第二百十三話 篤実の果て(中編)
「た、助けて……ッ!」
ハンナは、思わず叫んでいた。
自分と同じくらいの、ちいさな少年など、大人の男相手では役に立たないだろうとか、見ず知らずの人間を巻き込んではいけないだとか、そんな考えは浮かびもしない。
ただただ恐怖と、そして家族を救って欲しいと云う想いだけが、その言葉を走らせたのだ。
少女が叫んだことで、他の者達も、侵入者に気付く。
振り返れば、そこに整った容姿と、それにそぐわぬ、くたびれた気配を纏った子供が立っていた。
「おやおやぁ……」
ヒューホはネットリとした笑顔で、『彼』を見つめた。
この闖入者を、どうすべきかと。
「キミぃ……。どうやって、ここへ入ったのかなぁあぁ?」
「ん? 扉から、普通に」
小太りの男は、思わず舌打ちしそうになった。
『友情構築中』は誰も入れないことが決まりのはずなのに。
きっと、さっき倒した連中の身ぐるみを剥ぐのに夢中になって、子供一匹を見逃してしまったのだろう。
「んん~~、そうなのかい。でも、ゴメンネぇ。今、営業時間外なんだよ。お使いか何かで来たんだろうけど、また後にして貰えるかなぁ?」
「まあ、お使いと云えば、お使いかなァ……」
「やっぱりそうなんだねぇ。でも――」
「ああ、いや」
少年は、男の言葉を遮って、扉の外を指さした。
「外にいる人たち、あんたの知り合いでしょ? 呼んで来てって云われたんだよ」
「何だって?」
ヒューホは、片方の眉をあげた。
(用心棒どもの増援でも来たか? なら、俺を頼るのも頷けるが……)
ちいさく舌打ちをする。
せっかくいい気分で友だちづくりをしていたのに、ケチがついた気分だった。
しかし、放っておく訳にもいかない。
ヒューホは、ネットリとした笑顔で、フット一家に振り返る。
「すぐに戻ってくるから、良い子にしてるんだよぉ? まだキミ達とは、仲良くなれていないからねぇ」
どっしりとした足取りで、彼は外に出た。
変わって、少年が老人の元へとやって来る。
「怪我をしたのは、貴方だけですか?」
「あ、ああ、だが――」
「はい。じゃあ、これを使って下さい」
男の子は、ちいさなポーチを下げていた。そこから、小瓶を取り出す。
それは老人が見たことがないくらい、澄んだ色をしたポーションだった。
「ちょっと『外』を片付けてくるから、それで治療していて下さいね」
恐ろしい程の気楽さで、彼はスタスタと出て行ってしまった。
「な、何だァッ、これはぁっ!?」
一方、外に出たヒューホは、思わず声をあげた。
目の前に転がっているのは、彼の子分たち。
その誰もが、黒い縄で、身体をグルグル巻きにされている。
ヒューホは、腕輪の魔術師に駆け寄る。
他の部下たちは頭が悪くて、説明を聞くだけ無駄なのである。
駆け寄って、すぐに気付いた。
(魔術……! この黒いのは、闇の魔術か! 闇系統は、高等魔術だぞ!? まさか、治安維持局が出張って来たんじゃ、あるまいな!?)
ヒューホはネットリとした視線を周囲に走らせるが、野次馬以外は、誰もいない。
不意打ちでも仕掛けてくるのだろうか?
(念のため、装備の増強だ……!)
仲間の魔術師から、腕輪を奪い取り、手元に納めた。
次に縛めを解こうとしたが、黒い縄は鋼で出来ているかの如く、ビクともしない。
(何て硬さだ! 剣を持っていても、切れるかどうか……! だが、何とか、ズラすくらいなら……)
身体強化の魔術を使い、力一杯に引っ張った。魔術師は痛みでもがいたが、知ったことか。
口をきけるようにして、情報を仕入れねばならぬ。
「おい。これで喋れるな! 誰にやられた!? 騎士団か? 冒険者か?」
「う、うぐ……。が、ガキだ……!」
「あ? 何だって?」
「だから、あんたの後ろにいる、そのガキに――」
ヒューホは背後を振り返る。
そこには、あの子供がいた。
つい先程、店の中に入ってきた、少年が。
「……どういう事なのかなぁ? まさか、これはキミがやったのかい?」
冷静の仮面を被り、問いかける。
目の前の子供は、自然体の無表情で、感情を読むことが出来なかった。
「どうなんだい? 答えてくれるかなぁ?」
「ん? 簀巻きにしたのは、俺だけど」
「ははっ! ちょっと信じられないなぁ。それじゃ、キミは何かい? その幼さで、魔術を使えるとでも云うのかい?」
「まあ、少しだけなら」
その言葉を聞いて、ヒューホは笑い出した。
この子供の行動が、見えて来たのである。
「あっははは! 成程、成程ぉぉ~~。キミは少し魔術が使えるからって、調子に乗ってみた訳だ? 普通の子供にこんなことが出来るはずはないが、特化型の術師なら、その限りではないからねぇえぇ。キミ、闇系統の特化術士なんだろう?」
「闇系統は便利なんで、まあ、使うかな。でも特化型じゃァ、ないと思うな」
「ダメダメ。そんな言葉で実力を韜晦したつもりなんだろうけど、ボクには、お見通しだよぉ?」
チッチッチと指を振る。
本来は高等魔術の闇属性だが、特化型なら、使えても不思議はない。そして、そのことは、弱点でもある。
特化型の魔術師は特定の系統には優れるが、それ以外はてんでダメと云うのが、お決まりだ。
つまり、この子供は、闇の魔術しか使えない。
だから特化型じゃないと云い張っているのだ。
「おいたをした子供を躾けるのも、大人の役目だ。少ぉ~~し痛い目を見て貰うけど、これは仕方のないことなんだよ。分かってくれるかなぁ?」
「悪さをしたら、罰せられるのは、大人も一緒だろう。別に子供だけの話じゃないと思うけど」
「ん? キミは一体、何を云いたいのかなぁ?」
「いや。だからさ。アンタ、クズなんだろ?」
少年は、淡々と指摘した。
ヒューホはネットリとした笑顔を浮かべたまま、このガキを殺す事に決めた。
もう少し従順な態度なら、顔を焼いて手足を折るくらいで許してやるつもりだったのだが。
「うっくくく……! 優しいお兄さんであるボクが、キミに貴重な体験をさせてあげよう。生まれ変わりの機会だよ。普通の人が経験することのない、死出の旅だよぉ」
「あ。間に合ってます。それ、現在進行形で満喫中なんで」
「嘘はダメだよォッ!」
ヒューホは、少年の左右に魔壁を展開した。これでプレスしてあげるのだ。
何度も叩き付けて、肉と骨を砕くも良し。ゆっくりと締め付けて、圧死させるも良し。
ヒューホお気に入りの処刑方法だった。
「キミぃ! サンドイッチは、お好きかなぁッ!?」
闇の魔術では、魔壁サンドは防げない。ヒューホはそう思い、実行した。
――が。
「あ、あれ……!? あれれーっ!?」
まるで、目に見えないつっかえ棒でもあるかの様に、左右の魔壁は、プレスの途中で止まってしまった。
意味が分からなかった。
これでは、『子供サンド』が作れないではないか!
「サンドイッチ、大好きだよ。あまり細かくしすぎないで、大きめに潰したタマゴサンドが特に好きかな? でも、フルーツサンドは、個人的にイマイチだと思う。あと、値段が高いのに腹に溜まらないのは、ちょっと困るよね。腹が減ってると、結局、おにぎりの方を買っちゃったりさ」
少年は、まるで世間話でもするかのように、ヒューホの質問に答えていた。
魔術が発動している様には見えない。
このバカな子供は、ヒューホのやったことも知らず、ただただ質問に答えているだけに見える。
「もう二枚、追加だぁあぁッ!」
動かなくなった魔壁の外側に、新たな魔壁を作り出す。
そして、まるで蚊でも潰すように、今度こそ、左右から思い切り叩き付けた。
――が。
「う、動かないぃぃぃ! 何でぇぇぇ! どうしてえぇぇぇッ!?」
またもピタリと、止まってしまった。
何が起きているのか、理解が出来ない。
(まさか、このガキが何かを……? いや、そんなことは、あり得ない……!)
ネットリとした視線で睨み付ける。
すると少年は、ほんの少しだけ首を傾げた。
「チンピラに身を持ち崩すだけあって、おじさん、あんまり魔力、強くないんだね」
ヒューホは魔導士としての心の拠り所を侮辱され、叫び声を上げた。




