第百九十九話 明けのお茶会
つんつん。つんつん。
何者かが、俺の頬をつついている。
「ん……。んん……」
しかし、眠い。
気にしてはいられない。
つつつん。つつん。
出力が上がった!?
二度寝はさせないとでも、云いたげだ。
我が眠りを妨げるとは、一体、どこの痴れ者だ?
うっすらと目を開く。そこには――。
「……ん。おはよう」
「……エイベル?」
エルフの先生様が、間近で俺を見つめていた。
「すぴすぴ……」
すぐ傍からは、妹様の寝息。
俺の胸に頭を乗せて眠っているらしい。
外は白と黒の間。
ようやく、夜が明けようかと云う時間だ。
「どうしたのさ? 今日の出発って、こんなに早いって云ってたっけ?」
本日は、エイベルの庭園に行く日だ。
キシュクード島へ出かけたのも、水を汲むためだったしね。今日がお出かけの本番ではあるのだが……。
「……ん。私の部屋に来て。お茶をご馳走する」
それだけ云うとマイティーチャーは、そそくさと『エイベルひみつ基地』へと去って行ってしまった。
無表情はいつものことだけど、微妙に耳が赤く見えたのは、気のせいだろうか?
「まあ、せっかくのお誘いだしね……」
断ると云う選択肢は無い。
胸元のフィーをゆるんだ顔で眠る母さんにひっつけて、洗面を済ませてから、寝間着のままで、屋根裏へと向かった。
「おおっ、いい香り……っ!」
屋根裏部屋には、紅茶の芳醇な匂いが漂っていた。
お茶請けのようなものも見えるが、ごく少ない。
これは、朝食前だからだろうな。
個人で使う用の、ちいさなラウンドテーブルには、カップがふたつ置かれている。
ひとつは品の良い、白いティーカップ。
もうひとつは、見る者にあまり感動を与えない、普通のマグカップだ。
品の良いカップはエイベルのもともとの持ち物で、マグカップは、俺が作ったやつだね。
妹様同様、先生様も、日常使いしてくれているらしい。
「……アルのお茶は、そっちのティーカップの」
これは渡さない、とでも云うべき態度で、マグカップを引き寄せるエイベル。
いや、取りませんよ、そんなもの。
「うーん。美味しい……っ」
口に含んで、思わず声が漏れる。
いれかたも上手だが、何よりも、茶葉が良い。
なにせエイベル個人が所持する品だからな。
そんじゃそこらじゃ、手に入らない逸品だろう。
聖湖でご馳走になったお茶も美味しかったし、これも美味しい。ついでに云えば、ミアのいれるお茶も、まあ美味しい。
これじゃあ、普通のお茶じゃ満足出来ない身体になってしまうよ。
「こっちは……くず餅か?」
「……ん。天翔葛の葛粉から作ったもの」
天翔葛って、魔導歴の最初期に滅んだことになっている神代植物じゃん。
サラリと凄いことを聞いてしまったぞ?
ちいさなレアくず餅には、黒蜜がかかっている。
やけに量が多いのは、エイベルが甘いもの大好きだからか?
個人的には、もう少し蜜を減らして、きなこをかけて欲しい所だが。
「ん……っ。美味しい……!」
量の多い黒蜜も、結構良い味じゃないか。
くず餅に負けてないぞ?
「この蜜は、エイベルの手作り?」
「……商会の市販品」
「へええ。市販品でも、美味しいんだねぇ」
「……商会は専用の農場も持っている。一部の植物は、エルフの職員が、手ずから育てているものもある。それらは、普通に良い味を出す」
商会も頑張っているんだなァ……。
高品質の商品で真っ当に儲けると云うのは、商売の本道にして、堅牢安全な手段であろう。
商会長からして、バクチと堅実だったら、迷わず後者を取るタイプだろうしね。
「それでエイベル」
「……?」
「何で急に、お茶会を?」
「…………っ」
ぷい、と、先生様は顔を逸らす。
さっきベッドの傍から去った時と、同じ反応だ。
(う~~ん、わからん)
こんな反応をするんだから、ただ何となく誘ったって話でもなさそうだが。
無理矢理訊くのもなァ……。
云いたければ云うだろうし、そうでないなら、黙っているだろう。
まあ、良いか。
お茶も茶請けも美味しいし。
顔を背けたまま、エイベルは、ちょっとずつ、こちらに近寄ってくる。
奇妙な動きだが、それは敢えて云うまい。
「……アルは」
「うん」
「……アルは私と一緒に、庭園に行く約束をした」
「そうだねぇ」
だから昨日はキシュクードに行ったのだし、今日はこの後、その庭園に行くのだと思うが。
「……確かに昨日は、湖へ行った。でも、それだけ」
「と、云うと?」
「…………」
くい、とエイベルは俺の袖を指で掴んでくる。
「……あの地で、私には、何もなかった」
「あ……」
そう云うことか。
大元はエイベルとのお出かけだったのに、フィーやマイムちゃんと過ごしていただけだからな。
ないがしろにしたつもりはないが、配慮に欠けた行動だったかもしれない。
「……クピクピとたわむれていたけれど、魔術なら、私が教えてあげた」
あれは、たわむれていたんじゃなくて、絡まれていたんですが。
「その、悪かったよ。ごめん」
「……別に怒ってはいない。アルが新しい絆を結べたのなら、それは良いことだと思う。ただ……」
寂しくは思ったと。
このお茶会は、その代償行動なのか。
軽い気持ちで応じて、申し訳なく思う。
「あ、じゃあ、今日は――」
「……良い」
「え?」
エイベルは、ちいさく首を振る。
「……庭園に付き合って貰うと云う一点だけで、私はアルの時間を奪っている。……人の一生は短い。一日でも、きっと貴重」
「エイベル」
ガシッと肩を掴むと、エルフの先生は、ピクッと震えた。
「人間の寿命が短いのは事実だし、一日一日が貴重なのも事実だよ」
「……ん」
「だからさ」
「……ん?」
「だからその時間を、エイベルと過ごしたいって云ってるんだよ」
「……っ」
ああ、ちくしょう。
今の俺、きっと恥ずかしいことを云っているぞ。
録画とかされてたら、失踪するかもしれん。
でもね、俺にしては珍しく、正しいことを云っていると思うのよ。
「…………」
エイベルは、俯いていた。
俯いて、それから、ちいさく声を出した。
「……アルの時間、貰っても良い、の?」
「良いじゃァなくて、俺がそうしたいと云っている」
「……なら、今日は私に付き合って貰う」
「うん……って、うわぁッ!」
まるで横方向に落っこちるかのように、俺の身体がエイベルに引き寄せられた。
だから、一体、この現象は何なんだよ!?
「……ん」
エイベルは――何故か俺の頭を撫でている。
離れようかとも思ったけれども。
「……アル。ふふふ」
そんな笑顔を見たら、抵抗なんて、出来ない訳で。




