第二百八十六話 瞬きの夜に、キミと(その三十六)
「この娘の知り合いと云うのは、矢張りキミだったか……」
護衛騎士に守られながら、軍服ちゃんが近づいてくる。
そして、ヒツジちゃんを抱えた女性も。
(どことなく、ヒツジちゃんに似ているな……)
たぶん、親子。
少なくとも、血縁だろう。
彼女も娘同様、帽子をしっかりと被っている。
もしも母娘ならば、この人もホルンなのかもしれない。
しかし彼女は、俺の顔を見て驚いたような様子だ。
何だろう。
ギョッとされていると云う感じだが。
「あーう! あきゃーっ!」
満面の笑顔で、ヒツジちゃんが俺に両手を突き出してきている。
桜色の光が止んでいるところを見ると、まさか発光の原因は俺に会いたかっただけなのだろうか?
近づいて、ちっちゃな掌を握る。
片腕は妹様を抱きかかえているので、あちらこちらに気を遣う。
「きゅきゃーっ! あう! あうあう! にゅー!」
うーん。
とても嬉しそうだ。
この娘、何気に我が家の妹様並みにスキンシップが大好きっぽいからな……。
「…………」
そして間近に迫って分かる、ヒツジちゃんのママンと思しき御方の美しいこと美しいこと。
ヒツジちゃん、将来は美人確定だな。
良かったねぇ。
(しっかし、何で俺をビックリした顔で見ているんだ?)
それでいて、どこか悩んでいるようでもある。
けれども俺に話しかけてこないので、余計なことは訊かない方が良いのかしら?
ともあれ、軍服ちゃんがここにいるのは好都合だ。
何か情報を仕入れることが出来るかもしれない。
「フレイ、どうしてキミがここにいるんだ?」
「私は避難の最中だよ。その道中で、デネンの建物から術式発動の気配を感知したんだ」
そうか。
この子の力は魔術だけでなく、魔道具などの、魔力を含むものにも反応するのか。
ならば魔石なんかも分かるのかな?
少し訊いてみたいが、今はそれどころではないだろう。
俺はエイベルを見る。
メンノの仕掛けは、この人が押しとどめていてくれている訳だが、負担になっていないだろうかと。
うん。
いつも通りの無表情だが、特に無理をしている様子もないな。
「エイベル、魔力は大丈夫なの?」
「……特に問題は無い。比較で云えば、氷原で押さえつけた『腕』の方が、出力はずっと上」
あー……。
あれは確か、大陸を形成する程の超巨大魔石が変じたものだったしな。
『街ひとつ』など、うちの先生には問題ないのかも知れない。
「それでアル。キミがどうしてここへ? 先程から空中に現れている巨大なメジェドは、キミの仕業なのか!?」
メジェド様には、ちゃんと『様』を付けようぜ? 不敬であるぞ?
「その辺の話は後回しだ。ここにあるだろう、仕掛けが見たい」
目標と思しき屋内へ入ろうとすると、騎士たちの顔に困惑が走った。
たぶん、こんな子供が来て戸惑っているのだろう。
しかも素人が見ても危険そうな場所へ立ち入ろうとしている。
しかし彼らの主は、俺を掣肘しない。
だから戸惑っている。
任務と、気遣いと、主の意志と。
色々なものが、綯い交ぜになっているに違いない。
けれども、ひとつだけ分かることがある。
それはこの騎士たちはたぶん、皆、良い人だということだ。
突然現れた俺たちも、軍服ちゃんも。
そしてヒツジちゃん親子も、しっかりと守ろうとする立ち位置になっている。
大半はエイベルが殺してくれたが、外部から来るであろう魔獣への警戒。
そして唸りを上げる怪しげな建物から、俺たちを庇えるようにと。
「良い騎士さんたちだね」
俺が云うと、フレイは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに頷いた。
「ああ。我が家の宝だ」
なら、その宝を、俺も守り返してあげないとね。
屋内へと入る。
そこには、例のサンドバッグに似た器具が明滅していた。
一目でヤバい状況なのが分かった。
これ、エイベルが押さえてくれなかったら、既に爆発していたのかもしれない。
「ちゃっちゃと、やっちまうか……」
器具に近づく。
騎士たちは不安そうな顔をしたが、エイベルが止めないので、たぶん触れても平気だろう。
(根源、干渉……!)
これこそが、俺の本領。
魔術戦なんかより、魔力の流れを解析して操作する方が、たぶん向いているんだと思う。
戦闘職ではなく、技術職と云うか。
(あー……。『親機』と『子機』か、これは)
触れてみて分かる、『門』同士の関係性。
ここがメインであり、街の各所に設置されたサンドバッグは、あくまで『出張所』みたいなもんなんだな。
他所を潰しても、ここを何とかしない限り、どうにも出来なかっただろう。
器具そのものは複雑すぎて理解が出来ないが、停止させることだけなら難しくない。
問題があるとすれば、この巨大な魔力の行く先だけだ。
(いや……。それはもう、決まっている)
今夜起きた惨劇が、せめて『希望』に繋がりますように。
俺は、魔力を打ち上げる。
星の瞬く夜空に、光のヴィジョンを作るのだ。
星空に描かれる、いくつもの文様。
この街は決して呪われてはいないのだと。
悲劇は起きたとしても、祝福はあったのだと。
せめてそんな思いを、抱いて欲しかった。
幻精歴の七輝。
オオウミガラス。
メジェド様。
そして、流星群。
魔を払う光を、天空に。
「むん……。アル……」
フェネルさんに抱かれていた、ぽわ子ちゃんが目をさましたらしい。
俺の側に来て、袖を握った。
「アルが、皆に祝福を……?」
「これはどちらかと云えば、まやかしかもしれないけどね」
それでも、『何もない』よりは、マシだろうと信じたかった。
「アルはやっぱり……虫さん……?」
俺は答えなかった。
ぽわ子ちゃんは、どう受け取ったのか。
俺にそっと、寄り添った。
「アルは、皆を救った……?」
それは違う。
救ったというなら、それはエイベルの功績だし、頑張ったというならば、皆が頑張ったはずだ。
俺は俺の手の届く範囲に手を伸ばしたに過ぎない。
しかもそれは、失敗付きで。
だから、それにも答えない。答えられない。
そんな俺に、ぽわ子ちゃんは、ぽわっとした瞳のまま、決意めいた呟きをした。
「私が背負う? 私は背負われる方が好き? 背負い投げはイヤ?」
うん。
相変わらず、何を云っているのか俺にはわからんね。
そして、一段落ついたからだろう。
ヒツジちゃんのマザーが、俺に近づいてきた。
「少し、良いでしょうか?」
「はい、何でしょ――」
「あーう! あう! ふぉり、なーて? きゃきゅきゅーっ!」
こっちはこっちで、話にならないな。
シープマザーは、てしてしと俺にアピールしてくる娘を引き離そうとして、やがて諦めたようである。
帽子越しとはいえ、ヒツジちゃんを俺が撫でると、ご満悦でおとなしくなったからだろうか?
「不躾ですみません。私はこの娘――フロリーナの母で、フローチェ・シェインデルと申します」
「あ、えーと、アルト・クレーンプットです」
矢張りママさんだったか。
「こんなことを初対面の方に訊くのは失礼とは存じますが、よろしければ、貴方のお父様の名前を教えては頂けませんか?」
「はあ? 親父ですか? タケシですけど」
「タケシ様、ですか」
云ってから、「あっ!」と叫んでしまった。
タケシって、日本人時代のうちの親父の名前じゃんか。
素で話していると、どうしても口を滑らせてしまう。
「あ、いえ。今のは、単なる独り言です。うちに父親はいません」
ステファヌス氏は法的には父親じゃないしな。
そう考えると、俺の父親はタケシのままなのかもしれない。
母親は、こっちとあっちでふたりだろうけどね。
元の両親は元気にしているかなァ……。
親不孝しちゃったからな。
「父親が、いない……のですか?」
「ええ、まあ」
「もしや、お父上は蒸発したということはありませんか? ヨリックと云う名前に、聞き覚えは?」
「いいえ? 蒸発もしていませんし、そう云う名前は知りません」
「そ、そうですか……」
フローチェさんは、ガッカリしたような様子を見せるが、再び、俺の顔をマジマジと見つめてくる。
「それにしても、似ている……」
誰にだろう?
そのヨリックとか云う人か?
俺が似ているのはステファヌスにであって、他の何かに似ていると云われたことはない。
首を傾げていると、フローチェさんが、頭を下げてきた。
「申し訳ありません。姿を消したこの子の父親に、貴方が似ているのです。それで、このような失礼な質問を」
「ははあ、俺が、ですか」
そこは完全に他人のそら似だろうな。
柔弱マンことステファヌス氏の行動を完全に把握してはいないが、他所に女を作っていたら、トゲっちことアウフスタ夫人が怒り狂うだろう。
それなら、ミアやイフォンネちゃん経由で、俺に情報が入ってくるはずだし。
そもそもこの世界での親父殿は、時間があれば何とか母さんと会おうとする人だしな。
子供に会おうとしないのは、ちょっとどうかと思うが、そこは『会うな』とトゲっちに『約束』させられているだろうからな。
何にせよ、ステファヌスが変名を使って女と密会していたとは考えづらい。
「あーう! あう! ふぉり、もっとなーて? あう、きゅーきゃー!」
てしてしと俺に触ってくるヒツジちゃん。
そして何故か横から身体をくっつけてくるぽわ子ちゃん。
シープマザーは、俺と娘を見て、呟いた。
「この娘が貴方に懐いているのは、きっとヨリックに似ているからだと思います」
ああ、成程。
年齢が全然違うとは云え、父親に似ている奴が来れば、そりゃ、ガン見するわな。
初対面でヒツジちゃんが俺に『注目』していたのは、そういう理由だったのか。
「あきゅっ!」
ううん。
笑顔が眩しいぞ。
「アル。落ち着いたようなら、色々と説明をして欲しいのだが」
軍服ちゃんが、正論を述べてきた。
でも、どうしよう?
なんて説明をしたらいいのかな。




