第二百三話 五番目
「子供に擬態して油断を誘う……。そのような卑劣な振る舞いは、この私の怒りを買う行為だと心得なさい……ッ!」
目の前のちいさな少女は、恐ろしく憤慨していた。
『子供を利用する』と云う行為が、彼女の怒りを買ったようだ。
俺たちは、本当に子供なのに……。
(いや、俺は本物の子供じゃないと云われれば、そうなんだけれども)
ただ、フードの少女からは、単なる怒りを越えた、憎悪のようなものすら感じる。
あらゆる事に鈍い俺ですら、明確な殺気が分かる程に。
しかし、マズいぞ。
あの子が強いのは、よく分かった。
このままでは、俺は殺されてしまうだろう。
場合によっては、フィーすらも。
(それだけはダメだ、絶対に!)
フィーだけは、なんとしても守らねば。
誤解を解くことが最善だが、それが無理だった場合は、この娘だけでも逃がすんだ。
フィーを庇うために、俺は前へ出た。
「にーた! 前出る、危ない! にーたのことは、ふぃーが守る!」
ああ、この娘は本当に……!
こんな時ですら、俺を気に掛けてくれている。
でも、だからこそ、フィーを死んでも守らねばと強く思う。
「ますます許せません……! 互いに庇い合うフリをして、こちらの心に揺さぶりを掛けるつもりとは……! 覚えておきなさい。子供を利用すること。それが最も私を怒らせることだと云うことを……!」
ビリビリと大気が震える。
どのような魔術を使うつもりなのかは知らないが、発動すれば、俺は死ぬだろう。
それだけは理解出来た。
俺は、フィーを抱きしめた。
抱きしめて、目を瞑った。
――その時だった。
「……警告」
無機質で、淡々とした声が響く。
俺の、よく知る声。
俺を、よく知る声。
「……ただちに戦闘行為を停止すること。さもなければ、リュティエル。貴方を攻撃する」
「む? エイベルですか」
あのフードの女性の名は、リュティエルと云うらしい。
そのリュティエルの前に、エイベルは、ふわりと舞い降りた。
その腕の中には、母さんの姿もある。
どうやら、エイベルが回収してくれたらしい。
気を失っているようではあるが、パッと見、大事ないようで安心した。
「エイベル。どういうつもりですか?」
「……それは私のセリフ。事と次第によっては、貴方といえど、容赦はしない」
「…………」
フードの女性は、ジッとエイベルを見つめる。
エイベルは、身じろぎもしない。
やがてリュティエルは、「……はぁ」と、ちいさく息を吐きだした。
「信じられません。その子供たちは、本当に、ただの子供だというのですか。それに、貴方が他者に触れられることを許すと云うのも」
エイベルが俺たちを保護する姿勢を見せる以上、こちらが敵対者だと云う前提は崩れる。
それは即ち、俺の発言が正しいと云うことを意味する。
「えっと……。分かって貰えた、のかな……?」
俺が云うと、リュティエルはフードを取った。
現れたのは、エイベルに似た、もの凄い美少女。
そっくりと云う訳ではないが、誰が見ても、身内と連想する容姿。
わずかにウェーブの掛かった髪の毛と、生真面目そうな表情をした、まぎれもないエルフ。
そして彼女は、うちの師匠に匹敵する、美しい耳を持っていた。
(あ、大きい……)
背丈はエイベルと殆ど変わらないのに、服の上からも分かる双丘の所持者だった。
彼女は俺たちの前に来ると、その場に跪く。
「行き違いがあったとは云え、攻撃をしてしまったことは事実です。そのことを謝罪します」
「あ、いや……」
俺が戸惑っていると、腕の中の妹様が大声を上げた。
「ふぃーのにーたに酷いことする、許さないの! ふぃー、にーたが大事! にーた虐める、絶対にダメ!」
「フィー、俺は大丈夫だから」
抱きしめて撫でてやると、フィーはポロポロと泣き出した。
「にーたに何かあったら、ふぃー、困る……! 絶対にイヤ!」
「フィーが守ってくれたから、俺は大丈夫だよ……。ありがとな……」
「ひぐっ……! ぐす……っ! にーたあああああ、にーーーーたあああああああああああああああああ!」
「よしよし」
この娘は自分に対する攻撃だとか、向けられた敵意だとかではなく、あくまで俺に対しての事で、心配し、泣き、怒っている。
どこまでも、どこまでも、俺のことだけを中心に。
エイベルは俺たちに怪我が無いことを確認すると、同族の少女に振り返った。
「……リュティエル。交戦に及んだ理由を説明して」
「事の発端は、その女性が、私に飛びかかってきたことです」
大きいほうのエルフは、ちいさいほうのエルフが抱えるマイマザーを指さした。
「……リュシカは、また……」
エイベルは無表情のまま、ため息を吐いた。
※※※
話を聞き終えたエイベルは、無言でリュティエルにチョップを振り下ろした。
「あうっ……」
エルフの少女は、頭を抱えて、うずくまる。
エイベルのチョップっていつも痛くないけれど、あれは違ったのかな?
「……リュティエル。貴方の状況は理解している。けれど、目に映るもの全てが敵だと考えるのは、間違い」
「……返す言葉もありません」
エイベルは振り返り、俺たちに頭を下げた。
「……この娘の置かれている状況は、少し特殊。単純に敵が多い。小動物や虫に擬態して襲ってくる者もいる。許してあげてとは云えないけれど、理解だけは、してあげて欲しい」
小動物や虫に?
じゃあ、『子供に擬態』と云うのも、あながち突飛な発想では無かったのか。
(しかし、似ている……)
この少女と、エイベルが。
顔立ちや雰囲気だけでなく、耳がそっくりだ。
数多くのエルフの耳を見てきた俺だから分かる。
このふたりの持つ耳は、トップクラスの美しさだ。
「……アル?」
エイベルに、怪訝な顔をされてしまった。
俺は咳払いをして、話題を逸らす。
「あー……。いや。そもそも、ふたりは、どういう関係なの?」
「……ん。姉妹」
相も変わらず、エイベルの説明は簡潔を極めた。
簡単に『姉妹』とか云ったが、それって、つまり、この娘はアーチエルフと云う事じゃないか。
現存する高祖は、ふたりだけ。
『天秤』と『破滅』。
その両方が、ここに揃っていると云うことになる。
「自己紹介が遅れましたね。私が母より授かりし名は、リュティエル。五番目に作られたエルフです」
エイベル同様、この娘も自分のことを『アーチエルフ』とは呼ばないようだ。
「えっと……。アルト・クレーンプットです。こっちは、妹のフィー」
マイシスターは、まだリュティエルを睨んでいるので、俺が代わりに紹介する。
天秤の高祖は、俺とフィーを交互に見て、頷いた。
「本当に人の子なのですね。こうして間近で見ても、信じられません。そちらの白い少女は、その幼さで、すでに幻想種並みの魔力がある」
そして、再び俺を見る。
「けれど、貴方は、ただの無力な人間のようですね。何も感じ取れません。義理の兄妹、と云うことでしょうか」
いえ。同父母から産まれた、正真正銘の実妹ですが。
……能力差については、今更、何も云うまい。
リュティエルは、ツカツカと近づいて、俺の頬に、掌を這わせた。
「戦闘能力を持たぬ、ちいさな子供なのに、妹を庇い、この私の前に立ちはだかったのですか……。無謀ではありますが、その勇気は称賛に値します」
何か、視線が随分と柔らかくなったな。
なでりなでりと、掌が往復する。
「ぬおっ!」
急に、エイベルに引っ張られた。
「アルはこっち」と云わんばかりの動きで、囲い込まれた。
「エイベル、突然、何をするのですか?」
「……それは、私のセリフ」
エルフの高祖ふたりが、にらみ合っていた。




