第二百一話 水を注ぐ
エイベルに案内された先には、ちいさな建物が建っていた。
ここが浮遊庭園における、エイベルの家であるらしい。
内部の掃除は行き届いているが、あまり生活の気配を感じない。
ここで働くエルフたちは、別の場所で寝泊まりしていると云うことなのだろう。
「……皆は、ここでくつろいでいて」
質素だが品の良いテーブル席につくと、エイベルがそんなことを云う。
しかし、その目は俺に向いている。
「……アルは、私の作業を手伝って」
これは『一緒に過ごす』と云った結果の言動だろう。
こういう風に云って貰えるのは、素直に嬉しい。
「師に付き従うは、弟子の務め。お供しますよ」
俺がそう云うと、
「ふぃーも! ふぃーも、にーたに付いていく!」
妹様が、覆い被さってきた。
「私ひとりで放置されるのは、つまらないわねー」
母さんも付いてくる。
まあ、こうなるわな。
「…………」
フィーや母さんの言葉を聞いて、エイベルが沈黙している。
まさか、この結果が分からなかった訳はあるまいな?
「……………………何故」
アーチエルフの高祖様は、そんな独り言を呟いていた。
何故、とか云われてもな。
結局、いつものメンバーで移動する。
ちょっと気の毒なので、俺の方から手を――。
「にーた!」
タイミング悪く、さささーっと背中にいるフィーが前面に回り込んできて、だっこの形になってしまった。これでは、両手とも使えない。
今回は仕方がない。
腕の中のマイエンジェルは、俺を見ながら、にへ~っと笑っていた。
※※※
エイベルハウスを出て、別の建物へとやって来る。
どうやら、ここは倉庫であるらしい。作業道具やら薬やらが置いてある。
そして奥の部屋――いや、ホールと云うべきか? には、件の水瓶が置かれていた。
聖湖の湖水は貴重なので、ここから必要な分だけ持っていくと云う仕組みらしい。
適当に置かれているのではなく、何かの術式が書かれた床の上に設置しているのが見て取れる。
作業の効率よりも、湖水の保護を優先しているようだ。
(それにしても、でかい……)
水瓶のサイズは、成人男性の倍はある。
まるで酒蔵にある、大きな樽みたいだ。
そんなものが、複数ある。
まあ、キシュクードに汲みに行くのは年一らしいし、それなりの量が必要なのは、当然なのだろうが。
「……ん」
エイベルは、空きスペースに、異次元箱から取り出した水瓶を設置した。
たぶん、元はここに、割れた水瓶があったのだろう。
……それにしても便利だよなァ、異次元箱。
俺もひとつくらい欲しいぞ。
「……アル、瓶に水を入れる。手伝って」
「ほい来た」
どうやら、手分けして異次元箱から瓶に注いで回るらしい。
箱に触れるのは初めてだから、ちょっと楽しみだ。
俺はここで初めて、異次元箱の使い方を教わった。
思わぬ収穫と云うべきであろう。
「エイベル、エイベル~。私もやってみたいわー」
「ふぃーも! ふぃーもやってみたい!」
すると、面白いこと大好きなふたりが、元気よく手を挙げた。
「……もう」
エイベルは呟いて、ふたりにも教えてあげていた。懐の深い人なんです。
※※※
「ふへへへ! 水そそぐの、楽しい! ふぃー、気に入った!」
妹様が笑顔で叫んだ。
ホント、この娘は何でも興味を持ち、そして喜ぶ子だな。
でも、異次元箱の口から、止めどなく水が流れる様子は、雄大なダムを眺めているような、不思議な楽しさがあるのも事実。
もちろんずっとやっていたら、飽きてしまうんだろうけれども。
「エイベル様、少しよろしいですか?」
そうして家族総出で水の補充をやっていると、ひとりのエルフが、ホールにやって来た。
「……ん。来た?」
「はい」
何だろう?
主語を省いて会話しているが、遣り取りから考えると、来客っぽいが。
(こんな空の上に?)
まあ、人とは限らないか。
ヘンリエッテさんとやっているイーちゃん文通のように、伝書鳩的な何かが飛んできたのかもしれないし。
「……少し外す。注水作業は停止していて」
俺たちに短く告げると、エイベルは出て行ってしまった。
「にーた。水、どばどば注ぐの面白いのに、やっちゃだめなの?」
「何かあったら、困るからね。云われた通り、エイベルが戻ってくるまでは、やめておこう」
「みゅみゅ~~……。じゃあ、にーた、ふぃーの髪を撫でて?」
異次元箱を閉じ、綺麗な銀髪を擦り付けてくるマイエンジェル。
何が「じゃあ」なのかは知らないが、撫でることをねだるのは、いつものこと。
要求されれば、従うまでよ。
「フィーの髪も、だいぶ伸びてきたね」
「ふふー。お母さんが、フィーちゃんに伸ばした方が良いって云っているのよ。女の子は、色んな髪型を試せるからねー」
元気に動き回ることが大好きなマイシスターだ。
「ふぃー、短い方が良い!」と云っても不思議はないのだが、結果はごらんの通り。
伸ばす方向を選択している。
「フィーの髪、綺麗だもんなー……」
「ほんと!? ふぃーの髪、綺麗?」
「うん。とっても」
腕の中で、ぶるぶるっと震える妹様。
俺はそっと、間合いを取る。
「やったあああああああああああああああ! ふぃー、ふぃー、にーたに、褒めて貰えたあああああああああああ!」
「ふふふー。良かったわね、フィーちゃん」
予想通りの、大ジャンプ。
間合いを取らなかったら、顎に頭突きを喰らっていただろう。
「ふへへへへ! うへへへへ! ふぃー、にーた好きっ!」
デレデレになっている。
余程、嬉しかったのだろう。
こんなにちっちゃくても、ちゃんと女の子なんだなァ……。
猛突進してくるフィーを痛みと共に受け止めて、ぐりぐりと押しつけられる髪の毛を撫でていると、母さんが声をあげた。
「あら? エイベル?」
マイマザーは、窓の方を見ている。
エイベルが出て行った扉とは方向が全く違うが、回り込んできたのだろうか?
「母さん、エイベルがいたの?」
「ええ。チラッとしか見えなかったけれど、あれはエイベルだと思うけど……」
ふぅむ。
外で何をやっているのだろう……?
すると俺に頭を撫でられてご機嫌の妹様が、可愛らしく小首を傾げた。
「外いる、エイベル違うよ?」
「ん? フィー、分かるのか?」
「ふぃー、違いの分かる女の子!」
そんな意識高い系みたいな主張をドヤ顔でされても……。
まあ、我が家の天使様は、しょうもない嘘は吐かないからな。根拠があるのだろう。
「エイベル、魔力閉じてること多い。魂も見えない。ふぃー、気付くの、難しい」
対魂防御も備え、魔力感知も警戒しているエイベルは、マイシスターの云う通り、視認以外で探すことが難しい。
この間のイケメンちゃんや、ぽわ子ちゃんと出会ったお祭りの時のように、はぐれたら困る場合に限っては、フィーに分かる様にしてくれているらしいのだが。
「外にいるの、ふぃー、魂、見えない。でも、魔力そのまま。エイベルと違う」
どういう事だろう?
魔力を閉じていないと云うのは兎も角、魂がフィーに見えないと云うことは、対魂防御持ちと云うことになるが。
(あー……、いや、エルフなら、別に不思議はないのか?)
ここで働いているメンバーからして、大半が『植物操作』と云う特殊魔術の使い手たちだし、エイベルの他に対魂防御が出来る者がいても、別におかしくはないか。
「ん~~……。じゃあ、お母さん、見間違えたのかしら……?」
母さんは顎に指を当てている。
そして、何かを思い付いたのか、ぱん、と掌を打ち鳴らす。
「あ、じゃあ、じゃあ、見に行ってみましょうか? すぐそこだし!」
野次馬根性剥き出しだなァ……。
すぐにエイベル本人が戻って来るのだから、その時に訊けば、良いだけじゃないか。
「まま、いいじゃない。行ってみましょうよ? ね、アルちゃん」
母さんは、俺の手を取って歩き出した。




