第二百十二話 篤実の果て(前編)
モニク・フットは王都にある魔道具店店主の孫娘であり、祖父母と妹の四人で、慎ましく暮らしている。
祖父は魔道具技師で、家兼店の中にちいさな工房を構え、日々、魔道具を作っている。
彼女の祖父は正真正銘の人間だが、色々な人に「ドワーフかよ」とぼやかれる程の職人気質の凝り性で、良い品や高額の品を作り上げても、気に入らない相手には売らなかったり、逆に、これはと見込んだ相手には、採算度外視で安く売ったりするので、生活はさして豊かには、ならなかった。
ただ、モニクは『それで良い』と考える。
貯蓄のしづらい祖父の生き方に危機感を覚えないと云えば嘘になるが、真っ当に商売できることを、素晴らしいと思うのだ。
実はフット家は、他国者であって、ムーンレイン王国出身者ではない。
フット一家は別の国で魔導具職人をやっていたが、家族ぐるみで付き合いのあった男に騙され、逃亡を余儀なくされたのである。
誠心誠意相手に尽くし、その結果が、無残な裏切りだった。
篤実の果てが一家離散では、あんまりではないかと思う。
モニクには父も母も健在だが、両親は他国へ逃れている為、会うことが出来ない。
たまに届く偽名の手紙だけが、か細い繋がりとなっている。
だが、一生懸命に生きていれば、きっと再会が叶う。
その希望を胸に、彼女は今日も働くのだ。
「お姉ちゃん、書けた!」
商品棚の清掃をしていると、年の離れた妹のハンナが、紙を持って駆け寄って来た。
「こ~ら、ハンナ! お店の中で走っちゃダメって、いつも云っているでしょう?」
注意しながらも、モニクの表情は明るい。
彼女は、まだ五歳の妹が、可愛くて仕方がない。
それに、「書けた」と云う言葉も嬉しかった。
平民のフット家ではあるが、祖父が魔道具技師だけあって、最低限の読み書きを学べる環境にはある。
かつてはモニクも一生懸命勉強したし、ハンナも今、こうして文字を学んでいる。
それは両親に手紙を書くためであり、そして、店の手伝いをするためでもあった。
モニクはこの幼い妹を健気だと思う。
貴重だと思う。
この子が幸せに暮らしていける環境を、整えてあげたいと、強く思う。
しかし幸せとは、淡雪の如く儚いもので――。
店の外から、騒ぎ声が聞こえた。
ガチャンと云う、破壊音も。
モニクはハンナを下がらせ、少しばかり扉を開け、外の様子を窺う。
(あれは――!?)
彼女は、息を呑む。
目の前の通りで対峙している男たちに、見覚えがあったからだ。
片方は、近くの飲み屋が、最近雇った用心棒たち。
そして、その男たちに対し、ひとりで向かい合い、薄笑いを浮かべている小太りの男は――。
(評判の悪い、チンピラだ……!)
モニクは自身の記憶から、アレがあちこちの店から金を巻き上げている札付きの悪党だと思い至った。
男――ヒューホは、ネットリとした笑顔のままで、用心棒たちに語りかけている。
「酷いなァ……。いきなり襲いかかって来るなんて。ボクが何をしたというんだい?」
「ふざけるな! 俺たちのいる酒場から、金と酒を巻き上げようとしただろうが!」
「ボクは友情を確かめ合おうとしただけだよ? 云い掛かりは、よしてほしいなぁあぁ」
ヒューホがわざとらしく肩を竦める。男たちは、それを挑発と判断し、激昂した。
少し離れて、割れた鉢植えと、伸びた用心棒のひとりが見えるが、あれが先程聞こえた『音源』なのだろう。
「野郎……ッ!」
男のひとりが殴りかかるが、ヒューホの掌には既に風の魔術が発動し、たゆたっている。
「ぐあ……ッ!」
一瞬のうちに男は吹き飛ばされ、壁に叩き付けられた。
「成程。そいつがお前ご自慢の魔術って訳か」
「ふふふ。ちょっとしたものだろう?」
ヒューホのネットリとした薄笑いに、三人の男たちは、侮蔑の笑みを返した。
そして、それぞれが短いロッドを取り出す。
「ほほう。キミらも魔術を使うのか」
「三対一。加えて、魔力増強のロッド持ちだ。どうにかなるなんて、考えるなよ?」
男たちは勝ち誇った笑みを見せた。
ヒューホの背後から腕輪の魔術師が進み出て加勢しようとするが、彼は無言のまま手で制す。腕輪の魔術師は、黙って身を引いた。
「たった三人でボクに勝てると思うなら、試してみたまえ。――ああ、でも、キミらとは、まだ友人ではない。だから、あとで授業料は頂くよ?」
「ざけやがって!」
三人は、一斉に魔術を放った。
しかしヒューホの展開する風の魔壁に阻まれてしまう。
「な、なに……っ!?」
「バカな、三人分の魔術だぞ!?」
男たちは驚くが、ヒューホはネットリとした笑顔で、首を振る。
「足りない足りない。この程度では、ボクの魔壁を打ち破るなんて、とてもとても」
そしてそのまま、ジリジリと前進する。
「お、押される……!」
「ふふふ。魔壁には、こういう使い方もあるのだよ」
「ぐ……ぐげ……!」
ヒューホは魔壁をそのまま前進させ、用心棒たちを建物の間へ押し込み、サンドしていく。
「サンドイッチはお好きかな?」
身動きが取れないその場所へ、もう一枚、魔壁を叩き付ける。
男たちは頭をしたたかに打ち付け、血を吹き出して、動かなくなった。
「流石はヒューホさんだ!」
「三人がかりでも相手にならねェや!」
取り巻きたちが駆け寄ってくる。
彼はネットリとした笑顔で、意識をなくした男たちから、『授業料』を貰っておくように指示を出した。子分たちは、嬉々として財布や持ち物を奪っていく。
そして。
「ひっ……!?」
唐突に振り返る。
モニクと目が合ってしまった。
「やあ。可愛いお嬢さん」
どっしりとした足取りで、真っ直ぐ店へと向かってくる。
驚きと恐怖で扉を閉める動作が遅れてしまい、その間に、ヒューホに扉を掴まれてしまった。
まるで、逃がさないとでも云うように。
「ここ、魔道具の店だろう? 探してたんだぁ……。このお店」
「な、何か……ご用でしょうか……!?」
「ご用だとも。実はボクは、友だち作りが趣味でねェェェ……。ここの店主さんとも、是非、お友だちになりたいなと」
ネットリとした笑顔の男は、完全に入り込んでしまった。
怯えるモニクを他所に、キョロキョロと店内を見渡している。
「ふぅーーん。あまり見ないタイプの魔道具が多いね。最近は似たり寄ったりの品物を作る、つまらない店も多いからね。……ここは、当たりだったかな?」
ヒューホは舌なめずりをした。
同時に、店の奥から、頑固そうな老人がやってくる。
「……ん? 何か騒がしいと思ったら、客か?」
「お、お爺ちゃん……!」
縋るような瞳で、モニクは祖父を見た。
ヒューホは老人に話しかける。
「客ですとも。尤も、客は客でも購入客ではなく、店主さん。貴方個人へのお客ですけどねぇ」
薄笑いを浮かべる小太りの男を、老人はジッと見つめる。
そして、首を振った。
「お前が誰だかは知らんが、帰るといい。嫌な目つきだ。相手をするつもりはない」
「酷いなぁあぁ。ボクたち、まだ、ろくに会話もしていないじゃないですかぁ。少し話してみてはくれませんかねェ? これでもボク、気の良い男で通っているんですよォ?」
「帰れと云ったぞ!」
迫力のある怒声だった。
しかし、ヒューホは薄笑いを崩さない。
そのまま老人に歩み寄った。
「ボクは貴方と友誼を結びに来たのですよ。ね? 仲良くしましょうよ?」
「断る。――確信したぞ。貴様は悪党の類だ! そんな奴と、結ぶ友誼は無いッ!」
「悪党とは酷い云い種だなぁ。ん~~……。仕方ない。『お友だちの印』を付けちゃおうかな?」
ヒューホは、無遠慮に老人の腕を掴んだ。素早い動きだった。
力が強いらしく、老人は痛みで呻き声を上げる。
「お爺ちゃん!」
「ほら、これが友だちの証ですよぉ」
「ぐあああああああああああああああああ!」
じゅうじゅうと、肉の焼ける臭いがした。
掴んだ手から熱を発し、老人の腕を焼いているのだ。
「きゃあああああっ! お爺ちゃん!」
姉の叫び声が聞こえたのだろう。妹のハンナが、奥から飛び出して来た。
「どうしたの、お姉ちゃん。――お、お爺ちゃん!?」
「ボクが印を付けてあげると、皆、不思議と仲良くしてくれるようになるんですよね。どうですか? 貴方も、ボクと仲良くしてくれますかぁ?」
「お爺ちゃんを放せ!」
ハンナが体当たりをする。
しかし、五歳の少女だ。分厚いヒューホの肉体に、簡単に弾き飛ばされてしまう。
「えぇ~~っ、何するのさぁ。家族ぐるみで酷いなぁ。そうだ。良いことを思い付いたぞ? 家族仲良く、全員のお顔に『印』を付けてあげよう! そうすれば、毎日、ボクのことを思い出して貰えるようになるよねぇ?」
「――ッ!」
モニクと老人の顔が青ざめた。
ヒューホは、老人を放り投げる。
「レディファーストだよ。お爺さんは、あとでね?」
「や、やめろ! 孫たちには、手を出すな!」
「はははは。大袈裟ですよぉ。これは単なる友好の印です。握手なんかと、変わりませんって」
ボウッ、と、ヒューホの掌に、火が灯る。
小太りの男は、のしのしとモニクに近づいていく。
「ひっ……!」
「はい。まずは、キミから~。安心して? 妹さんにも、同じことをしてあげるから」
「やだ! やだぁッ! だ、誰か助けてッ!」
「んん~~。残念。店の外は、ボクの仲間が固めてるんだよねー? 皆さんと仲良くなれるまで、邪魔は入らないんだなぁ……」
ネットリとした笑顔のまま、ヒューホはモニクの顔に、手を伸ばした。
「いやああああああああああああああああああッ!」
「――あれれ?」
小太りの男は、不審そうに首を傾げる。
「ボクの炎、消えているじゃないか? 変だなぁ。魔術を解除した覚えなんてないのにさぁ」
モニクは恐怖で呆然としていた。
老人も、孫娘と、小太りの男から、目が離せない。
幼いハンナだけが、それに気付いた。
閉まっていたはずの、扉が開いていることに。
――そこに、自分と同い年くらいの、ちいさな少年が立っていた。




