第二百六十話 瞬きの夜に、キミと(その十)
ちょっと考えて、結論が出た。
こっそりと行動するのは、無理であると。
いや、抜け出すだけなら簡単だ。
俺には、『気配遮断』の魔術がある。
あれを使えば、ひょっとしたら、ここにいる人たちはもちろん、魔獣たちにも気付かれずに行動出来るかもしれない。
しかしそれは当然だが、『抜け出した後に気付かれない』と云うものではない。
寧ろ、騒ぎになるだろう。
間違いなく、母さんたちを心配させてしまう。
(となると、やっぱり、協力者が必要だよなァ……)
俺の不在を取り繕ってくれる人。
身内は無理だし、ギルドの人たちからしても、俺は単なる子供に見えるだろうから、無理だろう。
そうすると、残るはエルフか……。
(フェネルさんに、話してみよう)
ちょいちょいとつついて、指でちょっと離れたところを指し示す。
たったそれだけで、俺が密談を持ちかけていると理解してくれたらしい。
部下のエルフたちに巧みに皆から分断させて、喋るための空間を確保してくれる。
消音の魔術をすぐに使ってくれるあたり、分かっているんだなと思った。
ちなみに、フィーは抱いたままだ。
眠ってでもいない限り、この娘を遠ざけるのは不可能だ。気配遮断も、魂を直接視認出来るマイシスターの前では、効果がない。
「何事でしょうか、アルト様」
「ああ、うん。実は、考えていることがあるんだ――」
俺は、メンノ関連の雑多な考察と、フィーが魔力を感知してくれたことを簡単に説明した。
「フィーリア様は、魔力の感知が出来るのですか!」
彼女が最初に驚いたのは、そこだった。
魔力感知は、かなり稀少な能力らしい。
エイベルもフィーも当たり前に使うから、どうにも実感が湧かないが。
「……で、問題解決の根本は、ティーネが壊しに行ってくれた『門』の他に、この魔力に鍵があるんじゃないかと思うんです。俺は従魔術に明るいわけではないけれど、今の状況が、通常の秤を越える事態なのは、流石に分かるので」
「仰る通りです。この魔物たちを操る従魔士が何者かは知りませんが、能力の桁が違います。こんなことは、我らハイエルフにも不可能です。と、なれば、そこに何事かの秘密があると考えるのが妥当ですね」
頷きながら、彼女は俺を、マジマジと見る。
「な、何か……?」
「いえ。アルト様は、本当に聡明なのだなと思いまして。ハイエルフの子供でも一桁の年齢では、普通そこまで頭が回りません。天才であり、神童であると云う噂は、本当でしたか」
違います。
インチキです。
「今回、持ち込まれた発明品も、商会長が絶賛しておりました」
「はあ、それはどうも……」
今回持ち込まれた、と云うのは、四級試験の後に商会に売り込んだ品々のことだろう。
こういう話題を出すと云うことは、彼女は俺が発明家、『シャール・エッセン』だと知っていると云うことだろうな。
ショルシーナ商会長は『エッセンの正体』を、幹部クラスだけで共有すると云っていたから、彼女もまた、商会上層部の存在なのだと分かる。
だとすると、村娘ちゃんのお母さんに会いに行ったときに使用した地下通路のことも、把握済みなのかもしれない。
「それで、ですね」
俺は、咳払いをひとつ。
「『門』のほうにティーネが向かってくれているので、もう一方である、フィーの感じた大きな魔力の様子を、調べてみたいと思うんです」
「ああ、成程。星読み様のご息女のことですか」
フェネルさんは、いとも簡単に本質を突いた。
もしもこの会話を聞いている者がいたとしても、この返しは分かり難いだろうな。
魔力の様子を調べたいと云ったら、ぽわ子ちゃんの話題が出てくるのだから。
しかしこれは、ハッキリと繋がっている話なのだ。
魔力を調べに行く前提として、ここにいる皆を、安全な場所へと預けねばならない。
だが、ぽわ子ちゃんが狙われている限り、それは難しい。
フェネルさんは、それを理解している。
あの少女が標的にされていることを、看破している。
俺の事を聡明だなんて云ってくれたが、彼女の方が、ずっと頭の回転が速いのだろうな。
「どうして、あの子が狙われるんだろう……?」
それは俺の独り言であったが、彼女は律儀に返してくれた。
「理由は流石に分かりません。ですが、ここにいるモンスターが獣ばかりな理由は、分かりました」
「えっ……?」
俺は思わず、周囲を見渡す。
確かに取り囲んでくる魔物たちは、四つ足の獣ばかりだ。
「理由を教えて貰っても?」
「たぶん、彼女が主たる標的だから、なのでしょう。つまり、何かの拍子に偶然標的になったのではなく、最初からミルティア・アホカイネンと云う少女が、殺害対象として選ばれていたと云うことです」
「最初から……?」
「ええ、たぶんですが。ようは彼女を発見し、そして、どこまでも追跡するために、鼻の利く獣たちが採用されているのだと思います」
「匂いを辿るための獣、と云うことですか」
「はい。私は警備部の所属ではありませんが、それでも魔物に対して、多少の知識はあります。ここにいる狼やら豹やらの魔物たちは、戦闘能力よりも、鼻の良さで知られる種類ばかりです。何をしたいかは、明白でしょうね」
ぽわ子ちゃんを、追跡して殺すために?
ただそれだけの為に、これだけの魔物を……?
「ちょっと待って下さい。それでは、この騒動そのものが――」
「ええ。ただ一個人を殺すためだけの、ついでなのではないかと」
「そんなバカな!? あまりに無駄手間すぎる!」
仮に彼女を標的にするなら、セロへ来る時の馬車を狙えば、それで済むはずだ。
或いは、俺たち子供だけで遊んでいた時でも。
何で騎士団や冒険者が防御を固めている、お祭りの最中に行動を起こすんだ?
おかげで、襲撃者の目標は、未だ未達成じゃないか。
このエルフや、治安維持隊の手によって、多数の魔物が討ち取られる結果になってしまっている。
「その辺の理由は、分かりません。或いは、私が見当違いな予想をしているだけなのかもしれませんし。ただ、いずれにせよ、アルト様が調査に出向くならば、彼女に向いている殺意・敵意をなんとかしなければ、行動には移れないでしょう」
そうだ。
ぽわ子ちゃんが狙われる理由をひとまず置くとしても、そこをクリア出来なければ、俺は調査に出向けないのだ。
抜け出した後に誤魔化して貰う以前の問題が、立ちはだかっていた。
そして肝心要のぽわ子ちゃんは、タルビッキ女史から離れ、小走りでこちらへやって来てしまった。
まだ、情報交換をしている段階であると云うのに。
「むん……。アル……」
ぽわ子ちゃんは、どこか寂しそうに俺の袖を引く。
そう云えば彼女は、何回も俺に何かを伝えようとしていたはずた。
「どうした、ミル……?」
「アル。私を、ここに置いていって欲しい……」
「――!? 何を云い出すんだ!?」
こんなところに置いていかれたら、死ぬ以外の結末がないじゃないか!
「モンスター……。たぶん、私を狙ってる……。私がいると、お母さんやアルたちが、ずっと危険な目に遭う……」
気付いていたのか、標的にされていることを。
それで、自分を捨てて行けと?
「出来る訳がないだろう!」
思わず、怒鳴ってしまった。
でも、そんなことをしちゃいけないし、させるつもりもない。
彼女を見捨てても事態が好転する保証なんかどこにもないし、後悔を背負い込むつもりもない。
「でも、私が皆に、迷惑を掛けている……」
「迷惑を掛けているのは、獣を放ったバカタレの方だ! ミルは少しも悪くない!」
いっそ何も気付かずに怯えているだけなら、こんなに苦しまずに済んだのだろうな。
けれどもこの娘は、なかなか聡い。
それで無駄に責任を感じてしまったのだろう。
「むん……? 獣、誰かが放った……?」
そうか。
彼女は従魔士の存在までは、気付いていないのか。
「でも、アル……。私がいる限り、お母さんが怖い思いする……。私は、それがイヤ……」
母親想いなんだな、この娘は。
だからこんなに、悲しそうな顔をする。
でも、ダメだ。
子供って云うのは、いつも元気で、笑ってなければいけない。
ぽわ子ちゃんが母親に怖い思いをさせるのがイヤだと云うのなら、俺はそんな健気な子供が泣く状態が、とってもイヤだ。
子供と云う存在はいつだって、幸せじゃないとダメなんだ。
「大丈夫だよ、ミル。俺がこれから、問題を解決してきてやる」
こういう決意も、蛮勇に分類されるのだろうか?
彼我の戦力差も分かっておらず、途方もない数の魔獣を操る敵に挑むなど、匹夫の勇と呼ぶことさえ愚かだと、俺自身も思う。
「むん……。アル、が……?」
「そうだ。俺がだ。だからミルは、安心してお母さんの傍にいればいい。これでも俺、少しだけ戦えるんだぜ?」
本当に、少しだけだけどな。
「アルト様、よろしいでしょうか?」
そこに、フェネルさんが混ざってくる。
「現状、皆様の安全を担保しているのは我々の戦力ではなく、アルト様の展開する魔壁の効果が大であると考えます。砦のような場所にこもれるならば兎も角、現段階でアルト様に抜けられると、万全な防衛を保証することが出来ません」
それは分かっている。
が、詰め所など防衛力がある場所は、避難民が詰めかけているに違いない。そちらへ魔物を引き連れて移動しても、惨劇が拡大するだけの可能性があるのではないか?
俺がそう伝えると、フェネルさんは暴論とも云える解法を口にした。
「そこで、提案があるのです。アルト様がミルティア様を連れて、調査に赴くというのは、どうでしょうか」




