第二百六十二話 瞬きの夜に、キミと(その十二)
私の名は、レネー。
誇り高き、エルフ族の魔術戦士。
年齢は3びゃ……いいえ、299歳です。
里では剣も魔術も負け無しだったので、そこを買われて、商会警備部へスカウトされました。
ショルシーナ商会。
それは、若いエルフの大半が憧れる職場の十本指に入る場所です。
なにせ本店には、多くのハイエルフの方々が勤めていると聞きます。
エルフの里長よりも、ハイエルフの方々のほうが格上なのですから、そんな方たちのいる場所で働けることが、魅力的に映らないわけがありません。
……本音を云えば、両高祖様の直属になりたいな、なんて思わなくもありませんが。
それは流石に、夢を見すぎですね。
私の配属先は、セロと云う街でした。
本店勤務でないのは残念ですが、大都市は何かと便利です。
同僚にも、「当たりの部類」と太鼓判を押されたので、もちろん、不満はありません。
転機が訪れたのは、星祭りの夜のことでした。
星祭りは稼ぎ時なので、セロ支部も入念に準備をしていました。
そんな矢先、魔物の大量発生と云う不可思議な事件が起こりました。
街は大パニックに陥りましたが、私に恐れはありませんでした。
その理由は、みっつ。
まず私の故郷は辺境にあり、魔物が突然あふれ出すと云うことが、何度もあったからです。
つまり、慣れているわけですね。動じる必要性はありません。
次に、魔物の種類です。
嗅覚に優れ、追跡に向いた種類の獣ばかりで、戦闘特化や毒持ちがいないことが、一目で分かりました。
エルフの戦力なら、充分対応可能な存在です。
数が多いことだけが懸念材料ではありましたが。
そして、みっつ目。
それは、商会は常に襲撃を想定しているのだと云うことです。
ただし、それはモンスターの氾濫ではありません。
人間族に対する備えです。
彼らは非常に貪欲で、欲望を満たすためならば、どのような不義理も平然と行い、また無謀とも思える挑戦もするのです。
それこそが人の強さなのだとも云われておりますが、『欲望を向けられる側』の存在に、我々エルフがならないとは限りません。
現に、我々と並んで魔力に優れると称されるリュネループやホルンは、人間の襲撃によって、その数を大きく減らしたと云われているのですから。
そんなわけで我が商会は、有事の際の人間族の迎撃と、エルフ族の保護を担うことが任務となります。これは、警備部に所属するエルフが、最初に教え込まれるものです。
その為、商会内部には兵器庫の他にも、そこかしこに武器を隠してあったりするのです。
……まさかそれを、人間の保護のために使うことになるとは思いませんでしたが。
と云う訳で商会と倉庫を中心に防備を固めていると、セロ支部に一匹の従魔が現れました。
それはちいさくとも、まぎれもない霊獣の一種で、エルフのテイマーですら、使役は困難と思われる存在でした。
そのリスによく似た霊獣は、商会謹製の手紙筒を下げていました。
これはサイズこそ違えど、各所への連絡に使用される商会公式の手紙入れと同じものでした。
霊獣がこれを用いていると云うことは、使役者はハイエルフ以外に考えられません。
混乱の最中だと云うのに、この伝達は最優先で処理されました。
支部長の話によると、高祖様とその縁者がセロに来ているので、何かがあった際は助力するよう、事前に要請されていたそうです。
そして、魔獣の大量発生という、『その何か』が起こったのだと。
私はこの街に、高祖様やハイエルフの方々がやって来ているなど知りもしませんでした。
実は、去年もセロにやって来ていたようです。
それならば、セロ警備部の全てを挙げてお仕えすべきではないかと支部長に訊きましたが、高祖様は平穏を望むのだと返されてしまいました。
確かに高祖様からの要望であれば、それを容れない訳には行きませんからね。
ともあれ、高祖様の縁者をお救いするためのメンバーに選ばれたことは、望外の幸運でした。
単なるエルフでしかない私は、299年生きてきて、未だに両高祖様、どちらのご尊顔も拝したことがないのですから。
喜び勇んで指定された場所に向かうと、そこには人間族の家族と、ひとりのハイエルフがいました。
出立前に、支部長から名前は聞いております。
フェネル様です。
本店勤めのハイエルフで、あのヘンリエッテ副会長の懐刀のひとりと云われる方です。
これ程の大物が直々に警護に就くとは、この人間の家族は、一体何者なのでしょうか?
あまり強そうにも見えませんし、普通の家族という感じですが……?
しかし、そんな疑問が解消される前に、私は、より大きな疑問を抱え込むことになりました。
何と何と、フェネル様の指示で、護衛対象がふたつに分かたれたのです。
別に二手に分かれることはおかしくありませんが、内容がおかしいのです。
だって、幼児三人と、それ以外と云う分け方なのですよ? とっても不可解です。
そして次に紡がれた言葉に、私は絶句してしまいました。
この幼児三人とフェネル様、そして私だけで、魔獣ひしめく街の中を移動すると云うのですから。
どうやらこの混乱の原因を調査する必要があるようなのです。
それは別に構わないのですが、探索や討伐など幼子にさせないで、我らセロ警備部に命じて下されば良いのに……。
「貴方の不満は尤もですが、こちらのご兄妹は強いですよ? ひょっとしたら、貴方よりも」
「はァ!?」
思わず、失礼な声をあげてしまい、慌てて頭を下げました。
しかし、この子たちは人間です。
それも、まだちいさな子供なのです。
強い弱いをうんぬんする以前の存在ではないでしょうか?
私は、三人の幼児を見ます。
くたびれた雰囲気の男の子と、その彼にだっこされている元気いっぱいの女の子。
そして、少年の服の袖をそっとつまんでいる、ぼんやりとした感じの少女です。
そこに強者としての風格なんて、微塵もありません。
いっそ「彼らは弱いので、命をかけて守りなさい」と命じて頂ける方が、ずっと分かりやすかったでしょう。
(フェネル様なりのジョークなのかな……?)
私はすぐに、その結論に辿り着きました。
その証拠に、少年と目が合うと、彼はブンブンと首を振って、懸命に否定しています。
抱きしめられている幼女のほうは、
「ふぃー、頑張って、にーたを守る!」
と、勇ましい発言をしていますが、これは兄弟愛の発露であって、事実を述べているわけではないでしょう。
「いずれでも構いません。こちらの方々を、貴方と私で命をかけて守ります。お願いしますね?」
フェネル様の言葉に、私は頷きます。
か弱い者を守ることが戦士の本懐です。
ここで命を惜しむようなことはありません。
それにたぶん、命をかけるようなことまでする必要は無いでしょう。
私は無数の魔物を事も無げに押しとどめている、頼もしい魔壁を見上げます。
「凄まじい防壁ですね。水の魔壁はいくつも見ていますが、これ程までに独創的で、強力な魔壁は見たことがありません。流石はハイエルフの魔術です……!」
フェネル様を、本当に凄い魔術師なのだと尊敬します。
少なくとも私には、これ程の魔壁は作り出せませんから。
「いいえ? 私ではありませんよ?」
フェネル様は首を振ります。
私ではないとは、どういう意味なのでしょうか?
しかし、その疑問をぶつける前に、くたびれた雰囲気を持つ少年が声をあげました。
「えと、じゃあ、そろそろ移動しますんで、こっちに来て貰っても良いですか?」
密集して身を守ると云うことでしょうかね?
この魔壁があればそんな必要は無いと思いますが、幼い身なら、近くに誰かがいてくれないと不安になるのでしょう。
フェネル様と少年が喋っています。
「アルト様。まずはどこへ移動するのか、それを訊かせて貰ってもよろしいですか?」
「西地区だそうです」
何故、移動先の指定を子供がしているのかが分かりません。
フェネル様が指示を出すのだと思っていましたが……。
しかし、これも仕事です。
彼らを守ることが私の務めなら、その為に最善を尽くしましょう。
「西地区へ向かうのでしたら、いくつか防衛に適したルートを提案できますが」
私が控え目に手を挙げると、くたびれた少年が首を振りました。
「時間が無く、あまり見られる心配もないので、真っ直ぐ行きましょう」
「はい? 真っ直ぐですか……? どうやって……?」
まさか建物を壊して進むわけでもないですよね?
フェネル様ならば可能でしょうが、魔力の無駄ですし、却って時間がかかるでしょう。
「すぐ分かります。皆さん、こちらへ」
こんな状況なのに、やけに落ち着いている少年です。
彼は私たち――特に少女ふたりを気に掛けていました。
何度も注意を払いながら、しっかりと支えてあげています。まるで、父親が我が子を心配するかのように。
「では、行きます。重心の中央が俺なので、離れないで下さいね?」
「一体、何を――」
云い掛けて、身を竦ませました。
突如、足下が揺れ始めたのです。
地震かとも思いましたが、どうやら違うようです。
「す、スライムっ!? 足下から、スライムが!?」
「いや。それは魔壁です。跳びますよ?」
まるでクラゲの傘のように、スライムは広がっていきました。
次の瞬間、クラゲの下から、勢いよく水柱が立ち上がります。
上にいる私たちは、そのままの勢いで、傘ごと飛ばされていきました。




