第二百三十九話 ホルンの女の子
ホルン。
それはこの世界において、魔術を得意とする三大種族のひとつに数えられる存在だ。
こちらの世界に産まれて、魔術を使えるようになって、エルフがどれだけ凄いのかを知った今では、リュネループやホルンが獲得している、『エルフに並ぶ』という評価が、とても凄まじいことなのだと理解する。
もちろん、エルフに匹敵すると云っても、アーチエルフには及ばないのだとは思う。マイティーチャーに比肩する存在がゴロゴロいるなら、もっと騒がれているだろうからね。
(レベッカさんが俺に任せようとしたのは、この娘だよな……)
そしてたぶん、フィーが、ちょっと大きい魔力と判断したのも。
ホルンの特徴。
それは、魔力を蓄えるというツノだ。
魔術の触媒にすると、桁外れの効果をもたらすらしい。それでかつては、たくさんのホルンたちが虐殺されたのだとも。
そのホルンのツノは、血を分けた家族であっても、形状や本数は遺伝しないみたい。
額からユニコーンのような一本ツノが生えている者もいれば、昔話に出てくる鬼のように、二本のツノが頭頂部にある者もいる。
そしてこの娘のように、側頭部にツノを持つ者もいるんだとか。
だから、下品なブラックジョークで、
「ホルン同士の浮気はツノだけじゃ分からない。似通っていても、別の人」
なんて云われたりするんだそうだ。
そのホルンの女の子に、俺は何故だか、懐かれている。
「あう! あーうっ!」
「な、何かなー?」
「あうあーっ!」
ガシッと俺を掴んで、花のような笑顔。
これたぶん、理屈を求めても仕方がない類のものだろうな。フィーに、だっこをせがむ理由を訊くようなものだろう。
「あう! きゅきゃーっ!」
わからん。
一体どうして、こうなるのか。
ヒツジのツノを持つ幼女――ヒツジちゃんは、ひたすら俺を、ぺちぺちと触ってくる。
「あらあら、とっても懐かれているわね? アルトくん。フロリちゃんと面識あったの?」
「いや……。完全に初対面ですが……」
うーん。
気のせいかもしれないが、単純に気に入られていると云うよりも、警戒心が薄い感じだ。
それこそ、家族とでも思っているかのような。
「あう! あーきゃっ!」
「あたっ!? あたたたっ!?」
グリグリと頭を擦り付けられてしまったぞ?
攻撃か?
俺を攻撃しているのか?
「フロリちゃん、アルトくんに、撫でて欲しいんじゃないかしら?」
「えぇっ!?」
保育士さんを見ると、「経験上、わかるのよ」とか云われてしまった。
本当かー?
本当に、撫でて欲しいのかー?
そっと掌をベビー帽に添えてみる。
すると、
「にゃっ!」
違う!
とでも云わんばかりに、頬を膨らませた。
何だよ。
なでなでを要求しているんじゃないのか?
保育士さんに、間違っていたみたいですよと云おうと思った矢先、彼女の方が口を開いた。
「そうか、わかったわ!」
俺の側に来て、耳打ちをする。
「ツノよ。きっと、フロリちゃん、ツノを撫でて欲しいんだわ! ホルンって、ツノに触られるのを好むか、とても嫌うかの、どっちかだって聞いたことがあるのよ」
ホルンに、そんな習性が?
「あ、でも。普段は触らせるの嫌がるのに、大切な人にだけは触らせたがる人もいるって」
今、どっちかって云ったじゃん。
流石に周囲に人がいる状況で帽子を取る訳にもいかないから、中に手を突っ込むことにしようか。
「保育士さん。この娘をお願い」
抱くのを交替して貰う。
すると途端に、ヒツジちゃんの表情が曇った。
「うきゅ……」
そんな悲しそうな目で見ないでくれ……。
そっとベビー帽の中に手を突っ込んでみる。
おおっ。
もこもこだ。
こういう手触りも気持ちが良いな。
そして俺の指は、まぁるいツノへと到達する。
「ほーら、なでなで~」
「きゅきゃーっ! あーいっ!」
嬉しそうだな。
保育士さんの読み通り、ツノに触れて欲しかったのか。
しかし……当たり前だが、硬い。
そっと撫でている俺には、あまり楽しい感触でもないのだが、ヒツジちゃんは気持ちよさそうに眼を細めている。
「ホルンのツノに触れるなんて、凄いことなのよ?」
「え? でも、さっき、触れられるのを好む子もいるって……」
「それでも、恋人とか家族とか、親しい人にしか触らせないわよ。獣人族のしっぽとか、エルフ族の耳と一緒よ」
エルフ族の耳かァ……。
俺、いつになったらエイベルの耳に触れられるんだろうね?
不可視のツノを優しく撫でていると、満足したのか、ヒツジちゃんはゆっくりと目を閉じ、寝息を立て始めた。
「アルトくんに撫でて貰えて、安心したのね。フロリちゃん、お母さんから離れて、ずっと不安そうにしていたから……」
成程。
まだ二歳だもんな。
これがフィーだったら、そもそも預けられることに耐えられないだろう。
足元を見る。
最愛の妹様は、まだ積み木に掛かりっきりだった。
我が家と違ってたくさんの素材があるから、張り切っているのだろう。緑色の積み木は垣根かな? 結構なスペースを取っているが、どれだけの豪邸を作るつもりなのやら。
「にーた! ふぃーと一緒に、おうちつくる!」
おおよその広さを決定したからか、マイエンジェルは笑顔で俺を振り返った。
(ギリギリセーフ……)
ヒツジちゃんをだっこしている所を見られていたら、一悶着あったかもしれない。
相手は、まだ二歳児だとか、この娘には関係ないだろうから。
でも俺、ここのお手伝いに来たのに、フィーと遊んでいて良いのだろうか?
ちょいと周囲を見渡してみる。
(ん~……。今なら、大丈夫かな?)
ヒツジちゃんは眠っているし、他の子たちは折り紙に夢中だ。
それに何より、マイシスターのお願いを無碍には出来ない。
「よし。やるか。間取りはどうするんだ?」
「まず、にーたと積み木するお部屋作る! それから、お昼寝部屋も! これ、ハンモック! あと、一緒にお絵かきするお部屋も必要!」
全部、部屋分けるのかー……。
そりゃ、豪邸じゃないと無理だわな。
フィーは積み木を持ったまま、上機嫌に俺にひっついてくる。
身体が触れると、心底嬉しそうにこちらを見て、にへ~っと笑った。
「ふたりとも、とっても仲良しさんなのねぇ」
保育士さんが、微笑ましいものを見るような視線を向けてくる。
マイエンジェルは、大きく頷いて胸を張った。
「ふぃーとにーた、世界一、仲良し! ゆーまでもない!」
「アルトくん、凄く好かれているのねぇ。フロリちゃんが起きたら、取り合いになるのかしら?」
シャレにならないことを云わんでください。
フィーは、「んゆ? ふろりちゃん……?」と呟いて、首を傾げている。
突っ込んで質問されるかと思ったが、それは免れた。
マイシスターと保育士さんの表情が変わったからだ。
「みゅ? 魔力……?」
「あら? あらあら?」
何と、眠っているヒツジちゃんが、ほのかに発光し始めたのだ。
何だろう、これ? 光の魔術かな?
「ちょっと聞いたことないけれど、ホルンって眠ると、こんな風になるのかしら? 困ったわ。騒ぎになっちゃうかも……」
それはホルンだと知れ渡ってしまうという意味か。それとも、うるさくなると起きてしまうと云う意味か。
どちらにせよ、このままではダメだろう。
「ちょっと失礼」
ヒツジちゃんに触れてみる。
うん。
魔力だな、これ。
ホタルのように発光器を備えているわけでもなさそうだし、それなら、どうにでもなるか。
(根源干渉……)
漏れ出る魔力を空中に散らしていく。触ってみて分かったが、これは光の魔術への変換途中のような、酷く中途半端な魔力だった。
たぶん、光属性に適性があるのだろうな。
魔力が大きいことと、適性があること、後は無意識に不安だから、魔力が溢れたのだと思う。
「あら? アルトくんが触ったら、急に収まったわね? 安心したのかしら?」
魔力に干渉して発光を止めただけなのだが、保育士さんは、そう解釈したようだ。
笑顔で俺に、ヒツジちゃんを手渡してくる。思わず、だっこしてしまった。
「ほら、やっぱり光らない」
「あ、あれ? ホントだ……」
ううむ……。
受け取った瞬間からは、何もしていないのだが。
気のせいか、寝顔もさっきより安らいで見える。
「ぁ~……ぅ……」
「ほら。寝言でアルトくんの名前を呼んでいるわよ? ふふふ。好かれているのね?」
ヒツジちゃんは、眠りながら、俺の服を、きゅっと握った。
あ、これ、マズいんじゃ……?
俺は、すぐ傍を見る。
ちいさな妹様が、両目いっぱいに涙を溜めていた。




