第二百三十二話 デネン子爵邸では
「旦那様、一大事です」
夜。
旧知の友人と話し込んでいたデネン子爵の元に、執事が飛び込んできた。
この男は腹心の部下であり、裏も表も共有している。
その執事が一大事というのだから、よくないことが起こったのだろうとデネンは当たりを付けた。
「まさか、取り逃がしたのか……?」
子爵は、すぐにそれがバウマン家のクソガキ――フレイのことだと思い至る。
何せ、『捕獲命令』を出したのは、彼自身なのだ。
そして、帰還報告も任務達成も耳に入っていない。
執事は眉間に皺を作ったまま、首を振る。
「それ以上のアクシデントです。実行隊長のガッシュを含め、全員が捕縛されたようです」
「何だとッ!?」
デネン子爵は、思わず立ち上がってしまった。
テーブルの上の酒瓶やグラスが倒れなかったのは、単なる偶然に属する。
しかし、目撃者の子供を取り逃がすと云うのも失態だが、実行部隊が捕まるというのは、それ以上の話だ。
ガッシュが捕縛されたというのは、にわかには信じがたい話だった。
「何かの間違いだろう? あの男は、ひとりで十人、二十人蹴散らす猛者だ! へなちょこなバウマン家の手勢に、あれが倒せるとは、とても思えん」
テーブルを叩く。
グラスから酒がこぼれ、台を汚した。
「くくくく……。落ち着けよ、デネン」
その時、同じ卓について酒を飲んでいた男が、皮肉げに口元を歪ませた。
彼は友人の視線を無視し、執事に問いかける。
「ガッシュが捕まっているのは、冒険者ギルドなんじゃないか?」
「左様でございます」
執事が男に頷く。
「ギルド!? 冒険者ギルドだと? それじゃあ、何か。フレイのクソガキは、真っ直ぐバウマン邸に戻らず、冒険者ギルドに駆け込むことを選んだのか?」
完全に想定外だった。
あの子供の性格なら、何をおいても、父親であるバウマン子爵に連絡すると思ったのに。
デネンの言葉に、男は酒を飲みながら答える。
「考えられるとしたら、ガッシュを目撃したんだろうよ。それならギルドへ駆け込むのも頷けるだろう?」
「――ッ! そうか、シャークかッ!」
デネンは、足を踏みならした。
「あの筋肉ダルマなら、確かにガッシュを捕らえることが出来るだろう。やつは老練だからな! 単純な戦闘能力でもガッシュを上回るかもしれないのに、罠やペテンにも通じている。あの肉団子が出て来たなら、ガッシュが後れを取るのも仕方がない……!」
忌々しそうに爪を噛む。
その様子を見ながら、男は悠然とグラスを傾けた。
自分の予測に自信があったのだ。
「それが……ひとつ妙なことがございます」
神妙そうに云い出す執事に、両者は視線を向けた。
「パテフからの報告でございます」
パテフというのは、デネンと繋がりのあるギルド職員である。
デネンは街の重要施設に何人か配下を送り込み、情報を得ているのだ。
「パテフだと? あいつは、何を云ってきたのだ?」
「はい。ガッシュたちを連れてきたのは、確かにシャークであったそうです。現在、ギルド内部の留置所に押し込められているそうですが――」
執事は眉根を寄せ、首を傾げた。
「捕まった者たちは皆、口を揃えて、未知の怪物にやられたのだと主張しているそうで……」
「何ィ? 未知の怪物だとォ……?」
意味不明さにデネンは青筋を立てたが、酒を飲んでいた男は、グラスをテーブルに置いた。射貫くような目で、執事を見ている。
「どういうことだ? 詳しく説明しろ。まさか、俺の他にも従魔士がいるのか……?」
「何だと!? それは困るぞ!」
従魔の才は、これからの計画の要だ。
セロのギルドに従魔士はいないはずだが、もしもいるならば、うるさいことになるかもしれない。
しかし捕まった者たちは、怪物にやられたと云っている。
ただ単にどこかからモンスターが入り込んで暴れたのなら、治安維持を担当するデネン子爵家に連絡が入ってこないはずがない。
被害報告がないことからも、件の怪物はガッシュたちに対してのみ、襲いかかったと云うことになる。
ならば、その未知の怪物とやらは、誰かに使役されていたか、従っていたことになるはずだ。
「新人冒険者に、テイマーがいたのか? それとも伯爵家かバウマン子爵家が、新しく従魔士を雇ったのか?」
「それが、どうも、一口にモンスターとは云えないようなのでございます」
「バカな。魔獣でなければ、何だと云うのだ?」
「はい。パテフから伝え聞いた話では、その者は明確な知性を持ち、『神』を自称したとか」
「神だと、バカらしいッ!」
デネンは怒りにまかせてテーブルを叩いたが、男は眉間に深いシワを刻んで、考え込んでいる。
子爵は執事に詰め寄った。
「その神とやらの情報も、当然、仕入れているのだろうな?」
「無論でございます。――怪物の名は、メジェド。目から怪光線を放ち、風と水を操る異形の存在だとか」
「メジェドだぁ……? 聞いたこともないぞ、そんな奴は! それに、光線に風と水を操るだと? 魔術ではないのか?」
「いえ。詠唱をする素振りも一切見せず、直接、風を起こし、水に自分たちを沈めたのだと、捕まった者たちは云ったそうです。皆が同じ証言をしておりますので、少なくとも、そのメジェドなる怪人がいたことは間違いないかと」
子爵は舌打ちをした。
しかし、すぐに問い直す。
「そいつらが、幻覚か何かを見たという可能性はないのか? 怪しげな存在が実在したと云うより、幻術に嵌ったと考える方が、現実的な話ではないか?」
「無い、とは申せませぬ。実は、実行部隊のうちのひとりが、精神に重大な影響を受けているようですので」
「具体的には、どうなった?」
「は。パテフから聞き出した言葉を、そのまま伝えまする」
曰く――。
『かっけぇ……! あれは間違いなく、神だ。あああっ! 俺は偉大なる神に、何で刃向かってしまったのだろう……! あれこそは、世界をお救いになる尊き存在であること疑いない……! 許されるなら俺は、ここから出たらメジェド教の神官になり、世界中に偉大にして、かっけぇメジェド様を布教して回りたい……!』
どこか虚ろな瞳で、そう呟いていたという。
「バカバカしい! なら、幻覚で決まりだ。或いは、薬の類かもしれんな。狂ったのは、そいつだけか?」
「はい。他の者は、薄気味悪い怪物という認識だったようですので」
「そうか。なら良い。しかし、幻術使いか、或いは毒薬に長けた存在か。それなら、ガッシュでもどうにもならないだろうな。……待てよ。ガッシュたちを連れてきたのは、シャークだったか。とすると、冒険者時代の奴の仲間か知己と云うことになるのか……?」
デネンは考え込んでいたが、すぐにポンと手を叩く。
「一番大事なことを聞きそびれた。奴ら、この私との繋がりは、吐いていないだろうな?」
「はい。現在の所、その点については、皆が黙秘や否定をしているそうで……。ですが、ギルドには尋問に長けた職員もおります。早々に手を打った方がよろしいかと……」
「わかった。すぐに対策を考えるぞ……」
子爵と執事は、実行部隊の処遇と、これからのことを相談し始めた。
そして、傍にいる男は――。
「くくくく……。面白い! そのメジェドって奴は、ひょっとしたら精霊か妖精なんじゃないか? 奴らは人間に係わらないはずだが、全く無視する訳でもない。ひとりくらい、人に手を貸す物好きな奴がいたのかもしれん……。きっと、そうだ。なら、試せるじゃないか……!」
彼が授かったモノ。
それは、圧倒的な力を有する、前暦時代の存在。
人が及ばぬとされる精霊すら屠る、文字通りの、生物兵器。
男は、笑っていた。
それは、新しいオモチャを手に入れた、子供にも似て――。
ひとつの動乱が、セロで起ころうとしていた。




