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妹のいる生活  作者: むい
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第二百八話 エッセン先生の憂鬱


「あぁ~~っ、シチューが食べたい! シチューが食べたいわ~~っ!」


 フィーを抱えたままの母さんが、ゴロゴロと床を転がっていく。

 俺は机に向かって四級試験の勉強中なので、ローリングアタックに巻き込まれずに済んだ。


「痛っ!」


 と、思ったら、マイマザー(フィーリア巻き)が、体当たりをかまして来やがった。

 床に座るタイプの机は、これだから。


「ふぃー、シチュー好き! おかわりする!」


 ここだと、シチューは滅多に出ないからね。

 薄いスープは出るんだが。


 厨房のオッサン――ヘンクの腕が良いのでそんなに不満は出ないが、本館からは、あまり良い食材は回して貰えない。

 なので、献立は豪華とは、云い難い。


 まあ、お腹いっぱい食べられる時点で恵まれているだろう、と云われれば、反駁も出来ない。

 貧民はこの世界にも当然いて、食うや食わずの生活を送っているのだから。


「あぁ~~っ! アルちゃんやフィーちゃんのご飯は、お母さんが作ってあげたいのに! シチュー、作ってあげたいのにぃ!」


「ふぃー、クリームシチューが好き! でも、ビーフシチューも好きッ!」


 各々が勝手なことをほざいて、床の上を転がり回る。

 これ、地球世界で起きていたら、俺は黙って図書館にでも出かけたろうな。


 エイベルームにでも避難したいが、生憎と、うちの先生は留守にしている。

 主不在の屋根裏部屋を勝手に使う訳にもいくまい。使っても、たぶん、怒らないだろうけれども。


(いっそ、工房で勉強するかァ……?)


 いや、無駄だな。

 きっと、ふたりとも付いてくる。


 場所が変わって、状況が再現されるだけだ。

 工具とかある分、向こうの方が危ないしね。


「ねえねえ、アルちゃん、アルちゃん! 週一回くらいでも、お母さんがお料理できるように、ならないかしら?」


 いや、そんなこと、俺に云われても。


 ただ、無理そうな気はする。

 あのオッサン、拘りが凄いからな。


 厨房内の道具を勝手に動かすだけで怒られると、ミアも涙ながらに云っていたくらいだし。


「にーた、にーた。ふぃー、シチュー食べたい!」


 何か妹様の中で、シチューが「好き」から「食べたい」へシフトしているぞ?


 シチューを作りたい母さんと、シチューを食べたいフィーか。


 このままだと、収まりが付かないだろうな。

 近くで転がられると、俺も勉強に集中出来ないし。


「……ちょっと、ヘンクの所に行ってくるか」


 仕方がないので、俺は勉強を中断して立ち上がった。


※※※


「バカなことを云うな。ダメだ、ダメだ!」


 ヘンクの返事は、にべもない。

 予想通りだから、別にへこむことも無いのだが。


「どっちもダメ?」

「当たり前だ!」


 シチュー作りたいも、シチュー食べたいも、どちらも却下されてしまった。


「えぇ~~っ!?」


 とか云う声が後ろからステレオで聞こえてくる。

 こういうところは、本当にそっくりな母娘だな。


「ふぃー、シチュー好きなのに、食べられないの……?」

「うぅ~~っ。久しぶりに、お料理したかったのにぃ……」


 悲しそうな声を聞くと何とかしてあげたいとも思うけれど、これって、ささやかな願いではなく、どちらかと云えば我が儘に属する話だからね。あまり積極的に叶えてやろうとまでは、思えない。


「俺は忙しいんだ! 話が済んだら、さっさと出て行ってくれ!」


 ヘンクの作業は、調理だけではない。

 厨房の掃除も、道具の手入れも、彼がやっている。


 仕入れ――と云うか、本館から回して貰う食材の交渉も忙しいらしい。


 知っての通り、我がクレーンプット家は、トゲっちに嫌われている。

 だから、グレードの低い食材が回される。


 しかし一方で、使用人たちは良いとこの出が多かったりする。

 離れ勤務の使用人の食事も、当然、この厨房で作られる訳で。


 俺ら親子への嫌がらせに血道を上げることに熱中し、貴族階級出身の使用人にまで被害が行くのはマズい。

 だから、最低限の品質は保証されると云う、何とも中途半端な状況になっているのだ。


 その辺を踏まえて仕入れ交渉をしているのがヘンクなので、あまり迷惑は掛けられない。


 他にも、以前、毒キノコを持って来たいい加減男のフスみたいなのが問題を増やすのだから、彼の苦労も汲んでやるべきであろう。

 今日が奴の担当する水曜日だしさァ……。


「だってさ。諦めよう」


「うぅ~~っ、残念……」


「みゅみゅ~~……」


 このふたりもある程度の事情は分かっているので、不承不承ではあるが、それ以上、ダダをこねようとはしなかった。素直なところも、あるのよね。


「うん? あれは……?」


 最後に調理場を振り返り、ある道具が目に止まる。

 ヘンクは、それに気付いたようだった。


「何だ坊主。これが気になるのか?」


 彼は、それを手に取った。


「坊主はこんなもの見ても、何に使うのか、分からないだろうな」


 いやいや。調理器具の発達した世界から来たので、下手をすれば、本職のそちら様より、詳しいかもしれませんぜ? 

 この世界に存在しないものも、知っておりますからな!


 それに、その器具は……。


「こいつァ、最近、仕入れたんだがな、中々に便利な道具だよ」


 ご購入いただき、ありがとうございます。

 そちらの商品、ピーラーは、わたくし、シャール・エッセンの発明品でございます。


「調理は俺の仕事だが、皮むきくらいは、メイド連中にも手伝わせることがある。そんな時は、こいつを使うのさ。これなら、怪我はしないし、早いからな」


 ちょっとしたもんだろ、とか、何故かヘンクがドヤ顔している。


「俺が教えてやったら、本館のコックも採用を考えると云っていたぜ? 良い道具を素早く見つけられることも、調理人の力量のうちさね」


 ま。売れてくれるなら、おいらは何も云いませんがね。


 結局、俺たちの要求は空振りに終わった。


 そして問題は、その『後』にやってきた。

 厨房を出て、廊下を歩くと、背後から声が掛かったのだ。


「よう、見てたぜェ……?」


 耳障りな声に振り返ると、水曜日担当のいい加減男、フス・ボックが立っていた。

 どうやらこの男、西の離れに来ていたらしい。


 フスは、いやらしい笑みを浮かべていた。

 あまり長時間、見ていたいと思える笑顔ではない。


「アンタ、自分が調理したいんだってなァ……?」


 フスは、嫌な笑顔で母さんを見る。

 温厚な母さんですら、笑顔が引きつっている。


「どうなんだよ? したいのか? したくないのか?」

「それは……したい、ですけど」


「ふぅーん。そうかい。じゃあ、俺が一肌ぬいでやるよ」

「え?」


「その望みが叶うように、ちょっとだけ口添えしてやるって云っているのさ」


 フスは含み笑いをした。


 この男は間違っても『善』の側の人間ではないし、俺たち家族を見下しているはずだ。

 額面通りに尽力してくれるとは、とてもじゃないが、思えない。


「……何を企んでいるんだ?」


「おいおいおいおい。そりゃあないぜ? 俺は善意で云ってやってるんだ。人の厚意を素直に信じられないガキなんて、動物以下のクズだと思うぜ?」


 そういう云い方をするから、微塵も信用出来ないんだが。


「働かずに好き放題過ごし、おまけにタダ飯まで出てくる。まるで王侯貴族の生活じゃぁねェか。俺のように、日々、額に汗して労働に勤しむ平民からしたら、夢のような暮らしだよなァ、おい? そんな、お気楽ぬるま湯状態から少しでも脱却しようなんて、泣かせる話だ。手伝ってやろうと思うのは、当たり前の話だろう?」


「余計なお世話だよ」


「手前ェにゃあ聞ィてねぇんだよ、クソガキ! 俺は、こちらのご婦人に、意志を確認しただけなんだからよ。世話されるだけの存在が、偉そうに一丁前の口をきくんじゃねェッ!」


 何だこいつは。まるっきりチンピラじゃないか。

 天下の侯爵家が、こんな奴を雇うなよ。


 するとフスが大声で凄んだからか、フィーが俺を庇うように前に出た。


「にーた虐めるなら、ふぃーが許さないの!」


「おーおー、幼い妹に護って貰えるとは、立派なお兄ちゃんだねェ……。年下のガキに庇って貰えるってのは、どんな気分なんだ? 教えてくれよ? なぁ?」


 何故か勝ち誇った顔をしている。上手いこと云ったつもりなんだろうか?


「年下のガキに凄んでマウント取った気になるってのは、どんな気分なんだ? 教えてくれよ? なぁ?」


「……ッ! このクソガキがッ!」


「お前等、何をやっている!」


 フスが激高するのと同時に、ヘンクのおっさんが出て来た。


 フスは舌打ちをし、


「何でもねェよ」


 と呟いた。


「まあ、いいや。そのご婦人の望み、この俺が叶えてやるから、期待しててくれよ?」


 フスは、薄笑いを浮かべて去って行った。


 嫌な出会いだった。

 せっかくの一日に、ケチが付いた気分だよ。


 しかし、この事が、余計なトラブルに発展しなければ良いのだけれど。


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― 新着の感想 ―
[一言] チンピラその者のフスに何かを頼むことか、不思議。
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