第二百四十話 撫でながら世間話
「にーた……。その子、誰……?」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、フィーが涙目で見上げてくる。
マズいぞ、これは。
今必要なのは説明ではない。この娘を、慰めることだ。
「すいません、保育士さん。フロリちゃんをお願いします」
ヒツジちゃんをそっと渡して、すぐにフィーを抱きしめる。
だが、機嫌は回復しない。
いや。大泣きを始めてないだけ、マシと考えるべきか。
「にーた、すぐ、ふぃー以外の子と仲良くする……!」
うぅ……。矢張り、そこを気にするのか。
「にーたを外に出すと、すぐ、ふぃーから盗ろうとする子が出てくる……! ふぃー、それ、いや……!」
フィーは涙目のまま俺にしっかりと抱きついて、離れなくなってしまった。
まるで、ここは自分だけの場所だと、無言で主張しているかのように。
「え~と……。フィーリアさん……?」
「…………」
「フィーリアさーん? フィーちゃーん……?」
「…………」
ダメだ。聞く耳を持たない。
(うーん、仕方ない。しばらくこのままにしておくしかないか……)
そのまま抱き上げて、頭を撫でておく。
拒絶してこないから撫でられるのは、こんな状況でも嬉しいようだが。
「あらあら。お兄ちゃんは大変ねぇ」
ヒツジちゃんをだっこしたままの保育士さんが、笑っている。
子供と接する機会の多い人だから、程度の差こそあれ、似たような光景を見ることがあるのだろう。あまり深刻な状況とは捉えていないようだ。
「ほら、フィー。皆が折り紙やってるし、見に行こうか?」
「…………」
ふるふると首を振った。
どうやら、ふたりきりが良いらしい。
なら、しょうがない。
座り直して、なでなでを続行しよう。
これで少しでも機嫌が良くなってくれると良いんだが……。
そうして丁寧に撫で続けていると、俺に抱きつく力が弱まってきた。
少しは持ち直してくれたのかな?
そんな呼吸を察したのだろう。
保育士さんが話しかけてくる。
「貴方たちがお手伝いに来てくれて助かったわ。今日は本当に忙しいから」
ちらりと妹様を見る。
不機嫌になった様子はない。
どうやら、保育士さんと話すことはセーフのようだ。
基準がよく分からないが、話し続けても平気みたいだな。
もちろん、なでなでは継続するが。
「あー……っと。この『りんごぐみ』って、確か臨時クラスでしたっけ?」
「ええ、そうなの。二、三人の臨時預かりなら、既存のクラスで一緒に遊んで貰うんだけどね。人数が増えると、そうもいかないでしょう? 応援が増えてくれるわけでもないし……」
レベッカさんがやっていたように、基本、応援は自己調達なんだろう。
忙しい時期なんかは、ここ以外も大変だろうから、なおのこと助っ人不足になるのだろうな。
案外、他所とは取り合いになっていたりしてね。
「忙しいのは、星祭りの影響って聞きましたけど」
「そうねー……。毎年、この時期は忙しいわ。でも、今年は特別ね」
まあ、その原因は分からなくはない。
だって、それって、セロの領主が星読みを招いたからだろう?
シャーク爺さんが忙しいのも、騎士団の仕事が増えたのも、この託児所が多忙なのも、アホカイネン親子の来訪と連動している訳で。
(ん? あれ? それって――)
よく考えたら、俺のせいじゃん!
俺がでっち上げをやった結果が、ぽわ子ちゃんとタルタルの、現在の立ち位置な訳で。
……都市をまたいで、色々な人に迷惑を掛けてしまっているんだなァ……。
ここのお手伝い、実は他人事じゃない気がしてきたぞ?
「どうしたの? いきなり顔が引きつったけど」
「え、あ? いや。はははははは……」
落ち着け、俺。
フィーのサラサラヘアーを撫でて落ち着くのだ。
保育士さんは俺の顔色の変化に、それ以上、突っ込んでくることがなかった。
そのまま、自分たちの事情を、続けて語り出す。
「今年の星祭りは、王都に住んでいる偉い星読み様を招くって聞いていたから、うちも人数自体は事前に増やしていたのよ」
ん?
ああ、そうか。
星祭りは恒例行事だし、ぽわ子ちゃん家がやってくるってのも、昨日今日に決まったわけではない。
当然、託児所側も準備はしているのか。
無策のはずがない。
と云うことは、単純に俺のせいだけとは限らないのか?
「実はね、暮れの辺りから、セロ周辺が、平和になったのよ」
「平和、ですか?」
「そう。平和」
曖昧で、よく分からん言葉だなァ……。
セロって、どこかと小競り合いでもしていたのか? そんな話は聞いたことがないが。
まあ、反・フレースヴェルク家の貴族が多い街らしいから、火種自体はあるんだろうけれども。
「ええと、アルトくんは、シャークさんのお孫さんなのよね?」
「はい。そうですよ?」
「なら、暇になったとかは、云われなかった?」
「うちの爺さんがですか? いいえ? 寧ろ、忙しそうですが」
執行職ってやること多くて大変らしいからね。
そんなものになった爺さんも、そんなものを目指すブレフも、よくやるなと本気で思う。
忙しい職場が命に係わるのって、実体験で知っているからね。今世では、多忙な仕事は絶対に遠慮したい。
(しかし、爺さんを引き合いに出すって事は、『平和』とやらは、政治的要因ではなくて、冒険者たちに近いものなのかな?)
となると、第一に考えられるのは、モンスターがらみか。
「ええ。この辺のモンスターが、随分減ったんですって。商人さんたちも旅人さんたちも、とっても喜んでいたわ? でも、討伐系のお仕事をしている冒険者さんなんかは、収入が減ったって云って、残念がっていたけれども」
ああ、やっぱり、魔獣関連だったか。
モンスターが減れば、そりゃ、影響は大きかろう。
「おかげで他の街からの往来が盛んになってね? それで、予想以上に預かるお子さんが増えたのよ」
「ははぁ……。安全性が上がっているなら、その機会に星祭りを見ておこうと考えた人たちが出て来たと」
娯楽が少ない世界だからな。大きな祭りなら、見たがる人も多かろう。
娯楽不足と云えば、俺が以前に商会に売り込んで微妙に失敗した商品――15パズルも、別に人気商品にはなれなかったらしいけど、
「あれですか? 予想以上には売れていますよ?」
と、生産中止にはならない範囲で、販売が続いているらしい。
あまり感激のない口調で、ショルシーナ商会長に販売継続を云われたからな。
フィーの提案通り、イラストに変更したのがよかったらしい。数字のままだったら危うかったろうな。
なお、あの商品に関しては『エッセン名義』ではなく、匿名でありまする。
「それで……モンスターが減ったってのは、騎士団やら、冒険者やらで、大規模な討伐隊でも繰り出したんですか?」
「いいえ。どうも違うらしいのよ。ある日を境に、急に数が減ったんですって」
「えぇっ!?」
環境や生態系に何かがあったとかじゃないの、それ。
場合によっては、より深刻な事態になると思うんだけど、大丈夫なんだろうか?
「一応、騎士団や冒険者さんたちの調査では、モンスターが減ったこと以外は、大きな変化が見られなかったみたい。だから、大丈夫だろうって。寧ろ魔獣が減って、喜んでる人も多いわよ?」
まあ、モンスターが減ったことに疑念を抱き、警戒する人ばかりなら、セロの来訪者が増えるわけがないもんな。
あまり気にしないのか、よくあることなのか。
「うちの託児所もそうだし、騎士団や冒険者さんたちもそうだけど、色々考えたり調べたりしなおすのは、星祭りが終わってからになるんじゃないかしら?」
つまり、目先のイベントに忙しいと。
まあ、よく分からないが平和になった出来事と、注意を向けなければ行けないお祭りとでは、どちらを優先するかはわかりきった話で。
ギルド所属のシャーク爺さんや、街の治安を維持する側の家に属する軍服ちゃんが、この件について何も云わなかったのも、優先度が違うからなんだろうな。
(お祭りが終われば、うちも王都に帰っちゃうしねぇ……)
何にせよ、フィーが安全なら、それで良い。
「フィー。お祭り楽しみだな? 一緒に回ろうな?」
「…………」
撫でながら声を掛けてみると、無言のままだったが、頬を擦り付けてきた。
楽しみではあるんだろうな。
しかし、そうして持ち直しかけたマイシスターは、再び身を竦ませた。
むこうから、声が聞こえて来たからだ。
「むん……。アル、折り紙、手伝って……? 私だけでは、手に余る。無念……」
託児所の子供たちに囲まれて、教えて教えて攻勢を受けているぽわ子ちゃんから、ヘルプが入ったのだ。
そして同時に、保育士さんからも。
「あらあら。フロリちゃん、また光って来ちゃったわ? アルトくん、何とかしてあげて?」
残念ながら、俺の身体は、ひとつしかない。




