第二百二十二話 街へ行こう!(その三)
さて、このぽわ子ちゃん。
俺は一体、どうするべきだろうか?
さっきキョロキョロしながら歩いていた冒険者か騎士は、この娘を探していたんだと思う。
流石に抜け出してきた者を連れ歩くわけにも行かないから、親御さんの元へ連れ帰るべきなんだろうか。
しかし、ぽわ子ちゃん。俺の思考を読み取ったかのように、寂しげに呟く。
「私も、アルたちと遊びたい……」
「いや、そう云う訳には」
「良いじゃんか、アル。この娘も仲間に入れてあげれば」
事情を知らないブレフが、そんなことを云う。
しかしな、親友。
この娘、星祭りの主賓だぞ?
冒険者ギルドと、セロの街の信用に関わる問題だと思うぞ?
「遊んでくると、お母さんに伝えれば、問題ない、はず……?」
ホントかな~……?
ぽわ子ちゃん、微妙に目線が泳いでないか?
「なら、お母さんに伝えて来いよ」
爽やかな笑顔で、ブレフが云う。
今度は明確に目を逸らしたな。
「私のお母さん、一応、忙しい……? だから、書き置きを、する……?」
それ一方的な通告であって、許可を取れてないよね?
ブレフはそのことに気付かず、笑顔で、
「じゃあ、ちゃちゃっと書いちゃえよ。システィ、お前、紙と鉛筆持ってただろ?」
とか云っている。
システィちゃんも、ちいさなポシェットから、折りたたんである紙と、えんぴつを取り出した。
筆記用具、持ち歩いているのか。
システィちゃんからそれらを受け取ったぽわ子ちゃんは、ぽてぽてと俺の前に歩いてきて、それらを差し出す。
「私、まだ読み書き出来ない。アルが書いて……?」
「俺が?」
まあ良いんだけどさ。
考えてみれば、俺たちくらいの年齢だと、文字を書けなくても当たり前だからな。大人でも書けない人も多い世界だし。
「で、なんて書けば良い?」
「むん? アルと遊んでいるから、安心……?」
うん。
思いっきり、俺、巻き込まれてるよね、それ。
そりゃ、ぽわ子ママとは、一応、面識あるけどさ。
「……ダメ?」
くそ。
フィーだけでなく、この娘も上目遣いをナチュラルに……。
これが女の子か! なんてことだ……!
仕方がないので、自分が一緒に遊んでいますと書いておく。
祖父母の家を巻き込むのは心苦しいが、シャークのオッサンの住所と名前も書いておこう。
そっちの方が、信頼感に重みが出るだろうからね。
「わわ……っ! アルトさん、字が凄く綺麗ですね……! 大人の人が書いたみたいな文字です」
システィちゃんが、そんなことを云う。
まあ、『ハンドル』が『インド人』に見えるような汚い字よりは良いだろう。
「ミル。こんな感じで良いか?」
ぽわ子ちゃんに訊いてみる。
この娘は字が読めないので、内容は音読だ。
「アル。ここ……」
ぽわ子ちゃんが、余白を指さす。
「うん? ここに、追加でメッセージを加えるのか?」
「文字だけだと、寂しい。何か絵を描いて欲しい……?」
なんと云う無茶振り。
まあ、別に構わないけどさ。
「んじゃァ、さらさらっと……」
デフォルメしたイラストなら、すぐに描ける。
「むん……!? むむむむ~~ん!?」
ぽわ子ちゃんが、とろんとした瞳で食い入るように見つめている。
それはそうだろう。俺が描いたのはペンギンのイラストだ。
オオウミガラスが好きなら、絶対に刺さると思ったのだ。
と云うか、オオウミガラスこそが、元祖ペンギンか。
「わぁ……っ! 可愛いです……!」
そして、システィちゃんも、目を輝かせている。女の子は、可愛いものに弱いよね。
そして、俺に抱きついたまま、震える幼女が、もうひとり……。
「にーた! これ、何!? これ、可愛い! ふぃー、これ知らない! ふぃー、これ、生け捕る!」
生け捕るのは、やめなさい。
オオウミガラスが好きなぽわ子ちゃんは、フィーやシスティちゃんの反応を見て、満足そうに頷いている。
「これが、オオウミガラス……。私の、目的……」
「おーうみ、がらす……! ふぃー、覚えた! にーた、これ、どこで見られる?」
グルッと振り向いて、俺に抱きついてくる妹様。俺もそんなに詳しくないんだがな。
「北の方だね。ずっと北」
「ゆきせーいっぱいいたところよりも、遠い?」
「いや、流石に、そこまでは遠くないかな?」
フェフィアット山の向こう側って、普通の人は行けないし。
「この手紙は、お母さんに渡せない……。私のもの……!」
そしてぽわ子ちゃんは、おかしなことを云い出したぞ?
そこまでオオウミガラスが好きか。
「めー! にーたの描いた絵! ふぃーのもの! その手紙は、もうふぃーのもの!」
妹様が飛びかかるが、ぽわ子ちゃんは、ぽわっとした動きで、それを華麗に躱してしまう。
「何でも良いから、早くしてくれ……」
ブレフが、疲れた顔で呟いた。
※※※
アルト・クレーンプットがセロに到着するより、数日前。
とある荒野に、ふたつの人影が立っていた。
そこはまるで不可解な芸術品のように、岩がねじれ、山がひしゃげていた。
地に出来た無数のクレーターも、奇妙に歪んでいる。
「神代の古戦場か……。凄まじいものだな?」
「天竜ライギロッドとエルフの高祖、『破滅』が決戦を行った場所ですからね。ご覧なさい。そこかしこが、不自然に歪んでいるでしょう?」
「うむ。これは何だ? どのような魔術が使われたのだ?」
その問いに、男はちいさく笑った。
端正な容姿と、長い耳を持つ、ある長命種の男だった。
「何も使っていない――のですよ」
「何? どういうことだ?」
「神代竜ライギロッドも、我が叔母上も、その魔力量は、想像を絶するものがある。両者の魔力は、空間すらも歪め、容易く圧壊させた。つまり、この光景は、魔術によるものではなく、その余波によってもたらされた、ちいさな結果であるにすぎないのです」
「何と――!」
耳長の男の言葉に、質問者は絶句する。
「アーチエルフとは、それ程のものか」
「ええ。現状、『破滅』と『天秤』に伍する程の実力者は、我らの中でもアジ・ダハーカくらいのものでしょうね。正直、この私でも手に余る」
「貴様よりも上なのか? 貴様とて、『特別製』であろう?」
「『特別』である程度で叔母上たちに勝てるなら、苦労はしませんよ」
耳長の男は、くつくつと笑った。
どこか、余裕のある笑みだった。
質問者は、それで落ち着きを取り戻す。
自身の『盟友』であるこの男は、根拠のない余裕を持たないのだ。
「勝つための手立てはあります。今は、その準備中と云った所ですね。ですが――」
「何だ?」
「いえ。何か、他に簡単に勝つ方法はないかと、考えておりましてね。『天秤』の叔母上は、不要なものは容赦なく処断できる性格。『破滅』の叔母上は、多くのものに、そもそも関心がないのですが――」
「ふむ?」
「人間族の世界でも、人質を取ることは有効でしょう?」
「まあな。余も、かつては他国への人質候補になったことがあったくらいだ。大切な存在を押さえると云うのは、卑劣だが、効果的な手段であろうよ」
「あのふたりにも、そんな者がいれば、話が早いのですがね。命よりも大切な存在を盾に、死を命じることが出来れば、労少なくして、最大限の効果を得られますから」
「いるというのか? 両高祖に?」
「私の知る範囲では、残念ながら、おりませんね。ただ、そんな者が出来ていてくれれば、利用できるな、くらいの詮無き妄想です。――それよりも、です」
「うむ。ムーンレインのことであろう」
その言葉に、耳長の男は頷く。
「月神の奇跡。あの噂が本当ならば、決してあってはならないことです。ただでさえ、アーチエルフと云う障害が我らの前にあるのです。神に干渉する。神の加護を得る。或いは、神の力を行使出来る。そんな存在がいれば、途方もない脅威となります」
「さもあろう。だが、余が聞いた限りでは、どうにも胡散臭い話だったようだぞ? あの第四王女ならば、或いはそのような奇跡にも手が届くかと思ったが、どうやら別人が為したことであるようだ。そして、月神の奇跡の第一候補と呼ばれている幼女は、ただのうつけと云う話だが」
「ええ。私も、あれはただの噂か、プロパガンダだと思います。ですが、何もせずに放置する訳にも行きますまい? 調査程度は、しなくては」
「相変わらず、勤勉な事よな。具体的には、どのようにして、真偽を究明するのだ?」
その質問に、耳長の男は笑った。
女ならば、誰もが見惚れるような笑顔だった。
「星祭り――と云う催しが、ある都市で行われるそうです」
「うむ。かつては貴重な星読みを招いて行われたという祭りだな」
「ええ。満天の星空の元で行われる、由緒正しいお祭りですね。件の少女が、もしも神を動かせる程の力があるのならば、星の力満ちるその夜こそ、最大の能力を発揮できるはずです」
「時期は分かった。具体的に、貴様は何を仕掛けるのだ?」
「シンプルに行きますよ。人をやって、魔獣を放たせます。それだけです。惨劇の現場となるか、本当に奇跡が起きるのか。ジックリと結果を待ちましょう」
「そうか。ジックリと、な」
「ええ。どうせ我らの計画が本格的に始動するのに、まだ数年はかかりますから。急ぐ必要も、また、ありますまい」
長き時を生きる耳長の男は、そう云って微笑んだ。




