第二百六十八話 瞬きの夜に、キミと(その十八)
青白い光の中から現れたモノ。
その姿に、ヤンティーネは戦慄した。
出て来たのは、球体。
直径2メートル程の、球体だった。
まるで人の死骸を無造作に団子にでもしたかのような、歪で、でこぼことした、肉の塊。
表面には膿のような無数のブツブツが付いている。
ひとつひとつが人の顔くらいの大きさのあるそれは、時たま弾けて、濁った黄白色の液体を、ボタボタと滴らせた。
「これは、まさか……!」
「ほほ~う? 流石はエルフ……。いや、ハイエルフか。これを『何だ』とは云わずに、『まさか』と云うか。長く生きてると、知識は増えていくってのはホントだねぇ……」
メンノの言葉に、ヤンティーネは憎悪にも似た眼光を叩き付けた。
男はそれを、柳に風と受け流す。
「錬金生物学による生物兵器……ッ! それも、合成獣の類であろう……!」
「あろう、とか云われてもな。錬金生物学は、俺にとっては完全に専門外だ。しかも合成獣ってのは、遺失した魔導歴の技術だろう? だからよ、俺としても、『たぶん、そうなんじゃねーの?』としか云えんのよ。アレの正体を云いきるだけの知識はねぇなぁ」
男はケタケタと笑う。
しかし、ヤンティーネとしても、あの、おぞましい『肉の球体』の正体が分からない。
ひょっとしたら、ゴーレムの類かもしれない。
石で造られたゴーレムは、ストーンゴーレム。
鉄で作られたゴーレムは、アイアンゴーレム。
そして死体の肉で作られたゴーレムは、フレッシュゴーレムと云うが、そちらに近い存在かもしれないのだ。
(神聖歴生まれの私には、魔導歴時代の技術を把握することが出来ない……)
生物なのか、非生物なのか。
それだけでも、攻略方法が変わってくるはずだ。
「まあ、悩むのは、あの世で好きなだけやってくれや。お前が強いのは、よ~く分かった。でも、よく云うだろ? 上には上がいるって。お前、もう終わりだよ」
男はタクトを振るう。
魔獣たちは一斉にメンノを守る為の陣形へとシフトした。
あの『肉球』に全てを任せ、防御することに専念するつもりらしい。
攻撃的布陣の時ですら、ヤンティーネは突破に手間取った。
防御に徹されたら、短時間であの従魔士を打倒することは不可能であろう。
(それだけ、あの肉の塊に自信があると云うことか……!)
ヤンティーネは『肉の球体』へと槍を向け、驚愕した。
『球体』から遅れて出て来た魔獣の一匹が、捕食されたのである。
(腕だ……! 腕が伸びたぞ……!?)
肉の中から腕が発生し、魔獣を掴んだ。そしてそのまま、膿だらけの肉体の中へと引きずり込む。それはスライムによる溶解にも似て、魔獣は悲鳴をあげながら、生きたまま溶かされて行った。
(あの『肉』に触れることは危険と云うことか……)
異様な光景ではあったが、得られた情報も、また大きい。
腕を生やすこと。
肉に生物を取り込めること。
いずれも、立ち回りを考える上で、重要な情報だ。
メンノはヤンティーネを見て笑い、それから『肉塊』に対し、命令をした。
「……やれ」
『球体』に、真一文字の亀裂が走る。
その亀裂が開いた。眼球になったようである。
その目は、エルフの女騎士を、しっかりと捉えた。
瞬間、無数の腕が生えてきて、ヤンティーネに伸びてくる。
十数メートルはあろう距離を、一気に潰して。
「これは……ッ!?」
不意の攻撃であったにも係わらず、ヤンティーネは後方へ跳躍して、それを躱す。
回避する瞬間に槍を振るい、『腕』を薙ぎ払ったが、斬ることも折ることも出来なかった。
スライムにくるまれた岩のように、堅さと柔らかさだけが伝わってきた。
(腕……。まさか……)
人それぞれに、得手不得手があるように。
或いは、癖があるように。
作品――『作り物』の場合、設計思想が似ることがある。
(この『球体』の制作者は、高祖様が大氷原で戦われたという、『心臓』の制作者と同じなのでは……!?)
或いは、その技術を知っているか。
「おいおい。ウォーベアの突進よりも速い、あの『腕』の連撃を躱すとはな。お前、ホントにバケモノなんだなぁ」
他人事のように、メンノは驚いている。
彼にとって、状況は既に『戦闘』ではない。『観戦』なのである。
もちろん、引き続き詠唱なんかはさせない。しようとすれば、たちまち従魔たちを差し向けるだろうが。
『球体』は魔力を帯びているのか、ほんの僅か、浮遊していた。
ゆっくりとヤンティーネへと前進しながら、腕を伸ばす。
「ぬぅぅ……っ!」
超高速の腕を回避するエルフの騎士は、舌打ちをしたい気分になった。
向かってくるのは、獣たちと同じ。
しかし、頑強さが違う。
槍の一振りで手足が折れ、頸骨を粉砕できる魔獣と異なり、腕を叩いても突進を止めることが出来ない。
出来ることは、せいぜい軌道を逸らすことくらいだ。
つまり、単純に躱しづらい。
それでもヤンティーネは壁を駆け上がり、天井を蹴り、立体的に立ち回ることで、『肉塊』の腕を回避し続けた。
「曲芸みたいな動きだなぁ。直進だけしかできない魔獣の攻撃では、捉らえきれないわけだぜ」
エルフの女騎士は、眼球に向かって短刀を投擲する。
『球体』は回避も防御もしなかった。
腕による叩き落としすらも、試みなかった。
眼球に突き刺さった短剣はしかし、じゅうじゅうと煙を上げながら取り込まれていく。
『食っている』のは、明らかだった。
「――ッ!?」
ヤンティーネは、その意味を理解して戦慄する。
それはあの『球体』に肉薄し槍を叩き込んでも、ダメージが通らないことを雄弁に物語っている。
物理攻撃が効かない相手に、物理攻撃のみで立ち向かわねばならない。
それは、ただの絶望だ。
しかし百戦錬磨の女エルフは、諦めない。
彼女は騎士である。
高祖直々に、クレーンプット家を守ることを命じられたのだ。
可能、不可能は関係ない。
高祖に誓った騎士の証をたてるには、ただ任務を遂行するのみ。
諦めるなど、死んでからすればいいことだ。
(考え方を変えろ! まず、あの怪物を計るのだ! 倒し方はひとまず置くとしても、腕の射程距離を測る!)
猛スピードで繰り出される無数の腕は、一撃で石の床を粉砕した。
ヤンティーネは追い込まれるフリをしながら、徐々に距離を取る。
石造りの部屋は、長さ四十メートル程度の直方体。
その中で、どこまで届くかを調べるのだ。
20メートル。
25メートル。
そして。
(30メートル! それがあの腕の射程距離だ)
『球体』自体が移動するので、フィールドが四十メートルでは万全な距離を取りづらい。
だが、立ち回り次第で『安全地帯』を取れることは大きい。
(次に、戦術を組み直す。あの『肉塊』に攻撃が通らないのなら、改めて従魔士を狙う!)
ヤンティーネはしかし、メンノに直接特攻することはなかった。
まずは学習した三十メートルを確保するのだ。
『球体』へと向かい、無数の腕と本体を誘導する。
少しでもメンノから離れるようにと。
(今度は、時間を確保する!)
長く伸びる腕は、太い綱に似る。
ならば、相応の対処も出来るだろう。
右へ左へ、天井へ床へ。
立体軌道を十全に活かし、ヤンティーネは腕たちを誘導する。
そして天井を蹴って降り立ったとき、腕はひとつの塊となっていた。
まるで毛糸玉のように、捻れて結ばれていたのだ。
「すげぇ……」
メンノは思わず呟いた。
立体軌道を駆使した立ち回りも大したものだが、倒せないからと諦めない心が強い。
そして、限られた状況の中で、戦い方を工夫する頭脳も。
(ああ、よぉくわかるぜ。お前も何かを背負っているんだろう? 理由と云う名の『核』は違えど、俺も絶対、諦めねぇ……! 復讐は必ずする。心、折れてる暇なんて、そりゃあ、ねぇよな?)
次に女が取る行動は分かっている。
限られた時間で、自分を討ち取るつもりなのだと。
ヤンティーネは突進を決意する。
玄関ホールで戦ったときの従魔士の異常な身体能力を分析し切れていないが、今は時間がない。
「――ッ!?」
しかし、女騎士は慌てて跳びずさった。
彼女に第六感は無い。
だが、歴戦の戦士としての経験が、ギリギリの所で危地を回避させたのだった。
ヤンティーネが先程までいた場所に、目映い光を放つ、太い光線が突き刺さっていた。
火の派生魔術である熱線に似ているそれは、石の床を、黒く焦がしていた。
(あの『球体』、こんな事まで出来るのか……!)
モンスター討伐の経験が多いヤンティーネは、今の攻撃を知っている。
カノン。
ドラゴンの吐くブレスのように、魔力を撃ち出す遠距離攻撃。
竜のそれとの最大の違いは、魔術の基礎である『魔力の変換』をしないこと。
魔力を直接に撃ち出す、極めて燃費の悪い攻撃方法だった。
しかし、威力は絶大。
変換をしないので、ほぼノーモーションで撃ち出してくることも厄介極まりない。
「くっくくく……。やっこさん、お前が自分を無視して俺に挑むことが、気に障ったらしいぜ?」
メンノはニヤニヤと笑っている。
しかし、いつ自分に攻撃が向けられてもいいように、体勢と姿勢を整えている。
軽口を叩いていても、微塵も油断をしていないのだ。
そして『球体』は、絡まった自分の腕を食っている。
ほどくことなど、するつもりが無いようだった。
「エルフの女騎士さんよ。あいつを何とか出来ないと、俺と戦うどころじゃないみたいだぜ?」
従魔士の言葉に、ヤンティーネは無言で槍を構え直した。
それでも彼女は、諦めるつもりは、ない。




