第二百八十二話 瞬きの夜に、キミと(その三十二)
視界を覆い尽くす、無数の『球体』。
そして、今なお湧き続ける、四つ足の獣たち。
メンノには、まだ『門』の予備があったらしい。
おびただしい戦力だった。
しかも、それらは無秩序にある訳ではない。
隊伍を整え、カッチリと整列している。
そこにあるのは、紛れもない軍勢。
言葉通り、この男は、たったひとりで国とケンカをするつもりらしい。
そしてこれは、その壮語を可能たらしめるだけの戦力に相違なかった。
(これじゃあ、誰も近づけないだろうな……)
今も遠くで奮戦しているフェネルさんのように。
倒しきることなど出来ずに、生き延びるだけが関の山。
「くっくくく……! この戦力の前には、誰も! そう! 精霊だろうがエルフだろうが、どうしようもねぇんだよ!」
従魔士の哄笑が夜空に響いた。
倒れ伏しているだけの俺には、最早どうしようも出来ない。
異変に気付いたのは、その時だ。
高笑いする男の背後で、獣たちが宙を舞っていた。
それは、吐息ひとつで吹き飛ばされる紙吹雪のように。
或いは、海を割って歩いた聖者のように。
『軍勢』がまっぷたつに割れ、遙か彼方へ、吹き飛んで行く。
その中を、ちいさな人影がやってくる。
ツバの広いとんがり帽子。
闇夜に溶け込むような、漆黒のマント。
腰に細身の長剣をさげた、十代前半に見える、華奢なエルフが。
他の誰と見間違うはずもない。
敬愛する、我が師。
血の繋がらない、大切な家族が。
「エイベル……」
よく知る魔術師が、光臨した。
「んぁ? 何だぁ、手前ェは……?」
メンノは胡散臭いものでも見るかのような目で振り返った。
無数の魔獣が『いないもの』のように蹴散らされているのに、怯えた様子はない。
それは巨大な『肉塊』が視界を覆う程にいるという、絶対的優位がもたらした結果なのだろう。
「……アル」
そして人間嫌いのエルフ様は――。
いつものように。
まるでメンノなど、そこにいないかのように。
問いに答えず、視線も合わせず。
一直線に、俺の傍へとやって来た。
「……怪我をしている。魔力の量も、著しく少ない」
「め、面目、ない……」
あまり無様な姿は見せたくなかったが、息も絶え絶えに地面に転がっていると云うのが、俺の現実だ。
どこまでも弱く、矮小な存在でしかない。
エイベルはフィーとぽわ子ちゃんを一瞬だけ見て、それからもう一度、俺に無機質に見える目を向けた。
もちろん、『そう見える』だけであって、本質が無機質なわけではない。
「……自分の身よりも、このふたりを優先して守った?」
「ま、守れて、いれば、う、嬉しいん、だけどね……」
どちらにも、怪我ひとつさせたくなかったから。
「……仕方がない子」
エイベルはそっと、俺の髪を撫でた。
「……ポーションも使い切った?」
「あ、ああ……」
ふう、とエルフは息を吐く。
「……アルはそれも、自分のためには使わなかった」
どうやら俺の行動など、お見通しだったらしい。
エイベルはちいさなポーチから薬ビンを取り出すと、俺に塗布し始めた。
覿面な効果だった。
もの凄い勢いで痛みが引いて行き、呼吸が楽になっていく。
『生き返る』という実感が、全身を満たしていった。
「おい、コラ! 手前ェは誰だって、訊いてるんだよ!」
男が叫ぶ。
呼応するように巨大な熊が齧り付こうと突進し、そして、はじけ飛んだ。
頭がザクロのように砕け、その巨体が後方へと飛んでいく。
まるで砲弾でも撃ち出したかのように。
進路上にある何匹もの魔獣が、道連れとなって死んだ。
エイベルは、振り返る事すらしない。
黙々と、俺の身体に薬を塗っていく。
「え、エイベル……」
「……今は回復に集中する。傷跡が残ったら、リュシカが悲しむ」
恩師の手つきはとても丁寧で、まるで壊れ物でも扱うみたいだった。
「手前ェ……! 単なるエルフのガキじゃあねぇな!? 何者だッ!?」
エイベルは答えない。
俺の腕やら背中やら、傷の具合を確認し続けている。
「……ん。ひとまず、これで大丈夫。たぶん、傷も残らない。けれど後でもう一度、ちゃんと確認させて貰う」
「え? あ、うん。ありがとう」
「……ん」
何故か、頭を撫でられてしまった。
「その、エイベル」
「……ん?」
「俺よりも、このふたりも見てあげて欲しいんだけど」
「……そのふたりなら、問題がない。魔力の損耗もない。アルがちゃんと、守りきった」
「そ、そうなのか……!? 良かった……!」
別の意味で、力が抜けた。
そんな俺の頬を、恩師がつまんだ。
「……アルは弱い。だから無理をしてはダメだと、私は何度も云ってきた。なのに、この有様」
「うぅ……」
「……そのことに関しては後で怒るし、お仕置きもする」
つままれた頬は全く痛くないが、無表情のままで、この人が怒っていることだけは感じられた。
「そうだ! そ、それより、フェネルさん! 彼女を、助けてあげて欲しい!」
「……ん」
エイベルが頷くと、彼女を囲んでいた熊たちの頭が、一斉に吹き飛んだ。
凶悪な魔獣の群れが、糸の切れた人形のように崩れ落ちて、地面へとへばりつく。
「……フェネルとヤンティーネは、護衛として連れてきたはず。その任が果たせていないと云うのは、少し問題」
「い、いや……! これだけの数なんだし、仕方がないだろう? ふたりとも、とっても頑張ってくれたんだ!」
「…………」
あ、あれ?
エイベルがジト目で俺を見ている。
とっても不機嫌そうだぞ?
「……アルは、あのふたりを庇う?」
いや、庇うとか、そういう話じゃないだろうに。
「俺をシカトすんじゃねえええええええええええええええええええええッ!」
メンノが叫んだ。
巨大ミートくんが腕を振り下ろしたが、見えない壁に阻まれたのか、弾き返されてしまう。
「ぐ……ッ! どうなってやがるんだ、これはァッ!?」
幾度となく振り下ろされる拳。
けれど不可視の防壁は小ゆるぎもしない。
まるでモニタ越しに荒れ狂う災害を見ているかのように。
こちらとあちらが、断絶しているようにすら感じられた。
「答えろ、ちびエルフ! 手前ェは一体、何なんだよォッ!?」
「…………」
エイベルは何も答えなかったが、煩わしいものでも見るかのように、僅かに視線を動かした。
「……これから殺す者に、名乗る名はない」
「殺すだとォッ!? この俺を? く……ッ! くはははははは……ッ! こいつぁ良い! こいつは良いぞ! ハイエルフや精霊でも倒せない俺を、ガキのエルフが殺すだと?」
「……相対する者の力量を見抜けない時点で、闘者としては三流」
抑揚のない淡々とした声には、ただひたすらに『呆れ』だけが浮かんでいた。
おそらく、煽るつもりは微塵もないのだろう。
蟷螂の斧を振るう従魔士を、心底、哀れな虫ケラだとでも思っているかのようだった。
「力量が見抜けないのは、手前ェの方だ、エルフのガキめ! このデカブツたちを相手に、お前ひとりが、何を出来ると云う!?」
「……逆に問う。この程度の出来損ないで、何が出来るつもり?」
「決まってんだろ! こういうことさァッ!」
周囲から放たれる、無数のカノン。
俺が自前の魔力しか行使出来ないのであれば、絶対に防ぎきれない数と威力だ。
しかし無数の光線は、まるでレールの上を滑るかのように、ゆるいカーブを描いて星空へと消えて行く。
魔壁で防ぐことすらしない。
身じろぎもしない。
何をどうやったのか、軌道が完全に変わっていた。
これでは、仮にカノンの威力を何らかの手段で向上させても、効果が望めないことを意味している。
(これ、見たことがあるぞ……! 浮遊庭園でフィーの古式をいなした、リュティエルとか云うアーチエルフの使っていた技術だ)
姉妹だから共有しているのか。
それとも、神代の魔術師には出来て当然のことなのか。
いずれにせよ、今の俺には使いこなせない魔技だろうな。
「く……ッ! 手前ェ、防御技能に自信があるから、イキってんのか? だが、無駄だぜ! どれだけ守りが万全でも、こいつらを倒す事なんて、出来やしねぇ……ッ!」
「……本気で云っているなら、未熟と云う段階にすら達していない」
エイベルのちいさな掌の上に、小石が出現する。
魔術で作り出したのか、その辺から拾ったのか。
彼女は、それを親指で弾く。
まるで暗器術の『指弾』のように。
目にも止まらぬ速さで射出された小石は、いとも容易く巨大ミートくんの身体を貫いた。
あの肉体は触れたものを溶かすはずだが、速度が速すぎて、その前に貫通してしまったのだろう。
小石を喰らった巨大な『球体』は、もがき苦しむように腕をバタつかせ、そして地面に崩れ落ちた。
その身体は、紫色に変色している。
コアを破壊され、死んだときと同じ状況だった。
「て、手前ェ……! な、何をしやがったァッ……!?」
「……石でコアを砕いた。ただ、それだけ」
「な……ッ!? コアをだと!? あるわけがねぇ、そんなこと! あの巨体の中から、どうやってコアを探し出すと云うんだァッ!?」
魔力感知の出来るフィーは、『肉塊』のコアを認識できていた。
ならばエイベルにも、それが出来ないはずがない。
(フィーの話だと、内部で核が移動しているという話だったが、エイベルからすれば、それを撃ち抜く程度は、造作もないのだろうな……)
エイベルの瞳には、羽虫を一匹潰した程度の認識しか浮かんでいなかった。
『その程度』のものを誇っていた従魔士を、無価値の者として見ているようだった。
「……コアによって成り立ち、コアの破壊で終わる存在なのに、大した防御力もなく、魔術的回避も行わず、動きも鈍い。こんなものは、兵器としての価値もない」
まるでフルオートのアサルトライフルのように。
一斉に小石がバラ撒かれる。
威容を誇っていた巨大な『球体』たちはそれだけで、一瞬にして葬られていく。
エイベルは、ろくな魔術を使っていない。
ただただ、小石を発射するだけ。
神代を生きた魔術師にとっては、この怪物の群れを持ってしても、十把一絡げの雑魚でしかなかったのだ。
高位の呪文など、使う価値すら。
「あ、あああああぁぁ……!」
従魔士は、初めて絶望と驚愕の表情を浮かべていた。
自身の目の前にいるちいさなエルフが、決して届くことのない高みにいるのだと理解したようだった。
「な、何者なんだ、手前ェはよおおおおォ……!?」
「……云ったはず。これから殺す者に、名乗る名はない、と」
男の言葉に、恩師は無機質な声で答えた。




