第二百五話 指相撲
(前から思っていたけど、エイベルって初心な性格しているよなァ……)
ずっと対人関係が淡泊だった反動なのだろう。ちょっとのことで照れ、そして、動揺してしまうようだ。
と、云っても、無関心な者には、何を云われても何とも思わないんだろうけれども。
その辺、ちょいと極端だ。
ただ、俺のことを少しでも大事に思ってくれているなら、それはとても光栄なことだと思う。
俺は眠るフィーをしっかりと片手で抱え直し、残ったほうの手で、エイベルの手を握った。
「――っ」
ぴくん、と身体を震わせるエイベル。
安心させるために、前世で培ったスマイル技術を全開で振り向ける。
「俺も、エイベルが大事。だから、この花を見せてくれて、嬉しく思う」
「…………………………………………ん」
エイベルの反応は、一言だけ。
けれども、きっと密度がある。
「……アル」
「うん?」
「……私は、喋ることに慣れていない」
知っている。
でも、伝わることは、たくさんある。
エイベルは、握る掌に力を込めた。
「……アルは、私と過ごしてくれると云ってくれた。けれど、私が語れることは、あまり無い。だから、こうして一緒の時間が出来ても、気の利いたことは云えないし、楽しませてあげることは出来ない」
「いや、楽しいから」
そこはエイベル本人にすら、否定はさせないよ~。
「喋ることだけが、満たされた時間じゃないでしょ」
「……もう。アルは、いつもそう。……私の、安らぎ」
エイベルは、それ以上、何も云わず、ただ静かに、手を握り返してくれただけだった。
ただ、これだけ。
でも、それだけで良い。そう思った。
(……あれ?)
視界に入った名も無き花が、少しだけ光っているように見えた。
※※※
「むむーっ? ふぃー、寝てた? ふぃー、確か、可愛いお花を摘もうと思ってた!」
塔を出てすぐ。
まるで魔術か呪いでも解けたかのように、妹様が目をさました。
フィーはすでに塔から出たことにお冠で、ぷくーっと頬を膨らましながら頬ずりしてくるという、器用なことをしている。
まあ、花を摘まれてもエイベルが困るだけだろうから、ここは我慢して貰うしかない。
撫でて誤魔化そう。
「ほら、フィー。なでなで~」
「きゃー! にーた、ふぃーを撫でてくれた! ふぃーが、お願いしてないのに、なでなでしてくれた! ふぃー、ご機嫌! ふぃー、にーた好き!」
うん。
幸せそうで、なによりだ。
ご機嫌と云えば、少ない時間だったのに一緒に花を見たからか、エイベルも若干嬉しそうな気がする。
……表情が変わらないから、確証はないんだけれども。
まあ、俺の服の背中の部分をつまんでいるから、ハズレてはないと思うんだが。
「フィー、母さんたちの所に戻るぞ」
「ふぃーの帰る場所、にーたの腕の中だけ! 帰る違う! 行く正しい!」
この娘はまた、妙な理屈をドヤ顔で……。
ふんす! と息を吐きだし頬ずりしてくる妹様と、背中をつまんだままのエイベルを引き連れて、俺たちはエイベルハウスに戻った。
※※※
「エイベル! この私を見捨てるとは、何事ですか!」
開口一番、リュティエルはそんなことを云う。
若干、涙目になっているが、何かあったのだろうか?
一方、エイベル先生は、フイッと顔を逸らす。
興味のない話題だからなのか、母さんを押しつけたことに忸怩たる思いがあるのか。
そして、可愛いものに一方的に愛情を注ぐことを無上の喜びとしている母さんは、つやつやテカテカと輝く顔で、ご満悦。
ぬふふだか、ぐふふだか知らないが、奇妙な笑い声をこぼしている。
天秤の高祖様、相当、我が母上に気に入られたようだ。
「アルちゃん。フィーちゃん。お帰りなさい」
そのまま、俺たちを抱きしめてくる。
普段、かいだことのない、花のような良い香りがした。
多分これは、惨劇の被害者の匂いだろう。
(成程。『あの女の匂いがする』って云うのは、こういうことか。結構ハッキリと残るものなんだな……)
また無駄な知識が増えてしまった。
「……リュティエル。湖水を渡す」
「他に云うことはないのですか!」
「……云うことがあるのは、そちらの方。私に話があると云っていたはず」
「う……。そうでした」
リュティエルは視線で外を指す。
俺たちには聞かせるつもりのない話のようだ。
「……ん」
エイベルは立ち上がる。美耳姉妹揃って、外へと出て行った。
「私たちは、また、お留守番ねー」
俺たちを抱えたまま、ごろんと横になるマイマザー。
そして、ゴロゴロと部屋の中を転がっていく。
「ふへへへへ……! ふぃー、ゴロゴロするの好き!」
俺もゴロゴロするの、好きだぞー……。
たぶん、意味が違うだろうけどな。
親子三人で右へ行ったり、左へ来たり。
何度か繰り返しているうちに、母さんは長男長女を手放した。
「うっぷ……。酔ったわー……」
アホだろ、アンタ。
「おかーさんリタイア? なら、にーた。ふぃーと遊ぶ!」
こっちはタフだね。
元気よく、俺に飛びかかってきた。
「ふぃーのにーた、すぐに面白いこと思い付く! ふぃー、今回も期待!」
ぐりぐりと頭を擦り付けながら、過大評価をしてくれる。
この誤解、今のうちに何とかしないと、将来的に押しつぶされる気がするぞ。
「……じゃあ、指相撲でもするか」
「ゆびずもー!? 魅惑の響き! ふぃー、それで遊ぶ!」
と、云う訳で、指相撲をした。
フィーは面白いほど簡単にフェイントに引っかかってくれるが、俺と触れ合っていられることがお気に召したのか、終始きゃっきゃとご満悦。
勝敗は、二の次、三の次みたいね。
「ふへへへへ……! にーたと手をギュッとして遊べる! 指相撲、ふぃーのお気に入り!」
キスする程のことか? 程なんだろうな。
その後、回復した母さんも交えて、三人で指相撲を楽しんだ。
俺の相手は母さんとフィーの交互ではなく、左右の手を使って、同時にだ。
無論、集中出来るはずもなく、両者に負け続けた。
やがて、アーチエルフズが戻ってくる。
フードを被っている方は、俺たちを見て眉をひそめた。
奇行に走る母子だと思われたのかもしれない。
「お帰り、エイベル。話は終わったの?」
「……ん。一応」
「何々~? 私も知りたいわー」
母さんが身を乗り出すと、リュティエルはエイベルの影に隠れた。
苦手意識が付いてしまったようだ。
「話せるわけがないでしょう。聞かせて問題がないなら、そもそも外に出たりしません」
正論ですな。
問題は、それが通じるかどうかだが。
「私に云えることは、ひとつだけです。防災グッズは、常に準備しておきなさい」
それだけ云うと、天秤の高祖は、実姉に簡単な挨拶をして、出て行ってしまった。
帰ったのだろうか?
エイベルは俺の横に、ちょこんと座る。
そして俺だけに聞こえるよう、小声で呟いた。
「……氷穴の時のようなことが、また起きている。備えることは難しくても、警戒だけは、怠らないで」
「……氷穴の!」
エイベルの妹は、その話をしに来たのか。
確かにそれは、大ごとだ。
「……今回は、リュティエルが脅威を排除したと云っていた。けれど、手がかりは無し。暫くは静観するしかない」
俺の知らないところで、何か嫌なことが起こっているようだ。
だが、エイベルの云う通り手がかりがないなら、何も出来ない。
「エイベルー。私も何か面白いものが見たいわー」
そして、親友の言葉が聞こえていなかった母さんは、脳天気にそんなことを云う。
エイベルは吐息して、立ち上がった。
「……この庭園には、果樹区画もある。そこで好きなだけもいで、食べればいい」
「果樹ッ!? 行く行く! フィーちゃん、甘いものが食べられるわよー!」
「甘いの!? ふぃー、甘いの好きッ! にーたが好き!」
ガバッと立ち上がる妹様。その目は、爛々と輝いている。
その後、俺たち家族全員で、果樹をもいだり、庭園を案内して貰って、今回の外出を楽しんだ。
ただ、アーチエルフふたりの懸念だけが、心の重しとなっていた。
このまま平穏無事な生活を送れると良いんだけれど……。




