第二百八十四話 瞬きの夜に、キミと(その三十四)
ムーンレイン王家には、現在、四人の王子と、同じく四人の王女がいる。
王位の継承は男系絶対ではないが、それでも条件が似通っている場合は、男子による継承が優先される傾向にある。
これは女子ならば他所へ嫁がせることが多いという実利的な理由によるところが大であるようだ。
王太子は、そのまま第一王子。
しかし相続上の問題がないかと云えば、そうでもない。
第一王子の母は、三公筆頭・バウスコール公爵家の出身。
王太子自身も学問に卓抜した才を有し、運動神経にも優れる。
加えて、保有魔力量も充分以上にあるとされている。
つまり、血筋が良く文武両道で、魔力持ちと云う、非の打ち所のない後継者なのだ。
では、どこに問題があるのか?
それはごく単純にして深刻な理由――健康状況にあった。
第一王子は生まれつき身体が弱い。
重要な式典を病欠することすらある。
その顔は青白く、何も知らぬ者が彼を見ても、「ああ、長生きは望めそうにないな」と胸中で呟くような外見をしていた。
対して、父親である国王は頑健な肉体を有しており、子供の頃から病気知らずだった。
嫡男よりも長生きするのではないかと誰もが思っている程だ。
だから自然、『本当の後継者』は、王太子以外なのだと、多くの者が思っている。
その双璧が、第二王子と第三王子だった。
第四王子は王の子の中で最年少であり、次期王と看做す者は、まことに少ない。
他方、王女たちのほう。
第一王女は既に他国へ嫁いでおり、第二王女も、嫁ぎ先が決まっている。
第三王女に至っては、王位継承の絶対条件である『宝剣』が輝かなかった為に、跡継ぎの資格すらない。
第四王女はその聡明さを謳われてはいるが、矢張りまだまだ幼く、後継者と見る者は多くない。
彼女よりもなお幼い第四王子の方が継承順位が高いことも、それに拍車をかけている。
だからこそ、第二王子と第三王子に注目が集まるのだ。
万が一、王太子に不幸があった場合は、どちらが国を継ぐのかと。
第二王子の母の実家は、ケーレマンス伯爵家。
ケーレマンス家は伯爵位の中でも実力者とされており、事実、国王に家の娘を嫁がせることが出来るくらいの立場でもあるが、それでも母親が公爵家や侯爵家、或いは他国の王族出身者などと比べれば、どうしても見劣りする。
加えて、ケーレマンス伯爵家は実力者故のゴリ押しや、横紙破りの常習者であり、敵も多い。
そして一番の問題は、第二王子自身が、『実家』の気質を色濃く継いでいることにあった。
有り体に云えば、典型的な傲慢貴族のような性格をしていたのだ。
だが、母方の実家には権勢もある。
慕い寄る貴族も、案外多い。
対して、第三王子の方。
こちらはムーンレインの同盟国である隣国、ブルームウォルク王国の姫君を母に持つ。
ケーレマンス伯爵家とは比べものにならぬ程の良血であり、彼が国王に即位すれば、ブルームウォルク王国との関係はより盤石になり、多くの恩恵を受けられることを期待されていた。
また、同盟国がすぐ隣りと云うこともあり、互いに移住する者も多く、彼はムーンレインに入って来た、元隣国人たちに支持される存在でもあった。
だが一方で、ムーンレインは『月神』の加護を持つことを誇りにする血筋でもある。
一部の『純血主義』を奉じる者達からは、他国の影響が強まることを忌避されている。
他国出身者に支持を受けると云うことは、一方で便宜を図ることでもある。
ブルームウォルク王国との強い繋がりに、危機感を持たれたわけである。
第三王子派は同盟国と親しむのは当然のことであり、一方で、ムーンレインの伝統を軽んじることはないと強調した。
だが、ケーレマンス伯爵家を始めとする生え抜きの王国貴族たちに、
「第三王子の宝剣の輝きは、第二王子のそれに劣るではないか! これこそが神の御意志であり、彼が次代王に相応しくない所以である。偉大なる月神の血筋を濁らせてはいけない」
そう主張され、自国の純血主義的思想を持つ貴族達の支持集めに四苦八苦している。
結局、第二王子と第三王子の派閥で行われるのは罵り合いであり、互いの足を引っ張ることであった。
こんな有様なので、この両者を推さず、先代の王弟の血筋の名を挙げる者や、この国で最も尊貴な血筋であるフェーンストラ大公家の名を挙げる者も出る始末だった。
このような背景があって、第二王子も第三王子も、日々、支持固めに奔走している。
最も効果的なのは、政事であれ軍事であれ、実績を上げることだろう。
第二王子はある日、大都市セロでの業績を上げることを考えついた。
件の都市は王都よりも内陸部にあり、従って周囲には山も多く、魔物の数も多かった。
これの討伐を成功させ、支持を得ようと思ったのだ。
セロには反フレースヴェルク王家の貴族も多い。
彼らを味方に付けることが出来れば、極めて大きな成果となる。
第二王子は、勢い込んで討伐へと向かった。
無論、セロはアッセル伯爵家の統治下だ。
無許可で戦力を送るわけにも行かない。
何より、セロに恩を売るという目的もある。
アッセル伯ダミアンに話を通し、協力を仰いだ。
セロからは、街の治安維持を担当するデネン子爵家が、第二王子の手伝いをすることとなった。
その中にはフリーランスの雇われで、メンノと云う名の従魔士の姿もある。
一方、第三王子は第二王子の討伐を成功させるつもりはない。
邪魔することにした。
わずかな物音で水鳥が一斉に飛び立つように、モンスターの一部には、多少の細工で暴走を引き起こす種類もいる。
故に、討伐を司る騎士や冒険者は、細心の注意を払って事に及ぶ。
逆に云えば、魔物を利用した災害を起こすことは容易に出来ると云うことでもある。
普通はそれでも、そんなことをする者はいない。
火気厳禁の場所で火を放てば大損害になると分かっていても、やる奴がいないのと同じことだ。
だが、自らの競争者を蹴り落とすために第三王子は非情な手段を取ることにしたのだった。
果たして、現場では大混乱が起きた。
討伐隊にも多数の死者が出たが、それ以上に悲惨だったのは、セロより一日程度離れた距離にある、ちいさな村だった。
そこは、とある従魔士の故郷であり、結婚したばかりの妻と生まれたばかりの子供と、優しい両親がいた。幼い頃からの友人もいた。
彼は、その全てを失った。
第二王子は討伐の失敗を、セロの反王家派の仕業と看做した。
しかしアッセル伯爵家からの猛非難を受けると矛先を転じ、デネン子爵家と、その雇われたちを責め立てた。
やがて国とセロ冒険者ギルドの共同調査によって魔物の暴走は人為的に引き起こされた形跡があると発表されると、その有力容疑者として、ひとりの従魔士がやり玉に挙げられた。
彼は毒舌家であり、不平屋であり、常々、王家の悪口を口にすることがあった。
それこそが証拠であると第二王子は主張し、第三王子の派閥も、その意見に賛同した。
しかし証拠が不十分であるとセロ側が抵抗を示した為に、『容疑者』が捕縛されることはなかった。
全てを失った従魔士は、独自に調査を行う。
そしてどうやら、それがムーンレイン王家の手によってもたらされたものだという結論へと到達した。
しかし、決定的な証拠はない。
仮にあっても、握りつぶされるのは明らかだ。
彼は『法による正義』を放棄し、家族のための復讐を選択することとした。
慰問と云う名目でセロへやって来た第三王子に対し、襲撃を仕掛けたのだ。
だが、失敗した。
彼は優れた従魔士ではあったが、10頭に満たない戦力で防備を固めた王族を倒せるはずがなかったのだ。
この襲撃で、先の暴走事件の犯人は、矢張りメンノの仕業なのだと認識されることになる。
自分を庇った街すらも、敵に回った。
そんな彼に手を差し出したのは、同じく不当な辛酸をなめさせられたデネン子爵家。
そして、子爵家の紹介で知り合った、奇妙な老人。
老人は云う。
自分も王家に恨みがある。
そして、恨みを晴らす手伝いが出来ると。
老人は、錬金生物学に通じていると云った。
その言葉を裏付けるように、通常の秤を越える強大なモンスターを作り出してみせた。
老人は、命と引き替えに国すら滅ぼせる力をくれると云う。
半生物化した魔石を体内に移植することで、膨大な数の魔獣を従えるだけの魔力を得ることが出来ると説明した。
そしてそれらを運用するだけの、輸送手段も用意できるとも。
全てを失い、凶悪犯として指名手配され、最早この世のどこにも居場所の無くなった男は、老人の誘いに乗ることとした。
仮に肉体が健康でも、心はとうに死んだ。
見つかれば殺されるだけ。
それは既に、生きていないのと同じこと。
ならばせめて、仇を討つのだと。
全てを捨てて、やり遂げるのだと。
彼は、『改造』を受け入れたのだった。
しかし、メンノは知らない。
襲撃先が、いつの間にか『セロの街』へと変わっていたことに。
標的はムーンレイン王家であって、セロではない。
そもそも大軍を繰り出すならば、王都でなければ意味がない。
この街には、第二王子も第三王子もいないのだから。
家族や友人は、無差別な魔物の襲撃で死んだ。
ならば無差別な攻撃こそが最も忌むべき事だと云う考えすら、消え果てて。
彼の脳には、錬金生物学による細工が施されていたのだった。
無から有を作ることは難しいが、深刻な憎悪を拡大させることは出来る。
そして、ある種の幻覚作用のある薬を作り出すことが、錬金生物学では可能なのだと云うことも、従魔士は知らなかった。
従魔術に特化した自分が、絶好のモルモットとして目を付けられていたことも。
こうして彼は、自らが『使われる側』へとなって行ったのだった。
与えられたのは無数の魔物と、敗北した場合の、自爆の手段だけ。
そして決行の日、彼は敗れた。
※※※
「待ってくれ! 今何か、魔術の――いや、魔道具の発動を感知した!」
避難の道行きを続けていたフレイ・メッレ・エル・バウマンは、自らの魔術感知に、大きな反応があることに気付いた。
それが攻撃魔術に近いものであることも。
「調べるのですか、フレイ様」
「もちろんだ。重大事である可能性も捨てきれない。セロの治安を守る側の人間として、確かめないわけにはいかない」
そして一行は、ある建物へとやって来た。
そこが厳重にロックされていたこと。
建物の持ち主がデネン子爵家であったことが、フレイに最大限の警戒心を抱かせる。
何をしても、内部を調べるべきなのだと。
「入り口を破壊しますか、フレイ様?」
フローチェ・シェインデルがその場にいてくれたことも、大きな幸運だったと云うべきだろう。
彼女は物理的な施錠だけでなく、魔術的なロックも、破壊してのけた。
そして、中にあった器具が、半暴走状態に入っていることも即座に看破する。
「これは……っ! いけません、時空震による大破壊が起きる可能性があります!」
「何だって!? では、ただちに街からの避難を呼びかけねば……!」
魔獣が徘徊し、出入り口である門が占拠されている状態では、それが難しいことはフレイも分かっている。
呼びかけても、混乱しかもたらさないだろうことも。
(器具の暴走、それ自体を何とか出来ない限り、この街は助からないのでは……!?)
フレイは唇を噛んだ。
そしてふと、空を見上げる。
先程から天空に現れては消える奇跡。
もしもアレをもたらしているのが、自分の知己であるならば、万が一にも、暴走を収めることが出来るのではないか――?
それはどちらかと云えば希望的観測に過ぎなかったが、他には何も思い付かなかったことも事実。
だから呟く。
ある少年の名前を。
「アル……っ!」
その言葉に反応したのは、ベビー帽を被った幼児だった。
耳ざとく聞きつけ、母親の腕の中から、フレイに手を伸ばした。
「あう! ふぉり、あう、あーた! あう、ふぉり、きゅーきゃ!」
「うん? キミは、アルを知っているのか?」
「きゃうあ! あう! ふぉり、あう、しゅーきゃ!」
バタバタと暴れる女児の言葉はフレイには理解出来なかったが、彼女がアルト・クレーンプットを知っていることだけは分かった。
「アルを呼べれば……」
フレイの呟きに、フロリーナ・シェインデルは激しく反応した。
「あうぅーーーーっ!」
そして、絶叫。
彼女の身体から眩いばかりの桜色の光がほとばしり、一本の柱となって、天空へと伸びていく。
それは、事の重要性を何ひとつ理解していない幼い少女の感情の発露。
ただただ知人の少年に会いたいと願った、少女の思いの形だった。




