第二百話 浮遊庭園
エイベルの庭園には、朝食後、すぐに出発することになった。
茶会で云ったように、今日は我が師と過ごすと約束した。
約束したのだが――。
「にーた! にーたっ! 好きッ! 好きッッ! ふぃー、にーた好きッ!」
やけに甘えっ娘モードになったフィーが、俺に懸命に抱きついてくる。
フィーはいつでも俺を好きだが、たまーに、いつも以上に甘えん坊になる時がある。特に法則性は無いみたい。
(うーん。よりによって、今日か……)
いつもなら、存分に甘やかしてあげるんだがな。
「…………」
隣にいるエイベルを見る。
表面上は、気にしていないようだ。
ただ、お茶会の影響か、今日はいつもよりも、立ち位置が近い気がする。
「今日も素敵な一日になると良いわねー!」
母さんは脳天気に、俺たち三人をいっぺんに抱きしめた。
※※※
ミアに見送られて離れを出発し、『門』を使って瞬時に長距離移動する。
転位門なんて凄いもののはずなのに、すでに自分の中から驚きがなくなっている。
順応したと云えば聞こえは良いが、当たり前のことだと思わない方が良いんだろうなァ……。
「にーた、にーた」
「ん? どした、フィー?」
「あのね……。ふへへ……! ふぃー、にーた好き!」
ちゅっと、頬にキスされてしまう。
今日の妹様は、本当に上機嫌だ。
そんな俺たちをエイベルは黙って見つめているが、母さんがにこやかに話しかける。
「この建物を出て、また乗り物に乗るの? 私、一回、大きな動物に乗ってみたいわー」
「……乗らない。ここを出れば、すぐに私の庭園になっている」
聖域は自分の土地じゃないから門を置いていないって云っていたからな。
逆に言えば、自分の土地なら、置いておくよな、そりゃあ。
俺の右腕はマイシスターがしっかりと抱きついている。
エイベルは、だから左手を握った。
「……ここが、私の浮遊庭園」
扉を開く。
そこには、幻想的な風景が広がっていた。
「おおぉ~~っ!」
思わず、母さんとハモった。
目の前には、花畑。
向こうには色とりどりの木々が立ち並び、緑色の絨毯が、その一面を覆っている。
しかしそれ以上に印象に残るのが、青い空だ。
視界の果ては、どこまでも青色。地平線や山々など、どこにもない。
周囲全てが、青空に囲まれている。
(これが、空中庭園か……!)
普通、空中庭園と云えば、高台に作られた庭園を指す。
つまり、ただ高いところにあるだけ、と云うことだ。
だが、エイベルの庭園は違う。
文字通り、『空にある』のだ。
まるで幻想小説に登場する挿絵のように、この土地そのものが、空に浮いている。
言葉通りの、浮遊庭園と云う訳だ。
「エイベル、エイベル! ここ、お空に浮いているのねー!?」
「……ん。浮遊の魔石が核になっている」
氷雪の園は氷の魔石が核になり、冷たい大地を形成していたが、ここは浮遊の魔石の影響によってこうなっている、と云うことらしい。
流石はファンタジー世界。浮遊島に登ってみるのは、多くの人の夢であろう。
「にーた、にーた! ここ、高い!」
「空の上にあるみたいだからな」
「お空!? ふぃーたち、お空にいる!? ふぃー、一度、お空に上がってみたいと思ってた!」
フィーも大はしゃぎだ。
端っこを見に行くとか、危ないからやめてくれよ?
「エイベル様~~っ!」
何人かのエルフが、こちらへ駆けてくる。
その中のひとりは、瓶を割って聖湖の湖水をぶちまけた、ヒセラとか云う名前の女性だ。
「お帰りなさいませ、エイベル様!」
「……ん」
「うぅ、私のために、お手間を取らせてすみません~~!」
ヒセラはまた泣いている。責任感が強いのか、泣き上戸なのか。
エルフのひとりが、俺たちの方を見る。
「エイベル様、こちらの方たちは?」
「……私のお客。私が案内するから、貴方達は作業に戻って良い」
この庭園に人が来るって、きっと珍しいのだろうな。ジロジロと見られている。
中には子供好きがいるのか、俺やフィーを見て、「やだ、可愛い」とか云っている子もいる。
ミアの視線と違って寒気がしないから、純粋な気持ちなのだろう。
なお、エルフたちの格好は、作業着姿だ。
しかし美形揃いなので、ダサさが全くない。
美人が着るとイモジャーでも可愛く見えるのと同じようなものなのかもしれない。
そして俺がこの第二の人生で見てきた全てのエルフが、全員、緑の服を着ていない。
エルフ=緑。
この図式は前世では何故か常識だったんだよなァ……。
「ねえ、エイベル。この人たちって、全員、エイベルが雇ってるんだよね?」
「……ん。私が声を掛けた」
高祖様の言葉に、エルフたちが、うんうんと頷く。
「そう。我らはエイベル様直々に声が掛かった、ラッキーな存在!」
選ばれし存在、ではなく、ラッキーを前面に出すのか……。
すると、別のエルフが得意げな顔のままで説明する。
「だって、高祖様は公募なんてしませんからね。したら、エルフ同士で争いが発生しますよ? 稀少植物の手入れの仕方を知らない者や、植物魔術の心得がない者まで、押し寄せたはずです」
ショルシーナ商会長も悔しがっていたな、そう云えば。
「……脆弱な植物だと、夜通し世話をせねばならないものもあるし、数時間おきに投薬が必要なものもある。なのに、皆が嫌な顔ひとつせずに、働いてくれている」
おおぅ、それは大変だ。
前世で寝る時間の無かった俺だ。その辺の苦労は、『死ぬ程』知っている。
エイベルがブラックな労働環境を強いるとは思えないが、長時間拘束されたり、労働時間が不規則になるのは、キツいに決まってる。
よく頑張れるな。
「エイベル様は大恩ある始祖にして、エルフ族の伝説ですからね。この方のために働けるのは、誇らしいことですよ。それに――」
エルフたちは顔を見合わせて頷く。
「他のエルフたちが得ることの出来ない、凄まじい特典がありますので」
ふぅむ?
精神的喜びだけでなく、現実的利益もあると?
「エイベル様が秘蔵される薬草。もしもの時は、それを優先的に譲って頂けるのです!」
「わ、私のお父さんも、それで命が助かりました……!」
ああ。そりゃァ、桁外れの報酬だ。金にはかえられまい。
「他にも、地上ではすでに絶滅したお野菜なんかも頂けますよ?」
「でも、甘いものは分けてくれませんけどねー」
アーチエルフ様……。
それは独占されるのですね。
俺が視線を送ると、無表情のまま、エイベルは、ふいっと横を向いた。
「……皆、作業に戻って」
ぽつりと呟くと、エルフたちは俺たちに一礼し、笑いながら去って行く。
ここの労働者たちは、他のエルフたちと比べても、エイベルと距離が近い気がする。
良好な関係を築けているのだろう。
「……こっち」
俺たちに顔を合わせず、エイベルは俺たちを誘う。
エルフたちとの会話中に俺の身体をよじ登って、だっこの形に収まった妹様が、俺に小声で呟いた。
「にーた、にーた。近くに凄く大きい魔力がある。ふぃーより大きい!」
なんだろう?
浮遊魔石のことなのかな?




