第二十三話 蒼き夜の約束
「綺麗な月だね」
樹の下に歩み寄った俺は、そんな風に挨拶する。
「……ん」
エルフの少女はちいさく同意を示すだけ。
エイベルは帽子を被っていなかった。
屋内でも大体被っているトレードマークのとんがり帽子が今はない。
外では必ずといって良い程、被っているのに。
色素の薄い金色の髪が、蒼い月光を反射している。
幻想的だと思ったし、美しいとも思った。
「エイベル、今日は――」
「……もっと、こっち」
言葉を遮られて、抱き上げられてしまった。そのまま彼女は座り込んで、俺を膝に乗せる。
初めて出会った時のように、彼女がいるのは俺の背後だ。
(ピクニックに来た親子連れみたいだなァ……)
外はこんなにも幻想的なのに、どうにも締まらない。まあ、所詮俺は五歳の子供だ。綺麗な景色の中にいて絵になるわけでもあるまいよ。なので、そのまま話しかけた。
「エイベルは今日、何をしていたの?」
「……独り、だっただけ」
「それって楽しいのか?」
「……楽しくはない。けれど、必要なこと」
無機質で、淡々とした受け答えだ。
エルフの少女の顔は見えない。俺は月を見上げているだけだから。
「何か大切なことをやっていたの?」
「……大切なことを、噛み締めていた」
エイベルは俺の頭を撫でる。
どんな表情をしているのだろう?
俺を見ているのか、月を見ているのか。それすらも分からない。
「……これまでの時間、私は殆ど独りだったし、これからの時間もずっとそう。それは当たり前のことで、忘れてはいけないこと。それを自分に云い聞かせていた」
時間、ね。
俺とエイベルでは、多分、時間の感覚が違うのだろう。
おそらくは何千年。もしかしたら、それ以上の『刻』を生きてきた少女だ。
目に見える世界の感じ方も、その在り方も、きっと俺とは別物で。
今、そこにある感情を理解してあげることが出来ない。
一緒に生きて行くことが、出来ない。
「エイベルにとっては、俺たちと過ごす時間も、あっという間なんだろうね」
「……ん。だからこそ価値がある。……そう思うことにしている」
ぎゅうっと、抱きしめられてしまった。
「素敵な考え方だね」
「……云ったのは、アルのお母さん」
脳天気な母上発だった。
互いに互いを親友と呼ぶだけはあるのだな、と少し感心。
「……リュシカには、色々なものを貰った。アルとの出会いも、そのひとつ」
「ああ、うん。エイベルにそう思って貰えるなら、俺も嬉しい」
でも、俺は彼女に何かをしてあげたことがない。
魔術を教えて貰い、薬学を教えて貰い、工房と鍛冶の師を授けて貰って、そのお返しが出来たことがない。
「エイベルは、何か欲しいものとか、して欲しいこととかはないの?」
俺に可能なことかどうかは置いておいて、知っておけば恩返しの機会もあるだろう。
「……あるけど、無理」
相変わらず表情は見えない。けれど、少し悲しそうな声だった。
「もし良かったら、それが何か訊いても良い?」
「……だめ」
「そうか。それは残念」
俺は彼女と良好な関係を築けていると思っているけれども、心の奥の奥まで踏み込んでいけるだけの仲ではないのだろう。今は、まだ。
そんな風に考えていた俺を抱きしめる力が強くなった。
「……アルはまだ子供。だから、甘えるだけで良い」
ふむ。
話してくれない理由は信頼関係の不足ではなくて、俺がまだ頼りない子供だからか。
ならば、云いようもあるだろう。
「じゃあさ、俺が大人になったら、何かエイベルに恩返しさせてよ」
「……私は私のしたいように振る舞っているだけ。アルが恩を感じる必要は何もない」
「ははは。じゃあ、今俺を抱きしめているのも、そのしたいこと?」
「……そう。離したくない」
ううん。
巫山戯てみたらストレートに恥ずかしいことを云われてしまった。いや、嬉しいんだけどね。
「……逆に訊く。アルは、私に何か望むことはある?」
「じゃあ、耳を――」
「……それはダメ」
即答されてしまった。
矢張り耳に関する防衛力は高いと云わざるを得ない。
「……もしもアルが、心身だけでなく、魂のひとかけらに至るまで私に捧げると云うのなら、耳を触らせてあげても良い」
「え――」
「……冗談。そんなことはしないし、出来ない」
エイベルは俺を膝から降ろすと、手を取って立たせた。
「……アルは、ダンスは出来る?」
「生憎ながら。……母さんには覚えた方が良いって云われているんだけどね」
もしや高祖様はダンスをご所望だったのだろうか?
まさかこんな所で習得を断ったツケが来るとは……。
しかしエイベルは特に気にした様子もなく、俺を抱き上げると、大きな蒼い月に対面させた。
「綺麗な月だねぇ……」
「……ん」
出会い頭と同じことを云ったにもかかわらず、エイベルは律儀に返事をしてくれる。
「……星にも周期があるように、あの月にも、ひとつの周期がある」
「月食とかかい?」
「……それもある。私が語りたいのは、100年周期のこと」
「100年後に、何かがある、と?」
「……ううん。10年後。10年後に、100年周期の様子が現れる」
10年後。
ちょうど俺が、15歳の成人を迎える頃だな。
「で、何があるの?」
「……その日は、月がとても大きく輝く『大蒼夜』と呼ばれる日が来る。夜なのに、世界の全てが蒼い光で満たされる」
「へええ。それはさぞかし綺麗なんだろうなぁ」
地球世界のハレー彗星は確か76年周期だったか。こっちの『大蒼夜』とやらは100年。
どちらも運が悪いと、一度も見ることなく生涯を終えるわけだ。
「……アル。憶えていてくれたらで良い」
エイベルは俺を降ろし、ギュッと手を握る。
「……10年後の『大蒼夜』の日に、私と二人だけで踊って欲しい」
「今みたいに?」
「……今みたいに」
今は全く踊れていないのに、そんな事を云う。
今の俺たちは見つめ合って手を繋いでいるだけだ。
「わかった。俺、ダンスを覚えるよ。それでエイベルと踊るんだ」
「……ん。やくそく」
エルフ様が小指を差し出してきたので、躊躇無く自分の小指をからめた。
この世界にもあるんだな、指切り。
俺がそう考えて見上げていると、
「……10年後は、きっと私がアルを見上げている」
口元だけでない、優しい笑顔がそこにはあった。
それは、俺が初めて見るエイベルだった。
「綺麗だなァ……」
蒼い月ではなく。
遠い約束をした少女に。
俺は心の底から、そんな感想を抱いた。




