お手伝いと云う名目で、俺も率先して参加する。
だって、料理が出来る設定を、さっさと手に入れたいからね。
自分で料理が出来るようになれば、レシピの売り込みも出来る訳で。
「はい、はーい! ふぃーも! ふぃーも、にぃさまのお手伝いをしまーす!」
そこは母さんを手伝うと云ってあげようぜ?
お手伝いのお手伝いになっちゃうじゃないか。
でも、自分から手伝いを申し出てくれるのは、偉いと思った。
うちの子、凄く良い子なんですよ。
「フィー。ありがとな?」
「ふへ……っ! ふへへへ……っ! ふぃー、にーたに、褒められた!」
感謝の言葉を述べるだけで、マイエンジェルはデレデレだ。
「あら、フィーちゃんも手伝ってくれるのね? じゃあ、お野菜を洗うのと――」
「はい、はーい! ふぃー、皮むき出来る!」
「そうね。じゃあ、ピーラーをお願いね? アルちゃんの発明品のおかげで、フィーちゃんにもお手伝いさせてあげられるわー。あ、でもちゃんと、フィーちゃんを見ててあげてね?」
もちのろんよ。
妹様が怪我でもしたら、俺は生きていけないからね。
本日つくるのは、キノコたっぷりの野菜炒めと、イモと豆のスープ。それから、安い肉を薄いステーキにする。
「ふへへ……! ふぃー、キノコ好き! お肉好き!」
副菜も汁物もあって、主菜が薄いとは云え、お肉だ。
お米も食べられるし、なんだかんだで充分恵まれているよなァ……。
一汁一菜や、食うや食わずの家だってあるだろうから。
でも、妹様には健康でいて貰いたいから、幼いうちから、しっかりと食べて欲しい。
俺と違って好き嫌いが無いから、丈夫に育つことだろう。
……最近、前よりも重くなってるし。
(おっとっと……。マイシスターのことばかり考えていたら、豆を煮ている鍋が沸騰してきたぞ?)
ビックリ水を投入、と。
これでよし。
「アルちゃん」
「ん? なぁに、母さん?」
「やっぱりアルちゃんって、ちょっと変わっているわよねぇ?」
「え? どこがさ?」
「だって、差し水を普通に知ってるんだもん。セロで私のお母さんも云っていたけど、なんだか凄くお料理に慣れている感じがするわ……?」
ゲッ、しまった。
ついつい癖で……。
「い、いやだなァ……。水を差すのは、ドロテアさんが散々やってたじゃないか」
「ん~~……。それは、そうだけどもぉ……」
「大体さ、俺と母さんは、産まれた時からずっと一緒でしょ? 料理と無縁だったのは、誰よりも母さんがよく分かっているじゃないか」
「む~~……。それもそうねぇ。私のアルちゃんは、天才だもんね?」
ふー……。
俺の過大評価が、こんな所で役に立とうとは。
「アルちゃんは、お料理にも才能があるのね。母親として、鼻が高いわ。あのロッコルの実のドリンクも、商会に売るんでしょう?」
スポーツドリンクは、ティーネが特に気に入ったみたいで、警備部で飲むと云っていた。
他、暑い鍛冶場で鎚を振るうドワーフにも向くかなと思ったけど、
「あ? 汗をかいたら、酒だろうが?」
とか素で返されたから、そっちには勧めてはいない。
一応、夏場でも外で遊ぶ妹様の為に、糖分を抑えたスポーツドリンクを作って、冷蔵庫に入れてある。
どんなときでも、マイエンジェルの健康管理が第一よ。
「出来たーーーーっ!」
そして、料理の完成。
両手を使い、家族三人でハイタッチ。
「お母さんが並べておくから、アルちゃんはエイベルを呼んで来て?」
「あいよー」
「ふぃーも! にーたが行くなら、ふぃーもついていく!」
両腕を広げ、暗にだっこをせがむ妹様。
そのタイミングでやって来る、イントルーダー。
「むむむ……! 良い匂いがしますねー? これは出来たてのお食事と、美幼年特有の香りですねー? 羨ましいですねー? 私も、お相伴にあずかりたいですねー?」
メイドさん、アナタ今、勤務中ですよね?
こうして、家族での騒がしい食事を楽しんだ。
色々なことがあるけれど、それでも俺は、幸せなのだと思う。
「にーた、大好き!」
(最終回じゃ)ないです。




