第二百五十八話 瞬きの夜に、キミと(その八)
代償や制約は考えても仕方がない。
考えるよすがとなる材料がない。
だが、もしも力を増幅できる何かがあるとしたら?
或いは、メンノが何かの理由で、魔力の底上げをしているとしたらどうだろうか?
「フィー」
「なぁに、にーた? にーたのこと、ふぃーが守る!」
いつもなら「にーた好き!」とでも発言するところが、「にーた守る!」になっている。
俺が皆を助けたいと思うように、この娘も俺を守ってくれるつもりらしい。
俺はフィーの頭を撫で、訊いてみた。
「フィー。どこかに不自然に大きい魔力は無いだろうか? もしくは、歪な反応でも良い」
「みゅー……? 変な魔力、いっぱいある。ふぃー、全部云う、難しい……。でも、一番おっきい変な魔力なら、ふぃー、分かる!」
「大きい変な魔力……?」
魔獣か?
それとも魔術師か?
もしくは魔石か魔道具という可能性もあるが……。
本当なら、今すぐフィーの云った地点へ行って、調べてみたい。
守っていてもジリ貧だから、問題解決の手がかりがあるならば、それを確かめてみたいと思う。
だが、ダメだ。
俺が魔壁を維持しなかったら、母さんたちを守れない。
俺にとって、一番大切なことは、大切な家族を守ることであって、敵を討ち取ることではない。
そこだけは、履き違えてはいけない。
せめて、母さんたちが保護されるまでは。
(いや……。保護されても難しいか。ぽわ子ちゃんを狙って、どんどんとモンスターが集まってきている……)
となると、矢張り魔獣たちの『出所』を何とかしないと……。
いかんな、これじゃ、堂々巡りだ。
「…………」
「……うん?」
あれこれと逡巡していると、フィーと器用に場所を分け合って俺に抱きついていたぽわ子ちゃんが、腕の力を強めた。
俺を見上げるその瞳は不安そうで、それ自体は当たり前のことのはずなのだが――。
(不安の『質』が変わった……?)
理由は分からない。
だが、先程までのぽわ子ちゃんは、単純に魔物に怯え、惨劇に竦んでいたように思えた。
つまり、一般的な範疇の恐怖や戸惑いだ。
だが、今は、それ以外の恐怖を抱いているように見える。
それが何なのかは、まだ分からないのだが――。
「アル、私……」
ぽわ子ちゃんが何かを云い掛けた、その時だった。
「ミル、どこも怪我してない!? 大丈夫なのね!? うううう、こ、怖かったわよおおおおおおおおおおおお!」
ようやく喋れるくらいには回復したタルビッキさんが、ぽわ子ちゃんに抱きついた。
「むん……。お母さん……」
ぽわ子ちゃんは俺から手を離し、タルビッキ女史の身体を抱き返した。
親子の抱擁であるに違いないのに、娘の方が母親を抱きしめてあげているように見えるのが不思議だ。
(喋れるようになったのは、取り敢えずの安全を認識できたからか……)
俺たちを囲む魔壁。
この粘水は今のところ、一匹たりとも魔物を突破させていない。
大元が『俺』と云うことを考えると、なんとも頼りない限りなのだが、それでもある程度は、心を落ち着かせる効果があったらしい。
その辺は、他の皆も同じのようだ。
加えて、フェネルさん。
この人の功績が大きい。
彼女はちょこちょこと魔術を使い、寄ってくる魔獣を吹き飛ばしてくれている。
数が多いから全部は無理だが、それでも密集しないよう。そして、正面に立たせないようにと。
囲まれていると云う事実に変わりはないが、視覚効果と云うものはバカに出来ない。
彼女のおかげで、皆が必要以上に怯えなくて済んでいるのだろう。
戦闘能力だけでなく、気遣いの面でも、彼女は優秀であるようだ。
こっそりと頭を下げると、ばっちりと見られていた。
ちいさく微笑まれてしまう。
「私が魔術を使っている意味を理解されているのですか。流石ですね。副会長が一目置くわけです」
「副会長? ヘンリエッテさんがですか?」
「はい。ヤンティーネさんは高祖様からの指示として、皆様を守る為に奮戦しているようですが、私の場合はそれに加えて、副会長にアルト様のことを、くれぐれも頼むと仰せつかっておりますので」
「俺を?」
「はい。貴方を、です。凄いことですよ? あの方に気に入られるというのは。不思議ですね。アルト様の、どの部分が副会長や高祖様を惹き付けるのか。私も興味があります」
そんなことを云われても、俺だって分からない。
ただ、エイベルに関しては親友の子供なんだから、最初からネガティブな印象は少なかっただろうとは思う。
加えて、出会ったときからずっと一緒に過ごしている。
共にいた時間は、フィーよりも長いのだ。
時間を掛けて育んだものだろうとは思っているが。
「アル……」
そして母親を落ち着かせたぽわ子ちゃんは、再び、俺の方へと向き直る。
「どうした、ミル?」
「むん……。アル、私――」
そうして再び何かを云い掛けた時、ひとつの転機がそれを遮った。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおお! リュシカああああああああああああああ! ドロテアああああああああああああああ! どこだあああああああああああああああああああああああああ!?」
「お、お父さん……っ!?」
彼方から響いてくる声は、確かによく知ったもの。
それまで俺とフィーを不安気に掴んでいた母さんの瞳に、希望の光が灯った。
それは祖母やハトコ兄妹も同じであるらしい。
すぐに、声のした方角へと向き直る。
この人たちにとっては手練れのハイエルフの魔術師よりも、冒険者ギルドの執行職、シャーク・クレーンプットの出現の方が、よっぽど安心感を与えるみたいだ。
「お、お父さあああああああああん! こ、ここよぉぉぉぉ!」
俺はさっき、視覚効果をうんぬんした。
母さんの声が響いた後のそれは、まさしく抜群の成果だったと云えるだろう。
ドオン、と爆発音のような衝撃が轟く。
それはモンスターたちを巻き上げ、ゴミクズのように天空へと吹き飛ばす。
まるで、紙吹雪でも吹いたかのように、大量の魔物たちを吹き飛ばしながら、こちらへ一直線に駆けてくる者がある。
圧倒的な力で障害を排除していく様は、祖母たちにとっては、どれ程、頼もしく、そして心強く思えたことであろうか。
「あれはペース配分だとか、力の温存を考えていませんね」
独り言のように、フェネルさんが呟いた。
俺や彼女の魔獣の始末は燃費優先だった。
最低限の魔術で、確実に葬る。
派手さはないが、長期戦を見越しての仕儀だった。
敵の数も分からず、他者との合流も不明瞭な状況なのだから、それが最善だ。
だが、祖父の気持ちもよく分かる。
俺だって、フィーや母さんに何かがあれば、平静ではいられないだろうから。
(爺さんの得物は、戦斧か……)
視力強化で、遙か彼方にいる祖父を見る。
両手で扱うことを想定されているであろう大斧を、片手で振り回している。
一薙ぎで魔獣の頭を両断し、進行の邪魔になりそうなものは斧を水平にし、腹の部分で遙か彼方へ、かっ飛ばす。
膂力がもの凄いのだろう。
斧の腹で殴られたモンスターの身体は一撃でひしゃげ、ねじれ、数匹単位で飛ばされていく。
あれでは死ななかったとしても、もう戦闘継続は不可能だと思う。
爺さんは、背中に行李のようなものをしょっていた。
そして、素早くそれに手を伸ばす。
握られているのは、刃は大きいが、柄の短い手斧だった。
二刀流ならぬ二斧流にでもするのかと思った刹那、それを投擲する。
どうやらアレは、投げ斧であったらしい。
しかし、怪力無双の爺さんの投げる斧だ。
速度と威力が凄まじい。
うなりを上げるように回転する投げ斧は、魔獣三体を切断しながら飛んでいき、四体目の腹に深く突き刺さった所で停止した。
「どけやあああああああああああああああああああああああああああ!」
右手で戦斧を振るい、左手で投げ斧を飛ばす。
百匹単位でモンスターが存在することなど感じさせず、無人の野を行くかの如き姿だった。
「まるでドワーフの戦い方ですね。習ったのか、真似たのか」
呟きながらもフェネルさんは、爺さんの進路が有利になるよう、魔獣たちを排除している。
語らずとも協力し、連携できるところが、彼女が実力者である証なのだろう。
(しかし、強いな、うちの爺さん……)
ブレフの魔導試験の指導役だったことでも分かる様に、あれで魔術も使う。
しかし物理攻撃が強すぎて、ギルド内部ですら、生粋の戦士だと思われているのだとドロテアさんが云っていたが、この目で見て得心した。
並みの魔物など、物理攻撃だけで充分なのだろう。
この辺、俺の先生であるエイベルの反対だ。
あの人は魔術が巧みすぎて、伝説の名工が打った剣を使うことがない。
俺はティーネから槍を。
そしてエイベルから剣を学んでいるので、師が剣士としても隔絶した存在であることを知っている。
だがエルフたちは、自分たちの高祖を最強の魔術師だと思っていることだろう。
実際は両道の達人なのだが。
(ルーカスさんも来てくれたのか)
魔物を蹴散らしながら走る祖父に遅れて、その部下たちが付いてきているのが見えた。
率いているのは、爺さんの部下で、副隊長のルーカスさん。
彼らは戦闘を行っていない。
爺さんが蹴散らしてしまうから、走って追いかけるのみなのだろう。
どうやら一隊を率いて、俺たちを探しに来てくれたらしい。
「お父さん!」
「あなた!」
母さんたちが、目の前に来た祖父に抱きついている。
俺も側に行きたいが、ヤンティーネや爺さんが散々蹴散らしたのに、まだまだ無数の魔獣がいるから、気を抜けない。
魔壁の展開を続け、入ってこられないように気を遣うので精一杯だ。
(だが、取り敢えずでも、一息つけるかな……?)
安心とは程遠い安寧であるとしても、フィーを休ませてあげられることが、俺にはありがたかったのだ。




