第二百九十一話 トゲっちの出迎え
長い旅を終えて、王都の我が家へと戻って来た。
旅というのは不思議なもので、存分に楽しんでいても、自宅に戻ってくれば力が抜けるものだ。
ましてやセロでは大事件もあった。
皆、緊張していたことだろう。
「……私はリュティエルに、セロでのことを話してくる」
王都に着いたエイベルとは、そういう理由で別れた。
たぶん、倉庫エリアの『門』から妹に会いに行くのだろう。
馬車の格納と同行したアホカイネン、シェインデルの両家は、フェネルさんやレネーさんが送っていった。
西の離れまでの同行者はヤンティーネのみだったが、彼女とも屋敷の前で別れる。
つまり離れに着いたときは、我がクレーンプット家の親子三人だった訳だ。
「ふ~……。やっぱり、うちに戻ってくると落ち着くわねー」
セロが実家のマイマザーが、そんなことを云う。
「ふぃー、楽しかった! ふぃー、おでかけ好き!」
「そうか。お前は大物だな……」
サラサラの銀髪を撫でると、フィーは嬉しそうに眼を細めた。
「ふへへ……! よく分からないけど、ふぃー、にーたに褒められた! ふぃー、嬉しい!」
馬車の中でもはしゃぎっぱなしだったから、お腹も空いているだろうし、すぐに寝てしまうのだろうな。
妹様と手を繋いだまま、中へと入る。
ミアが出てくるかなと思ったが彼女はおらず、意外な人物がそこにいた。
「あら。品性と身分が下劣な女が、ノコノコと我が屋敷へ舞い戻ってきたようね」
ステファヌス唯一の正夫人、アウフスタがそこにいる。
傍には取り巻きのパンスト女と、水曜担当のいい加減男、フス・ボックの姿も見える。
(戻って早々に、イヤな顔を見たなァ……)
なんだか、ケチが付いた気分だ。
「アウフスタ様が、どうしてこちらへ?」
母さんが問うと、トゲっちは不愉快そうな、それでいてこちらを小馬鹿にしたような、複雑な笑みを浮かべた。
「ここは私の家の領地ですよ? まるで自分の家のような云い方はしないで貰えるかしら? 非情に不愉快だわ」
「全く、図々しい女ですね」
パンスト女が、即座に合いの手を入れる。
前世でもいたなァ、この手の腰巾着。
「まあ貴女みたいな、ものの道理を弁えない愚鈍な女には理解出来ないでしょうし、懇切丁寧に説明してあげる義理もなければ時間もないから、単刀直入に云います。――貴女の願いを叶えてあげることにしたの。私は、それを伝えに来たのです」
「私の願い、ですか?」
母さんは首を傾げる。
何のことか分からない、と云った様子だ。
その母さんを見てトゲっちは、「本当に愚かな女ね」と呟いてから、フスを見やった。
「この使用人から聞きました。貴女、自分で料理をしたいと云ったのでしょう?」
フスは、ニヤニヤと笑っている。
母さんはそこで、以前にそんな発言をしたことを思い出したらしい。
「リュシカ・クレーンプット。貴女の願いは、確かに聞き届けました。これからは、貴方たち家族三人は、自分たちで食べて行きなさい」
「えっと、それは、お料理をさせて貰えると云うことですか?」
「するもしないも、貴女の自由です。ですが、これは貴女が自分で望んだこと。今日からはもう、ヘンクの料理を口にすることを禁じます」
それは、明らかな嫌がらせだった。
これまでヘンクのオッサンが作ってくれていた食事を、もう食べさせないと云っているのだから。
母さんもアウフスタの意地悪を理解したのだろう。
ムッとした顔で、云い返す。
「この子たちは、私の大切な子供です。なら、母親の私が、きちんと食べさせていきます」
「そう。立派な覚悟ね。そして、当然のことだわ。変にゴネられなくて、私も安心しました。では、そのようにね?」
トゲっちは、歪んだ笑みを浮かべた。
パンスト女とフスも、イヤらしい笑いを浮かべている。
「アルちゃん、フィーちゃん。お母さんが、美味しいお料理、作ってあげるからね?」
母さんは俺たちを安心させるように、精一杯の笑顔を作って、子供たちに振り向けた。
それから二階ではなく、厨房へと向かおうとする。
しかしそれを、パンスト女とフスが遮った。
「おぉっとォ!」
両手を広げて、母さんの進路を妨害するフス。
「と、通して貰えますか?」
母さんの言葉に、ふたりは笑う。
「通して貰えますかじゃねーよ、お妾さんよォ」
「貴女、何か思い違いをしているんじゃないの?」
「思い違いも何も、私は厨房に向かおうとしているだけで――」
「それが思い違いって云ってんのよ!」
パンスト女が、母さんの肩を押した。
俺は慌てて、母さんを支える。
アウフスタ夫人は、わざとらしく、大きなため息をついて笑った。
「貴女はバカですか? いいえ、バカでしたね。ここの厨房は、我がベイレフェルト家のものであって、貴女の所有物ではありません。そこに勝手に入り込もうとし、あまつさえ、食料品に手を出そうなどと……」
その言葉が意味するところは明らかだった。
この連中は、俺たちに一切の飯を与えないつもりなのだと。
「ひとつ云っておきます。厨房への立ち入りは禁止です。もしも破れば、犯罪者として捕まえますからね」
「そんな……。じゃあ、どうやって、この子たちに食べさせてあげれば――」
「救いがたい程に愚かね」
アウフスタは鼻を鳴らす。
「料理をすると云うことは、食材を調達することも含むのですよ? 平民のくせに、そんなことも知らないのですか? それともまさか、自分は何もしなくても食事にありつける身分だとでも思っていたのかしら? 何様のつもりなの、貴女は」
「それは――」
「ともかく!」
夫人は、母さんの言葉を遮る。
「私は貴女の希望を叶えてあげたのだし、ルールも教えてあげました。あとは自由にすることね。云っておきますが、厨房への出入りは使用人たちに見張らせておきます。こっそりと侵入出来るなんて、考えないように」
笑いながら、夫人とパンスト女は出ていった。
遅れて出ていこうとするフスが、振り返って俺を見た。
「素敵なプレゼントだったろう? 気に入ってくれたかい? ぎゃははははは!」
男は、勝ち誇ったように爆笑し、外へと消えて行った。
俺と母さんは沈黙し、静寂が訪れた空間に、くぅぅ、と、マイシスターのお腹が鳴った。
「ふぃー、お腹減った」
「――っ!」
母さんの顔が、悲しげに歪む。
「ごめん、なさい……」
「んゆ? おかーさん、どうして謝る……?」
フィーが母さんを撫でている。
母さんはフィーを抱きしめ、もう一度、「ごめんなさい」と謝った。
これから『食えなくなる』事実よりも、いつも笑顔なこの人が悲しむことが苦しくて。
「取り敢えず、部屋に戻ろう。それで、お茶でも飲もう」
重い足取りで、二階へと向かった。
※※※
「はい。お茶が入ったよ?」
「ふへへ……! ふぃーも手伝った!」
うん。
ハチミツを入れてくれただけだけどな?
紅茶を置く。
フィーはすぐに口を付けたが、母さんはションボリとしていた。
今までもアウフスタ夫人の嫌がらせはあったが、落ち込んでいる姿を、この人が見せることは無かった。
だからこれは、俺たちを巻き込んでしまったことを気にしているのだろう。
本当に、どこまでも子供想いな人だ。
何とかしてあげたいが、いかんせん、食い物がない。
馬車に積んであった品の残りは、アホカイネン家とシェインデル家に譲ってしまった。
離れに帰れば、食事が出来ると思っていたからだ。
(前世での俺は、忙しすぎて飯を食えないまま働くのが当たり前だったから我慢出来るけど、大切なこのふたりには、何とか食べさせてあげたい……)
いっそ、本館にでも忍び込むか?
そんな風に考えていると、ドアがノックされる音が響いた。
「アルトきゅ~~ん、いますかねー? 愛しのミアお姉ちゃんが、逢いに来てあげましたよー? ちょっと扉を、開けて欲しいですねー?」
緊張感をブチ壊しにするような、脳天気な声。
母さんがキョトンとしている。
どんな方向性であれ、一瞬でも重い空気が霧散してくれるなら、何でも良かった。
だから務めていつも通りの態度で、駄メイドに答えた。
「何だよー。扉くらい、自分で開けろよう」
「手が塞がっているんですねー。このままじゃ、アルトきゅんを抱きしめてあげることも出来ませんねー」
出来なくて良いです。
「手ェ塞がってるのに、どうやってノックしたんだよ……」
「正確には、キックですねー。つま先でこう、トントンと」
侯爵家勤めのメイドとは思えぬ行動だ。
俺は扉を開けてやる。
そこには――。
「はい。ミアお姉ちゃんからの、差し入れですよー?」
パーティーで使うような大皿の上に、たくさんのサンドイッチが並んでいた。
少し不格好な作りであることから、手作りであると思われた。
「ミアちゃん、それ――」
母さんが、目を見開いている。
食料が、そこにあるからだろう。
「イフォンネに手伝って貰って、いっぱい作ったんですねー。これなら、明日の朝の分までは、充分あると思うんですけどねー。パンはパサパサになっちゃいますけど」
どっこいしょと、メイドらしからぬ言葉を発し、でんと皿を置くミア。
お腹を空かせているフィーが、物欲しそうに、それを見ていた。
「ミア、どうして?」
「んぅ~……。あの人たちの嫌がらせを聞いちゃったからですかねー? ビックリですよ。なんと皆様が帰ってくる一時間以上前から、玄関でずっと待ち構えていたんですねー。暇そうで羨ましいですねー。手透きなら、洗濯物のひとつでも、手伝って欲しいですねー」
それで、食べ物を用意してくれたのか。
「にーた、にーた。ふぃー、これ食べて良いの?」
「ああ。ミアに、よくお礼を云ってから、頂きなさい」
「言葉よりも、行動で示して欲しいですねー。『だっこ特権』とか、欲しいんですけどねー?」
流行ってんのか、その特権?
「ふへへ! ミアちゃん、ありがとー! ぱくっ!」
フィーは、嬉しそうにサンドイッチを頬張って行く。
表情から察するに、きっと本当に美味しいのだろうな。
「くふっ。喜んでくれたなら、私も作った甲斐がありましたねー」
「何か、綺麗なサンドイッチと、歪なものと、二種類あるけど……?」
「それは、私とイフォンネの分業だからですねー」
ぶきっちょな方がミアだろうか?
イフォンネちゃんは、出来る女の気配があるし。
「云っておきますけど、綺麗な方が、私の作ですよー?」
「えぇっ、ちょっと意外……」
「別に意外じゃありませんよー? 憚りながら、我がヴェーニンク男爵家は、弱小貴族ですからねー。自分のことは自分でやらないといけなかったんですねー。だから私は、お料理も出来るんですねー」
あー……。
そう云えばミアは、紅茶を淹れるのも上手だったな。
メイドとしての基本スキルかと思っていたが、生きるためだったのか。
「一方、イフォンネは生粋のお嬢様育ちですからねー。あの子、皆様のために頑張って作ってくれたんですねー。私は兎も角、あの子のことは、たっぷりと褒めてあげて欲しいですねー」
俺は迷わず、イフォンネちゃんの作った方に手を伸ばした。
マスタードが塗りすぎで食べづらかったけど、とても美味しく感じられた。
「アルトきゅ~~~~ん! そこはミアお姉ちゃんの作ったものを、選んで欲しかったですねー」
ミアが拗ねたように云うと、皆が笑った。
母さんが笑顔を取り戻してくれたことが、俺には嬉しかった。
(ありがとう、ミア……)
このメイドさんにはまた何か、お礼をしなくてはならないと思った。
※※※
「ちょっと待ちなさいよ」
西の離れを辞したミアは、パンスト女に声をかけられた。
周囲には、誰もいない。
いや。
誰もいないからこそ、声をかけてきたのだろう。
「ああっと……。本館勤めの方ですよねー? 何か私に、ご用ですか?」
「ご用ですか、じゃないわよ。アンタ、何やってくれたワケ? あの一家に、食事を与えるなんて」
「んー……? 何をおっしゃりたいのか、ちょっと分からないですねー?」
ミアは首を傾げる。
愚鈍そうな表情と仕草だった。
それがパンスト女をイラつかせた。
「余計なことはすんなって云ってんのよ!」
「食べることは、必要なことだと思いますねー。食事が余計だと云うのなら、ご自分で抜かれてみると良いですねー? とってもツラいと思いますねー」
「なめてんの、アンタ?」
「至って本気ですねー。私はメイドとして、クレーンプット家の皆様に尽くす義務がありますねー。職分を堅守することは、至極真っ当だと考えていますねー?」
「ああ、そう――」
パンスト女の細い眼が、スッとすぼめられた。
ポケットから、一本のナイフが取り出される。
「アンタを先に潰しておかないと、この先も困るって分かったわ」
「…………」
ナイフを向けられても、メイドの少女は怯えた様子を見せなかった。
ブツブツと、何かを呟いたようである。
「あ? アンタ、あたしの言葉が聞こえてんの?」
泣き叫び、命乞いをすることを望んでいたパンスト女は、不快そうに顔を歪めた。
――その瞬間だった。
「――ひっ!?」
ボッと云う音。
夜の闇を照らす光と、伝わってくる熱気。
のんびりとした表情の少女の掌に、灼熱の炎が立ち上っている。
「ま、魔術……っ!」
「私、一応、魔導免許持ちなんですねー。その短いナイフ一本で魔導士に勝てると思うなら、存分に向かってくると良いですよ?」
メイド魔導士は、余裕の笑みを浮かべていた。
「ひ、ひいいいいいいいぃぃぃぃぃっ! ま、魔導士になんて、勝てるわけがない……っ!」
パンスト女は、悲鳴をあげて逃げ出した。
その姿が見えなくなるまで立ち尽くしていたミアは、炎を消す。
炎を消して、余裕の笑みを浮かべたまま――ダラダラと大量の冷や汗を流した。
「こ、怖かったですねー……」
魔導士最大の弱点。
それは、詠唱だ。
詠唱という明確な隙がある以上、一対一の戦いには向かない。
ナイフ一本で、と虚勢を張ったが、熟練のナイフ使いの戦闘速度は、素人ではどうにも出来ない。
寧ろ詠唱を必要とする魔導士など、ものの数ではないだろう。
あのパンスト女は、それを知らなかった。
だから、ブラフが効いたのだ。
「あうぅ……。まだ、身体が震えますねー。よく頑張ったと、自分で自分を褒めちゃいますよぉ」
ミアは汗をぬぐう。
そして、西の離れの方を見る。
(アルトきゅんは聡い子です。大変なことも、きっと乗り越えちゃうと思いますねー)
そして、ちょっと考える。
「寧ろ乗り越えられないのは、私のような気がしますねー。イフォンネに、相談しておかないとですねー」
まだ鳥肌の立った状態で、見習いメイドは宿舎へと歩いていった。




