第二百七十四話 瞬きの夜に、キミと(その二十四)
「フレイ様、一大事でございます!」
私の部屋に、護衛騎士が駆け込んで来たのは、星祭りの夜の事だった。
星祭りには私も参加することを望んでいたのだが、デネン子爵との確執もあって、父には自室待機を命じられたのだ。
無念な話だが、父の決断が正しいと私も考え、断腸の思いで参加を諦めた。
双子の妹であるフレアは私に気を遣って自分も残ると主張したが、私はフレアがお祭りを楽しみにしていて事を知っている。
何とか説得して、出かけて貰った。
もちろん私のように妹が狙われないとも限らない。
だから当家の戦力の中でも、腕利きを護衛に付けている。
ありがたいのは、ギルド執行職のシャーク氏が私や妹のために、冒険者を付けてくれたことだろう。
祭りで人手が足りないと云うのに、無理をして配慮してくれたのだ。
デネンの手下に襲われたことは不幸なトラブルだが、あのような人物と親交を結べたことは幸運だったと云うより他にない。
異変を感じたのは、自室で本を読んでいるときだった。
そこかしこから、魔術発動の気配を感じたのだ。
私には魔力感知と似て非なるものとして、魔術の起動を感知する能力がある。
大雑把な基準だが、ほんの少しの強弱も分かる。
当家の使用人や騎士には魔力持ちもいるので、彼らが普段から生活で使う魔術が微小なものだと云うことも識別できるのだが、この日に感じた気配は、大きなもの――おそらくは、攻撃魔術の類ではないかと思い至った。
「まさか、デネンの襲撃か……!?」
誘拐の一件以来、父には万が一に備え、動きやすい服装や、護身用の武器、ポーションなどを備えておくように厳命されている。
私はすぐに部屋着から着替え、武器や薬の入ったポーチを装備した。
前述の騎士が駆け込んで来たのは、その直後だ。
「フレイ様、襲撃でございます!」
「デネンの手の者か!?」
「それが……魔獣です! 見たこともない程の数の魔獣が、この屋敷に向かっております!」
「魔獣! 魔獣だと……ッ!?」
魔獣と聞いて、私はすぐにメンノの顔を思い浮かべたが、騎士の話だと獣たちは、おびただしい数であると云う。
従魔士が指揮できるモンスターは、そう多くない。
メンノは従魔士として極めて優秀であると聞いてはいるが、大量の数の魔物を操ることは出来ないはずだ。
となると、どこかで大量発生や大移動が起きてしまったと考えるべきなのだろうか。
「防備は固められるか? 父上やフレアとは連絡を付けられるか!?」
私の質問に、騎士は首を振った。
突然の出来事なので何も分からないのだろう。
そのうち、屋敷の外からは戦闘の音と、叫び声が聞こえてくるようになった。
窓に駆け寄ると、多数の獣たちの姿が見える。
「何と云う数だ……!」
私は愕然とした。
父上やフレアは無事なのだろうか?
「この屋敷は、支えきれるのか? 父上たちがお戻りになったときに、帰る場所がないでは申し訳がない」
「子爵様が襲撃に備えて警備の増員をしていたこともあり、通常よりも戦力自体はあるのですが――」
騎士の言葉は歯切れが悪い。
「流石に、これ程の数による攻撃は想定しておりません。獣たちが無秩序に動き回り、そのうち他所へ行くと云うのならば守り切れましょうが、万が一、この屋敷そのものが攻撃対象であった場合は、防衛は不可能だと思われます」
「言葉は正しく使うことだ。魔獣たちは、真っ直ぐこの屋敷へ突撃してきているではないか。万が一ではあるまい」
窓から見える魔獣たちは、こちらへ一直線駆けてきている。
そこには明確な意志があるように私には感じられた。
(まさか、本当にテイムされたモンスターなのか……? いや。この数を使いこなすのは不可能だ……)
どちらであれ、方針は定まったと云うべきだろう。
すぐにでも脱出しなければならない。
「屋敷に留まっていても、生存の目はない。戦力があるうちに、防衛設備のある場所へと移動すべきだと思う。父上やフレアもそうするはずだ」
「外へ出るのですか!? それはあまりに危険ではないですか!」
「この屋敷では支えきれないと云ったのは、お前自身ではないか。私は生きるために外へ出るのだ。無謀に猪突する訳ではないぞ」
「……承知致しました。ただちに隊をまとめます」
「頼む」
一礼をし、騎士は駆け出して行く。
彼の手前、ああは云ったが、正直なところ、恐ろしい。
今、脱出することが最善であっても、護衛が心配してくれたように、単純に外は危険なのだから。
「もっと戦力があれば……」
その時に思い浮かんだのは居並ぶ騎士たちではなく、デネンの手下から私を助けてくれた、あの不思議な少年の姿だった。
もしもこの場に彼がいれば、状況は変わっただろうか?
「……何をバカな」
自分の言葉に笑ってしまう。
アルトと名乗った少年は私と同じく、本当に幼い。
このような数の魔獣相手では、流石にひとたまりもあるまい。
彼――いや、彼らも無事でいてくれれば良いのだが。
※※※
結果として、脱出するという選択は正しかったようだ。
魔獣たちは私たちにも襲いかかってくるが、それ以上に屋敷を破壊することに躍起になっている。
まるでゴーレムが単純命令を繰り返しているように、『屋敷を襲う』と云う、ただそれだけの行動に拘泥しているように見えた。
(普通のモンスターならば、こんな動きはしないはずだ。やはり、テイムされているのか……?)
操作数に疑問は残るが、私の中ではその考えが支配的になりつつあった。
「フレイ様。目指す先は、政事堂でよろしいでしょうか? あそこは伯爵邸と並んで、この街で最も堅固な場所です」
正論ではある。
しかし、魔獣たちの行動が気に掛かる。
「このモンスターたちは、何者かに操られているのではないか?」
「まさか? この数をですか……ッ!?」
「では、お前は、あれが無秩序な行動に見えると云うのか?」
「それは……」
騎士のひとりが云い淀んだ。
彼も魔獣の動きが、ある程度組織だったものだと分かっているのだろう。
しかしバカげた動員数のせいで、従魔士の仕業とは思えないのだな。
「方法は不明だけれども、魔獣たちは操られていると云う前提で考えよう。その方が、きっと生存出来る可能性が上がるはずだ」
「……承知致しました。では、政事堂は避けるのですね?」
聡明だ。
私の考えていることを理解してくれたらしい。
もしもこのモンスターたちがテイムされており、街への攻撃を指示されているのであれば、寧ろ重要拠点こそ、優先的に狙われるのではないか?
それは貴族の屋敷であり、政事堂であり、騎士の詰め所だ。
おそらく、街の門も固められているに違いない。
「そうなりますと、街に由来する施設ではなく、なおかつ固有の武力を持った組織こそ頼るべしと云うことになりますが」
騎士の発言に私が頷くと、別の者が声をあげた。
「つまり、冒険者ギルドですか」
「いや。おそらくギルドには多数の住民が詰めかけているはずだ。我らが押しかけ、手薄にするわけにも行くまい」
「では、どこを頼られるのです?」
それに関しては、心当たりがあった。
受け入れてくれるかどうかは分からないが、強力な武力を備え、かつ物資も充分にある場所が。
「ショルシーナ商会。あのエルフたちの運営する大店の支部。目指すのは、そこにしよう」
※※※
騎士たちに守られ、商会への血路を切り開いていると、強力な魔術の発動を感知した。
私は皆を呼び止める。
「待て。誰か、この傍で戦っている者がいるぞ」
「この傍で、ですか? 戦闘音は聞こえて来ませんが」
「だが、確かだ。私がそれを感知した」
「では迂回致しますか?」
騎士の発言は尤もだ。
しかし、我がバウマン子爵家は、代々、街の治安を守る立場にある。見捨てては父祖に申し訳が立たない。
「すまないが、皆には私の我が儘に付き合って貰いたい」
私が云うと、騎士たちは顔を見合わせて笑った。
それは、了承の合図。
私がバウマン子爵家の長子であることに誇りを持っているのと同じく、彼らもまた、街の住民を守ることにプライドを持ってくれているのだ。
「謝ることはありません。バウマン子爵家の跡取りとしては、正しい判断かと」
「私が跡を継ぐかは、父上しか分からないよ。ひょっとしたら、フレアが継ぐかもしれない」
「ですが、仮にそうなっても、バウマン子爵家代々の志を継いでいらっしゃる。我らが命がけで貴方を守る所以です」
「大袈裟な物云いだな。だが、今はその言葉に縋らせて貰おう」
そうして私たちは、戦闘のある方へと向かった。
そこにいたのは、ひとりの女性と、ひとりの幼児。
彼女は片手で幼児を抱えたまま、魔術師用の杖を振るって何匹かの魔獣と戦っていた。
女性は杖術戦闘に長けているのか、地形を巧みに使いながら、距離を取る。
モンスターの攻撃が止んだ瞬間、少しの間の後に風の魔術が発動し、獣の頭を切り落とした。
私が感じた魔術は、たぶんこれだろうと理解する。
同時に、風だから音が外部に聞こえなかったのだと分かった。
ひょっとしたら、物音を立てて獣たちの増援を呼び寄せない為に、音の響きにくい魔術を選択しているのかもしれない。
「あれは、もしや無詠唱か? 恐ろしく早くに魔術が展開されているが」
「いえ。無詠唱の使い手など、まず存在しませんよ。発動までに時間があります。おそらくは高速言語の使い手でしょう。こっちも滅多にいないはずなのですがね」
駆け寄りながら、そんな話をする。
やがて、しっかりと女性の姿が見えてくる。
目を惹いたのは、本人も幼児も、深く帽子を被っていることだろうか。
「微力なれど、合力致します!」
云いきるや、護衛騎士のひとりが獣たちを一撃で斬り飛ばす。
「御助力、感謝致します!」
女性が答え、魔獣たちがこちらを向いた。
新たに出現した我々を警戒している。
その隙を、女性は見逃さなかった。
少しの時間をおいた後に、人間大のちいさな竜巻が発生し、たちまちその場にいる全ての獣たちを蹴散らしてしまう。
(風の刃の嵐!? こんな魔術も存在するのか……!)
それは、私が見たことのない魔術。
「凄い……! ありゃあ、段位級の実力者ですよ」
騎士のひとりが呟いた。
彼は実戦経験豊富で、戦争経験もある人物なので、私も一目置いている当家の主要戦力だ。
そんな男が凄いと云いきるのだ。きっと女性は、本当に凄腕の魔術師なのだろう。
カタが付くと、騎士たちは私と女性を守るように陣形を整えた。
私は、魔術師に話しかける。
「あまり合力する意味がありませんでしたね」
「いいえ。おかげで、詠唱する時間が稼げました。単独戦闘では、小規模魔術の詠唱までしか出来ませんでしたから」
女性はぺこりと頭を下げた。
ただそれだけの動作なのに、妙に気品がある。裕福な家の出身なのかもしれない。
或いは、尊貴な人間とのやりとりに慣れているのか。
「いずれにせよ、無事で何よりです。私はフレイ。フレイ・メッレ・エル・バウマン。このセロの治安維持を担当する子爵家の人間です。彼らは、当家の騎士たちです」
私は礼法に則った所作で腰を折る。騎士たちは警護中なので、無言で頷くだけだったが。
そんな私たちに、帽子を被った女性も名乗り返した。
「ああ、貴族様でしたか。御助力いただいたのに、名乗りが遅れて申し訳ありません。私はフローチェ・シェインデル。王都で魔導復古学と魔導考古学を研究している者です。こちらは、娘のフロリーナと申します」
フローチェと名乗った女性は、心底愛おしそうに、腕の中の娘を見つめていた。




