第二百七十六話 瞬きの夜に、キミと(その二十六)
新たに『門』が発生したのは、広いが寂れた倉庫の中だった。
大通りからも離れ、貴族やら役人やらの勤める建物群からも離れた場所に、『まがいの門』は設置されていた。
(最初の『門』の在処からも、だいぶ離れているな。ちゃんとリスク管理してるのな)
変なところで感心してしまうのは、日本人時代の記憶があるせいだろうか?
最初の『門』からこちらへ来るには、本来なら相当な時間が掛かるのだろうが、粘水に乗って魔獣を無視し、一直線に飛んできたので、思いの外、簡単に来られた。
もちろん時間を短縮できたのは、大前提として妹様の魔力感知が新たな『門』を発見してくれていたことだ。
本当に、この娘には頭が上がらない。
「フィー。ありがとうな?」
「ふへへ……! よく分からないけど、にーたに褒められた! ふぃー、嬉しい!」
プチメジェド様がほっぺを擦り付けてくるが、シーツをこすりつけられている感触しか伝わってこない。
「むん……。私も、何かお役に立ちたい……?」
ぽわ子ちゃんに袖を引っ張られてしまった。
うん。
無理しないで良いからね?
「フィー。中にメンノはいるか?」
「いる! さっきの変な魔力の人、中にいる! ふぃー、それ分かる!」
まあ、いてくれないと話にならないからな。
俺が周囲に魔壁を展開しつつ前進。
殿をフェネルさんに担当して貰いながら、中へと入った。
内部は、とてもすっきりしていた。
無駄なものを一切配置せず、例のサンドバッグに似た『まがいの門』――まがいモンだけが、部屋の中央で青白い光を放っている。
「おいおいおいおい……。どうなってんだよ。どうして、お前らがここにいる? どうやってここを嗅ぎつけた? いや、そもそもアレを、どうやって倒したんだ?」
メンノは呆れたような顔でこちらを見ていた。
その傍には、でかい熊のようなモンスターが五頭もいる。
もちろん、おなじみの四つ足の獣たちも一緒だ。
追跡は想定していなかったようだが、それでも油断せずに従魔たちを整列させているのは、用心深さ故か。
「……アレの反応が消えたのは知っていたけどよ、不安定な『門』の影響か何かの、一時的なものだと思ったんだわ。なのに、お前たちはここに来た。となりゃァ、信じがたい話だが、殺ったってことだよな? もう一度訊くぜ? どうやって、アレを倒した?」
「やっこさんなら、過労で倒れたよ。働かせすぎは良くないね」
「生憎と俺は、従魔たちには適度に休憩をやる主義なんでな。手下を無駄に使い潰すなんて、アホのやることだろう?」
俺が元いた職場の上役に聞かせてやりたい言葉だね。
まあ、その後に続けられた言葉。
「必要なら、いくらでも死んで貰うがな」
には、全く同意できないけれども。
「俺が考えるに――」
メンノは警戒心を多分に含んだ瞳を、こちらに向ける。
「お前たちには、アレを何とか出来る単純な戦闘能力があるか、或いは楽に始末出来る何らかの手段があるかの、どちらかだと思ってる。見たところ手前ェらは無傷だし、後者かなと思うんだが、どうよ?」
「金銭を支払って見逃して貰ったとは考えないのか?」
「ははは! そりゃあ良いや! あいつと意思の疎通が出来るっつーんならよ、俺が教えて貰いたいもんだぜ」
メンノは腹を抱えて笑っている。
と云うか、案外ノリがいいな、こいつ。本質は、おしゃべり好きなのかもしれない。
「過労にせよ金銭にせよ、俺たちがここへ辿り着いたと云うことだけが事実だろう? 過去の考察よりも、『今これから』を考えるべきだと、俺は思うけれどもね」
「そいつぁ違うな。お前たちがどうやってアレを倒したのか。そして、どうやって俺の追跡が出来たのか。そこが判明しないと、『今これから』に影響するんでな」
メンノは、奇妙な石をかざした。
それは澱んだクリスタルとでも云うべき形状をしていたが、かすかに輝いただけで、何も起こらない。
しかし、マイシスターが即座に叫ぶ。
「にーた! あの人の魔力、分かり難くなった! モヤモヤがいっぱいで、ふぃー、感じる、難しい!」
従魔士の男は、にやりと笑った。
「ほーん。成程、成程。魔力感知か。そんな稀少なモノを持っているバケモノの話なんざ、おとぎ話の中でしか聞いたことがねぇが、実際にいるもんだな? 流石は精霊様だよなぁ?」
あの石は、魔力を阻害するタイプのアイテムなのか。
そして、ついでのように、フィーの力を看破されてしまったようだ。
「何なんだ、あの石は……?」
俺の呟きに答えたのは、フェネルさんだった。
彼女も従魔士の資質を持つので、テイマーとしての知識を持つ。
「あれは、歪魔石ですね」
「歪魔石……?」
彼女の話によると、こうである。
テイムの基本は、その対象と仲良くなること。
それは、単純な交流だけを意味しない。
食べ物に好き嫌いがあるように、匂いや外見、そして種族など、従魔士本人にもどうしようもない先天的なものすら、相性があるのだと云う。
そしてその中でも特殊な相性のひとつが、魔力の質だ。
魔物には魔物で、落ち着く魔力や、逆に嫌いな魔力もあるらしい。
それはつまり、魔力の質如何によっては、従魔に出来ない者も出てくることを意味する。
そこで使われるのが、歪魔石なのだと云う。
この稀少な魔石は、持ち主の魔力を、文字通りに歪ませて伝える効果がある。
実際には本当に歪むのではなく、『そのように錯覚させるもの』らしいが、ダイヤルをひねって無線やラジオの周波数を合わせるように、自分の魔力を魔物の好み、テイムしやすい状況に近づけることが出来るのだという。
「通常は本当に知性の薄い魔物に錯覚させる為だけの補助具で、一定以上の賢さを持つ魔物には効果がないとされる代物なのですが、フィーリア様の感知を阻害する程の効果ともなれば、間違いなく、魔導歴時代のアイテムでしょうね」
ああ、成程。
つまり、『まがいモン』やらミートくんやらと、『出所』は同じと云うことか。
神聖歴からすれば、明らかなオーバーテクノロジー。
人為的に作られた魔石なのだろう。
「ああ、イヤだね、これだから長命のエルフってやつは! 俺の持ち物も、俺がやったことも、たちどころに見抜いちまいやがった」
「私はハイエルフです。お間違えなきように」
そこはやっぱり訂正を求めるのね。
メンノは唇を釣り上げた。
「てことは、さっきまでいた鎧の女も、当然ハイエルフか。ま。そうじゃねぇかと思ってたんだがなぁ?」
やっていられないとばかりに、ガリガリと頭をかきむしる。
しかしその目に、怯えも竦みも、一切無い。
先程までいた地下室には、ヤンティーネが倒したと思しき、おびただしい数の魔獣の死骸があった。
メンノはハイエルフの戦闘能力を、その目で見届けたはずだ。
それを分かっていてなお、負けるつもりは無いと云うことなのだろうか。
「こちらがハイエルフと知っても、降伏するつもりは無いのですね?」
「当たり前だろ? 俺には、何を捨ててもやり遂げるべきことがある。相手がハイエルフだろうが精霊だろうが、関係ねぇ。オマケにこいつァ、勝ち戦だ。何で降参なんてするんだよ?」
瞬間。
両側面と背面から、巨大な水蒸気が立ち上った。
広いはずの倉庫内に湿気が充満し、薄い蒸気が視界を遮った。
湿度が急激に上昇し、肌に不快感がまとわりつく。
(カノン! ミートくんは、他にもいる訳か!)
念のためにと周囲に展開していた、対・『肉塊』用の魔壁。
その左右背後の三カ所に、カノンが炸裂したのだ。
すると最低でも三匹。
アレがいることになる。
「おいおいおいおい。今のは完全な不意打ちだぜぇ? しかも、カノンだ。どうやって防いだんだよ? まさかお前、シックスセンス持ちじゃあ、あるまいなぁ?」
従魔士はインチキでも目の当たりにしたかのような顔をするが、それはこちらも同じことだ。
今の攻撃は、フィーですら気付かなかった。
それが、どれだけ異常なことか。
エルフの高祖クラスでもない限り、フィーを相手に隠れ潜むことは不可能だ。
ならば何故、俺たちは突然攻撃されたのか。
「にーた! あの『門』、さっきのと範囲違う!」
マイシスターがそれを指摘したことで、俺はカラクリに気がついた。
「そうか。この倉庫のどこにでも、魔物を出すことが出来るんだな……!」
それは、いみじくもフィーが指摘した通り。
『門』としての範囲が広いと云うことだ。
おそらくは、倉庫を覆う規模。
メンノはたぶん、ごく普通に従魔を呼び寄せただけ。
しかしそれがそのまま、こちらにとっては不意を打たれることになると云う訳だ。
(『門』への干渉は――難しいな。ここからだと届かない。きちんと器具そのものに触れなければ、そもそもからして、危ないよな)
なにせ、暴発の危険性がある。
構造を解明した上で、対処を考えるべきだろう。
「さぁて。んじゃあ、お前らがどうやって『球体』を倒したのか? その答え合わせと行こうじゃねぇか。まあ尤も? 今度は三体いる。『対処しきれず死にました』になるかもなぁ? そうなってくれても、俺は一向に構わんがねぇ?」
云うだけ云うと、メンノは熊たちの陰に隠れてしまう。
遠距離からの攻撃を嫌ってのことだろう。
そして現れたミートくんの兄弟たちが、言葉通りに三体。
俺たちに向かって、カノンを発射した。




