第二百三十五話 ロッコルの実と正方形
結局、フィーは母さんがだっこしながら俺を見守ることになった。
すぐ傍では、何故か、ぽわ子ちゃんも目を輝かせて俺を見ている。
ドロテアさんもチラチラとこちらを窺っているので、なんだかとてもやりづらい。
他方、爺さんはソファで死んでおり、タルタルはマイペースにご飯を食べ続けている。
俺がやろうとしていることは、本当になんでもないことだ。
ひょっとしたら、この世界には、既にあるものかもしれないし。
まず、ロッコルの実をしっかりと洗う。
それから半分にカットし、果汁を絞っていく。
手絞りだと面倒だな。
ジューサーとかあれば便利なんだが、この家にはないし、市場でも、ちょっと見かけたことがない。
もしかして、売り込み品になるのかしら?
そうして果汁を溜めておく。
ツンとした匂いが漂ってくる。俺はこのままだとダメだが、すっぱいのを苦にしないマイエンジェルやぽわ子ちゃんは、既に飲みたそうだ。
次に用意するのは、砂糖と水だ。
これを果汁とちょっとずつ混ぜ込みながら、記憶通りの匂いと味に近づけていく。
「にーた! ふぃーも! ふぃーもそれ、飲みたい!」
俺がやっているのは味見なんだが、この娘には俺がひとりで飲んでいるように見えるようだ。
「フィー。もうちょっとだけ我慢してくれ。もっと美味しくしてから、飲ませてあげるから」
「んゅ……。にーたがそう云うなら、ふぃー、我慢するの……」
目に見えてションボリしている。
指を咥えている姿に、ちょっと心が痛んだ。
作業を再開。
混ぜる比率を調整していく。
まだ酸っぱすぎる。
水を足す。砂糖を加える。
大分、近づいてきた。
そうして試行錯誤を繰り返し、ほぼ記憶通りの飲み物が出来上がった。
「よし! 色が紫なのが気に入らないが、これで良いだろう!」
「にーた! ふぃー! それ、ふぃー飲みたい!」
早速、食いついてきたか。
これ、爺さんのために作ったんだがな。
しかし兄とは、妹様を最優先にする生き物。
是非も無し。
フィーお気に入りの桜色マグカップに、それを注ぐ。
何故か母さんとぽわ子ちゃんが、空のコップを持って順番待ちしている。
無言の催促だ。断れない。
「――! にーた、これ、美味しいっ! ふぃー、気に入った!」
「むん……! すっぱさが減って、甘さが増えた……? これも好み? ロッコルの実の、新たな可能性……?」
「あら~……。凄く飲みやすいわね? 果汁を薄めて甘さを足すだけで、ここまで変わるもの……?」
うむ。
どうやら反応は上々のようだ。
俺は爺さんに、その飲み物を持っていく。
「どうぞ。お爺ちゃん」
「おう、ありがとな……」
祖父は澱んだ瞳でコップを口に運び。
「おぉっ、こりゃあ飲みやすいな! ロッコルの実を使ったのか!」
予想よりも大きく反応してくれた。
て云うか、俺が作ってる姿を見ていなかったみたいだな。
「うん。ロッコルの実は、運動する人が好んで食べるんでしょう? 疲労とかにも効きやすいのかなってね」
「おう。ロッコルの実は、確かに疲れが取れやすくなるとも云われているな。それにしても、飲みやすいな。単純な果汁とも違うし、新しい飲み物と云えるかもしれねェな、これは」
「うん。運動するところから取って、『スポーツドリンク』とでも呼ぼうかな?」
「ほう! スポーツドリンクか! そりゃあいい!」
そう。
このすっぱい果汁の味と匂いは、地球世界のスポーツドリンクに似ていたのだ。
なので、薄めて甘くすれば、きっと近いものが再現できると踏んだのだ。
栄養価とか、その辺は正直、知らん。
でも、ロッコルの実の効能を考えれば、そこまで離れたものでもないだろう。
「二日酔いとかにも効くんだよなァ……。スポーツドリンク」
「おう。これだけ飲みやすけりゃ、二日酔いでも――ん? アル。お前ェ、何で二日酔いなんて言葉が出てくるんだ?」
「え? あっ、いや。飲みやすいって云ったから、ちょっと思い付いただけだよ……!」
危ねェ。口が滑った……。
疲労しているからか、爺さんはそれ以上、追及してこなかったが。
一方、キッチンではドロテアさんも飲んでいるようだ。
「あら、美味しい。これなら、すっぱいのダメな子でも、きっと飲みやすいわね。凄いわ、アルちゃん! 流石は、この私の孫よ?」
「違うわよ、お母さん。アルちゃんは、私の子供だから凄いのよ?」
「ぶー! 違う! にーたが凄い、それ、ふぃーのにーただから!」
どういう云い争いだよ。
他方、ぽわ子ちゃんは黙々とスポーツドリンクを飲んでいる。
どうやら、お気に召したようだ。
「これだけ美味しいと、商品にもなりそうねぇ……!」
ドロテアさんが、そんなことを云う。
まあ、ただ作るだけじゃ、確かに勿体ないからね。
「え~と、確かショルシーナ商会って、発明品だけでなく、新しいレシピの買い取りもしてたと思うんだよね。いっそ、売ってみるかなァ……」
「あら? ショルシーナ商会って、エルフ主宰のお店よね? 他にも商会はあるのに、どうして、そこなの?」
ドロテアさんが首を傾げた。
義理と信頼。双方の理由でございます。
(この世界には、まだ存在していない地球の料理やお菓子がある。そっちも売り込めるようになれたら良いな……)
その場合、食べ物関連は、『エッセン名義』とは別にすべきかな?
「むん……。アル、凄い……!」
ぽわ子ちゃんが、ジッと見上げてくる。
瞳はキラキラと輝いているのに、全体的には、ぽやっとしていてアンバランスだ。
すると、何故かフィーがふんぞり返った。
「ふぃーのにーた、とっても凄い! 紙から、カエルさんも作れる!」
これは行きの馬車で楽しんだ折り紙のことだろうな。
妹様の言葉を受けて、ぽわ子ちゃんの瞳は、ますます輝く。
「むむむん……!? アルは、生き物を作り出せる……!?」
そうかー……。
そう解釈しちゃったかー……。
無理です。
俺はゴッドじゃありませんので。
妙な誤解をされると困るので、実際に見て貰うか。
手を洗い、紙を取ってくる。
どうせフィーもやりたがるだろうから、ひとまとめに。
「ミル、こうするんだよ」
ササッと折って見せる。
カエルは折り紙の中では、まあ、簡単な部類に入るよね。
「むお、おおぉぉ……!」
一枚の正方形が変化していく度に、ぽわ子ちゃんが、感動しているようだ。
「これで完成。……で、おしりを押すと」
「――ッ! はね、た……!?」
紙のカエルは、ぴょこんと跳んだ。
何故か一緒に、フィーもジャンプした。
「ふぃーのにーた、凄い! 紙から、何でもつくる! ドラゴンも作る!」
考えたの、ホントは俺じゃないけどねー……。
よくドラゴンの折り方とか思い付くよね、地球の人たち。
でも、この娘には、『こっち』の方が刺さるだろう。
てきぱきと折っていく。最初は単なる期待だけだった視線が、熱を帯び始めた。
「あ、アル……! これって……! これって……!?」
ぽわ子ちゃんが、わなわなと震えている。
俺が折ったのは、この娘の大好きなもの。
この娘が求めてやまないものだ。
「むおおおおおおぉぉ……! オオウミ、ガラス……っ!」
折り紙の世界は奥深い。当たり前のようにペンギンまである。
それも、複数の作り方が。
「はい」
いくつかのタイプを折り、手渡す。
「るー……! るるるー……! るー……! るるるー……!」
ぽわ子ちゃんは天高くそれらを掲げ、クルクルと回転を始めた。
そして、何故かヒシッと抱きつかれた。
「アル……! 私も……! 私も、オオウミガラスを作りたい……!」
「めー! にーたから離れるの! にーたが折った紙! 全部ふぃーのなのー!」
「むん……! たとえフィールにも、オオウミガラスは譲れない……!」
「ふぃーる違う! ふぃーは、ふぃー云ったはず!」
ふたりの幼女様が、大声で騒ぎ始めてしまった。
「はーい。フィーちゃん、ミルちゃん、遊ぶのは、朝ご飯を食べてからよー?」
そんな両者を、母さんがまとめて抱きかかえた。
「ふぃー、急いで食べる! にーたと一緒に、紙を折る! うさぎさん折って貰う!」
「オオウミガラス……! ご飯食べてる場合では、ない……!?」
いや、ちゃんと、ゆっくり食べてくれよ。
せっかくの美味しい料理なんだからさ。
今、折り紙を持ってきたのは失敗だったな。
せめて、食べ終わってからにすべきだったか。
しかし、ひとつの可能性を見たぞ。
この世界には折り紙ないっぽいし、広めることが出来たりしないかな?
うーん……。
何か。
折り紙を何かに利用出来そうな気がするんだけど、気のせいかな……?




