第二百五十七話 瞬きの夜に、キミと(その七)
マイシスターのおかげで、多少なりとも見えてくるものがあった。
門。
一瞬で距離を潰す、奇跡の魔道具。
人にとっての恩恵と価値は、計り知れないものだろう。
そして、『悪さ』をしたときの被害の規模も。
「あ、アレがこの街にあるなんて、そんなことが……?」
ヤンティーネが、よろめいている。
直接、『門』と云う単語を云わないのは、エイベルに迷惑を掛けないためだろうな。
「商会の調査では、セロにアレはないはずでは……?」
フェネルさんも、そんな疑問を口にしている。
商会は、大陸各所にある、『門』の在処なども調べているようだ。
重要なアイテムなんだから、当然の用心ではあるか。
ふたりは小声でヒソヒソと語り合っている。
俺の魔壁が、魔物たちのド真ん中でも密談を可能にしているのだろう。役に立っているなら、何よりだ。
(尤も、魔力の供給元は、妹様に頼ってしまっているが――)
俺は自分の能力を過信できない。
それ程、強くない。
魔力量が、圧倒的に足りていない。
だから万が一に備えて、フィーから魔力を借りている。
もしも単独行動をしなければならなくなった時、ガス欠で動けません、では済まないからだ。
(俺と違って、この娘は凄いな……)
元から魔力量が飛び抜けていたが、今もグングンと成長している。
たぶん、『成長率』でも、俺はフィーに及ばないと思う。
才能の差があるなんてのは、それこそ、この娘が生まれる前から分かっていた話ではあるけれども。
「アルト様。この場より移動されますか?」
ヤンティーネが、水のドームを見ながら提案してくる。
聖域・キシュクード島へ行った最大の収穫は、この『粘水の魔壁』を編み出せたことかもしれない。
云ってしまえば、自由に動かせる意志を持たないスライムのようなものだ。
俺たちの移動に合わせて、這いずらせることが出来る。防御態勢を整えたままでの避難が可能なことは、大きな利点となるだろう。
「……………………アル……」
ぽわ子ちゃんも不安そうだ。
可哀想に。
この娘には、悲しい顔は似合わないのに。
(本当なら、システィちゃんの手も握ってあげたいが――)
フィーとミルが抱きついているので、それも出来ない。ごめんよ、システィちゃん。
いずれにせよ、この場所に留まり続けても、展望は望めないだろう。
なにより、皆を一刻も早く、安全なところへ連れて行ってあげたい。
「うん。移動しよう」
俺は皆に聞こえるように、頷いた。
そうして、慎重に、ゆっくりと移動を開始する。
まずは詰め所を目指してみて、状況を確認しながら、商会の警備部との合流を目指すこととなった。
エゴになるが、商会の警備部なら騎士団や冒険者よりも、うちの家族を優先して守ってくれると思われるからだ。コネがあるからね。
しかし、ここで懸念通りの問題が発生した。
「矢張り、集まってきていますね」
武器を構えたまま、ヤンティーネが呟く。
今も大きな声で吼え掛かり、爪を振るい、牙を剥いて飛びかかって来る魔獣たちは、俺たちを追うことを、決してやめようとはしない。
俺たちが移動すればしただけ、付いてくる。
他に『標的』がいても、こちらを優先して襲いかかるくらいだ。
(これじゃあ、ダメだ……!)
このまま避難所まで移動をすれば、この大量の魔物たちを、街の人々に、なすりつけることになる。
ティーネとフェネルさんが、一瞬だけぽわ子ちゃんを見た。
矢張り、誰が標的になっているのかを理解しているみたいだ。
だが、もちろん彼女を排除しようなどとは云わない。
そんな人たちではない。
「これだけの数に囲まれるのは、ゴブリンの大量発生を駆除したとき以来ですね」
フェネルさんが云う。
この世界にもゴブリンはいるが、マンガやゲームの世界のように、雑魚だからと軽視されることはない。
理由は簡単で、賢く、繁殖力が強いからだ。
道具を使い、罠を仕掛け、不意打ちをし、集団戦法を好む。
こんな連中が、脅威でないわけがないのだ。
繁殖力が強いと云う事は、それだけ人間に被害が出ると云うこと。
人口が減り、田畑が荒廃し、税収が下がり、食糧供給に影響が出ると云うことだ。
なのでゴブリンの群れが発見された場合は、国ならば軍を派遣し、多数の冒険者に動員を掛け、一匹残らず殲滅するのが当然なのだと云う。
早い話がイナゴと一緒だ。
一匹くらいならば子供でも潰せるが、空を覆う程の数ともなれば、もう人間は何も出来ない。
だから、発生させないことが肝要なのだと云う。
「この魔獣たちが特別な手段で『輸送』されて来ているとしても、どこでどうやって増えたかが問題になりますね」
ヤンティーネは、武器を構える。
魔壁の外に出るつもりらしい。
(囮になるつもりなのか……)
魔壁があれば防御だけは出来るが、それがいつまで続けられるかは分からない。
フィーの魔力量なら、いくらでも維持出来るだろうが、この娘はまだ三歳児だ。
たぶん、体力のほうが保たない。
そして魔獣たちが俺たちめがけて集まってくる以上、騎士や冒険者と合流することは困難だし、商会の人々が、辿り着ける保証もない。
となると、打つ手はひとつ。
輸送元である、『門』を何とかすることだ。
(フェネルさんが同行しないのは、俺たちを守る為か)
救難要請に向かったあのリスが戻ってくるのは、当然、従魔士たるフェネルさんの元だろう。
だから、『外』に出て、攻めていくことが出来ない。
ハイエルフの戦力のうち、死地に向かう者は、議論するまでもなくティーネになるのだろう。
「フィーリア様。大まかで構いません。元となった魔力の反応地点をお教え下さい」
「みゅ……? あっち! あの、こちゃこちゃしてる方!」
フィーが指さしたのは、貴族たちの屋敷がある方角だった。
(貴族の誰かが手を貸している……?)
いや。
誰か、などと曖昧な云い方をする必要は無い。
伯爵はここにいた。
軍服ちゃんの父親は非道なことはしないと、フレイや爺さんが保証していた。
残っているのは、ひとりしかいない。
(デネン子爵。そして、従魔士メンノか……)
云うまでもないことだった。
ヤンティーネたちにも、軍服ちゃんの拉致事件は伝えてある。目星は付いたのだろう。
「フェネル。アルト様たちを頼みます」
「命にかえても」
何でもないことのように、フェネルさんは頷く。
この人たちは最初から、自分のことより、俺たちを守ることを優先するつもりのようだ。
「ティーネ……」
俺の視線に気付いたからか、エルフの騎士は、ちいさく笑った。
「率先して戦い、率先して守る。でなくては、何故、騎士を名乗れましょうか? アルト様が気にされることは、何ひとつありません。必ずや吉報をお持ちします。どうか心安んじてお待ち下さい」
それだけを告げると、ヤンティーネは魔壁の外へと飛び出した。
飛びかかる魔獣たちを一薙ぎで屠り、木っ端微塵に蹴散らして、風のような速さで夜の闇の中へと消えて行く。
(ティーネもフェネルさんも自分ひとりだけなら、きっと逃げ出すくらい、簡単だったんだろうな……)
俺に出来ることは、こうして皆を守ること。
でも、それだけではないだろう。
だから考える。
何が出来るか? 何をすべきか?
俺はエイベルの弟子で、彼女から魔術を教わった。
ならば、ただ魔術を使うだけでなく、どう魔術が使われているかを考えねばならないだろう。
でなければ、俺が産まれた時からずっと傍にいてくれた、あのエルフの先生に申し訳が立たない。
(考えろ。何か少しでも、手がかりとなることを)
この無数のモンスターの中で。
無数の。
無数――。
(そうだ。ヤンティーネは、何と云った? フェネルさんに対して、こう云ったはずだ)
――ハイエルフの従魔士であっても、こんなに大量の魔獣を従わせることが出来ないのは、テイマーであるフェネル自身がよく分かっているでしょう?
ハイエルフでも無理。
そう云った。
騒動の中心である従魔士が何人いるのかはしらない。
だが、何百。或いは千にも届く数の魔獣を従わせるのは、人間程度では不可能なはずだ。
メンノは人間だと云う。
この狂騒が彼の仕業かどうかは確定できないが、軍服ちゃんの目撃情報や、捕まえたチンピラたちの様子から、ほぼ間違いないと思う。
ならば、何故、人間にそんなことが出来る?
無条件に、騒ぎが起こせるとは思えない。
代償なり、制約なりがあるはずだ。
或いは……。
(或いは、力の供給源が……?)




