第二百六話 六歳になったかもしれない
神聖歴1205年、六月。
俺様こと、アルト・クレーンプットは、六歳になった。
いやー、長かった。
前世と比べて、思い出の密度がハンパない。
五歳から六歳の間と云えば、幼稚園から小学生にあがる年齢。
地球世界の当時だと、そもそも憶えていることが、そんなにないぞ?
ランドセルを買って貰って嬉しかったとか、勉強机を選ぶのが楽しかったとか。
幼稚園で仲の良かった友達と再会を約束して、結局、一回も会うことがなかったとか。
そう云う断片だけが、かすかに残っている。
元の世界だと、小学生から文字を習い、体育が始まるが、今世の俺も、六歳から、剣や槍の稽古が始まった。
幸い、日々ソリを曳いたり、馬に乗ったりしたおかげで、体力はある。
間違いなく、前世の同い年の時よりも、ある。
問題なのは、基礎体力量が増えたところで、消費量が上回れば、当然、ブッ倒れると云う、当たり前の理屈だ。
「ぐえ~~」
情けない声をあげて、俺は芝生の上に突っ伏した。
「どうしました! しだらないですよ! 高祖様と魔術戦を行う時は、もっと機敏な動きだったはずです!」
練習用の槍を構えたヤンティーネに、どやされる。
ご指摘はごもっともで、単なる肉体労働だと、どうにも調子が出ない。
魔術を絡めると、それなりに動ける気がするんだが。
なお、去年から走り込みその他はやっているので、素振りもやるが、いきなり打ち込みも開始となった。
試合ではないのだが、それでも指導と称して、ティーネは容赦なく槍を叩き付けてくる。
こっちの振るう槍も弾き落とされるので、疲労と痛みがハンパない。
結果として、俺はへたり込んでしまうと云う訳だ。
「めー! にーた虐める、ふぃーが許さないの! ふぃーが相手するの!」
ティーネの前に立ちはだかり、園芸用のスコップをエルフの女騎士にビシッと向ける妹様。
三歳児に庇われるって、考えてみたら末期だよなァ……。
天秤の人の時は、そんなことを考える余裕もなかったけれども。
「……アルは無駄な動きが多い。出来ないことを、出来るように動こうとする。魔術はそれでも対応出来るだけの才覚があるけれど、剣や槍は、基礎練習が大切」
擦り傷やら打ち身やら、それらを治療してくれながら、エイベルが云う。
自分が使われる側になって改めて分かる、高祖印のポーションのありがたさよ。
地球世界の消毒液なんか目じゃないくらい、よく効くんです、これ。
筋肉痛も、たちどころに雲散霧消よ。
「さあさ! 立ち上がって下さい! そんなザマでは、立派な騎士にはなれませんよ!?」
騎士とか目指してないから。
命の危険のある職業と職場とは、無縁でありたいのです。
しかし、ティーネの云い分にも、一理ある。
何と云うか、彼女の槍は天性の才能ではなく、努力と修練によって練り上げられた技なのだと分かるのだ。
凄い! とか、強い! と思うよりも先に、
「頑張ったんだなァ……」
と云う感想の出る槍さばきなのだ。
いい加減な推測だけど、単純に技量を比較した場合、蜥人の戦士ラガッハや、雪の騎士シェレグには、遠く及ばない気がする。
氷穴で死んだリュネループの女魔術師も剣を使ったが、おそらく、あれにも届くまい。
それでも彼女は、商会の警備部。
聞いた話では、魔術抜きでも、並みの騎士や冒険者では歯が立たないレベルの強さなのだ云う。
前述の通り、俺は戦士にも騎士にもなるつもりはないが、才能ではなく、努力で強くなったこの人を見ていると、もう少し頑張るか、とは思える不思議。
「よいしょ~~……」
槍を杖代わりにして、立ち上がる。
さて、ボコられの続きと行きますか。
※※※
「にぃさま、ふぃーがマッサージ、頑張りますね!」
「おうー……。頼む~……」
返事が出来ただけ、偉いと思う。
自分で自分を、褒めてやりたい。
体力は、すでに空っぽだ。
顔を向ける気力もない。
それでもフィーは、心底楽しそうに実行する。
この娘にとっては、俺に触れられることが何よりも嬉しいらしい。
その様子を、エイベルがジッと見ている。
薬を使ったのにマッサージをしているのが無駄にでも思えるのかな?
だが、これは肉体ではなく、心を癒す行為なのだよ……。
(それとも、まさか、混ざりたいだけとか?)
流石にそれはないか。
「ふへへへ……! ふぃー、にーた好きッ!」
そしてフィーはマッサージの途中で、俺に甘えることを選んでしまった。
今の俺は汗と泥で汚れているので、あまり抱きつかないで貰いたいのだが。
「大丈夫! ふぃー、にーたの汗の匂い好き!」
「えぇー……?」
くっさいだけだと思うんだが。
「ふへ~~っ! ふぃーの大好きな匂い……!」
やめて!
恥ずかしいから、スーハーしないで!
「アルちゃあぁん、お疲れ様~ぁ」
母さんがミアを伴って中庭へとやって来た。
マイマザー、随分と機嫌がいいが、何かあったのだろうか?
「こちらをどうぞ」
そしてミアは、まるで出来るメイドの如く、スッとタオルと飲み物を出してくれる。
「あ、ああ……。ありがとう」
汗をぬぐってから、喉を潤す。
当然のことながら、タオルを持ったままでは飲みにくいので、拭いたタオルは、ミアに返す。
「――ハッ!?」
俺はそこで、駄メイドの策略に気付いた。
フィーというモデルケースが目の前にいるのに、迂闊な話だ。
「くふふ……っ! アルトきゅん汁をたっぷりと吸い込んだ神秘の布を、ゲットですよー!」
こいつ……!
俺に警戒させないために、あんな控え目な態度をし、飲み物とタオルの同時出しをしやがったのか!
「にゅふふ。これは、我がヴェーニンク男爵家の至宝として、子々孫々、伝えていきますよー!」
「くっ……! 返せ……っ!」
「返せませんねー。これはもう、ミアお姉ちゃんのものですねー」
へとへとだった身体では、取り返すことが出来ない。
踏み出そうとして、膝をついてしまう。
ミアはタオルを両腕で抱きしめて、幸せに満ちた顔をしていた。
メイド服が臭くなるから、本当にやめるんだ!
「めー! にーた、ミアちゃんと遊ぶんじゃなく、ふぃーを構うの!」
「遊んでねェッ……!」
「まあまあ、フィーちゃん。怒らないの。アルちゃんも、落ち着いて? お母さんが、良いお話を、持ってきたから」
ふわっと俺たち兄妹を抱きかかえるマイマザー。
だからさ、貴方も臭くなっちゃいますよ?
「大丈夫よー。大人と違って、子供の汗って嫌な臭いがしないもの」
「くふふふ……。奥様は、目の付け所が、とても素晴らしいですねー。アルトきゅん汁が、悪臭を放つわけがないんですねー」
くそッ、話が進まない。
奪還は諦めるしかないのか……!
「それで、母さん。良い話って、何?」
「そう! そうなのよー! アルちゃんとフィーちゃんに、グッドニュースがあるの!」
うん。明るい笑顔だ。
この分なら、本当に良い話題なんだろうな。
でも、マイマザーのことだ。
母さんの中でのみ、良い話題なのかもしれない。
「実はね、お父さんから、お手紙が来たの!」
お父さんってのは、ステファヌス氏のことじゃなくて、セロに住むシャークさんの方かな?
同じ敷地内に住んでいるなら、わざわざ手紙なんて――。
(いや。コッソリと連絡を取りたくて、と云うパターンもあるのか?)
わからん。
が、考え込む意味もない。
どちらなのかは、すぐに母さん本人の口から、判明することだろうから。
「お父さん、今年も帰って来い、孫の顔を見せに来いって書いてきたの」
ああ、祖父の方だったか。
それで良いニュースってことは……。
「外出許可が出たの?」
「ええ! ステファヌスが、頑張ってくれたわ! で、アルちゃんの四級試験の後に、実家に遊びに行けるのよー!」
前回、セロへ行ったのは六月だった。
四級試験は、来月なので、七月だ。
だから、一年は過ぎてしまうな。
でも、外出は嬉しい。久々に、ハトコ様たちにも会えるのかな?
(システィちゃん用のアクセサリはちゃんと作ったし、ブレフの剣は、まだ完成していないけれど、ちょっと変わった『代替品』は、用意したんだよね……)
気に入ってくれると良いんだけれど。
「あっ!」
俺は思わず、声をあげた。
試験後ってことは、落第してたら恥ずかしいってことじゃん!




