第百九十八話 夜の攻防戦
「アルトきゅ~~ん、ちょっと良いですかー?」
時刻は夜。
キシュクードから無事帰り着き、お風呂にも入り、晩ご飯を食べ終えた俺に、駄メイドがにじり寄ってきた。
まあ、別に、夜だろうが昼だろうが、俺の反応は変わらない。
「ダメ。今、忙しい」
「酷いですねー? 冷たいですねー? アルトきゅんに今日は夕食後の勉強タイムがないのは、ミアお姉ちゃん、把握済みですよー?」
いや、何で俺の予定を把握してんだよ?
その「してやったり」みたいな笑顔をやめろ。
「なのでですねー? 眠るまでの時間を、このミアお姉ちゃんに譲って欲しいんですねー?」
「めーっ!」
しかし、フィーが俺に抱きついた。
「にーたは、ふぃーと遊ぶの! ふぃー、今日は、にーたに積み木で遊んで貰う! ミアの時間、無い!」
「ちょっとくらい、分けてくれてもいいじゃないですかぁ。私もフィーちゃんのように、アルトきゅんを……くふっ! なでなですりすり、したいんですよー?」
こいつ……!
俺に用事があるんじゃなくて、ただ自分が好き放題に愛でたいだけだと、白状しやがった……!
俺を撫でることを想像して、寒気のするような歪んだ笑顔を浮かべたぞ!?
「誤解されては困りますねー。これは、アルトきゅんのための教育なんですねー。アルトきゅんは、もっと年上のお姉さんに目を向けるべきだと思いますねー。年下趣味に走らないための措置なんですねー」
清々しいレベルのおためごかしだな。
なんて自分の欲望に正直な奴なんだ。だいいち、年下趣味は、お前だろう。
ダメだ、ツッコミが追いつかない。
ツッコミ職人のクピクピあたりと対面させたら、きっと騒々しいことになるんだろうな。
「ふぃー、にーたの安寧と平穏を守るッ! その為なら、こんめー術の使用も辞さない!」
普通に死ぬから、よしなさい。
しかしフィーに威嚇され慣れているミア、「くふっ」とか笑って、食後のお茶を運んでくる。
「まあまあ。そう怒らないで欲しいですねー。美味しいお茶をいれたので、飲んでみて欲しいですねー。フィーちゃんの大好きな、お砂糖がたっぷりですよー?」
「むむーっ? 確かにこれ、甘い匂いがする……! ふぃー、甘いの好きッ! にーたが好き!」
「ささ、ぐぐぃーっと飲んでみて欲しいですねー。疲れが吹き飛びますよ?」
こいつ、何を企んでいるんだ?
俺は警戒するが、お茶を出されたのは、甘いもの大好きッ娘のフィーだ。
迷わず飛びつき、飲んでしまう。
「むむむっ! 甘くて美味しい! ふぃーの好みに、バッチリ合う! 好きな味ッ!」
ミアの奴、侯爵家で働くメイドだけあって、お茶をいれる技量はちょっとしたものだからな……。
「ぽかぽかする。ふぃー、リラックスで夢気分! 好きッ! にーた好き! なでて!」
俺に抱きついて、なでなでをねだるので、要求通りに撫でてやる。
すると、マイシスターの大きな瞳が、とろんとまどろみ出す。
「んにゅ、にゅ……?」
「そうそう、その調子ですよー。存分に、リラックスして下さいねー?」
まさか、ミアの奴……!
企みに気付いた時、既に計画は完了していた。
昼に、はしゃぎ回った妹様は、深い眠りに落ちてしまったのだ。
「ミア、貴様……ッ!? 謀ったな!?」
「にゅふふふふふ……! 伊達におはようからおやすみまで、クレーンプット家を見守り続けてはいませんよー? フィーちゃんやアルトきゅんの様子を見れば、あとどのくらいで体力が尽きるのか、ミアお姉ちゃんは分かってしまいますからねー。後は、ほんの一押しするだけで良いんですよー」
「ぬぬぅ……ッ!」
最強の壁が、いきなり崩されてしまった。
己が欲望のためとは云え、こんな奸計を巡らすとは、ミアめ、恐るべき奴……ッ!
「すぴすぴ……」
いかん。
フィーリアソムリエの俺には分かる。これ、朝まで熟睡コースだ。
甘いお茶を飲んで、歯磨きもしていないのに!
まさか、ただのお茶だけでマイエンジェルを打倒してのけるとは……。
これが睡眠薬や痺れ薬の類だったら、西の離れに持ち込んだ瞬間に、エイベルの探知術式に察知されて排除されるのだが、ただのお茶では打つ手がない。
つまり、今後もミアの掌の上で転がされてしまうかもしれないのだ。
「くふっ。これが十級魔導士の力ですよー」
魔導、関係ないじゃん!
「ま。冗談はさておきですねー」
メイドのくせに、ぽふっと俺の真横に座る。
密着して座る。
「アルトきゅんって、このまま順調に進めば、来年には、段位魔術師じゃないですか」
「そう上手く行かないと思うけど」
五級の実技、大変だったからなァ……。
あれより難しくなるようなら、正直、今の俺には手に負えない気がするんだが。
「仮に来年は無理でも、初段位を目指すんですよねー?」
「まあ、ね」
村娘ちゃんのような純粋な理由じゃないけれども、俺も魔道具技師になって、色々と作りたい。
商会への売り込み品やら、ガドから習う鍛冶やらをやっていて気付いたが、俺は案外、もの作りが好きらしい。
作ることは、単純に楽しい。
だから選択肢は増やしたいし、出来る範囲も広げたいと思う。
なので、魔道具を作れるようになりたいと思う。
しかしミアは、予想外の言葉を口にした。
「初段位を取れれば、魔術結社が作れますね」
「ん? 魔術結社?」
魔術の効果は大きく、また使い手も少数であることから、魔術師や魔道具といったものは、お上に統制されている。
なので、魔術に関するグループ作成も、基本的には許可が要る。
魔術結社がそれであり、既存の集団に所属することは魔導士の免許持ちならば誰でも自由だが、主宰するには、資格がいる。
それが、初段位なのだ。
俺は別に魔術師として生きて行くつもりがないから、そっちの資格を得ることは、微塵も考えていなかったが……。
「単なるお姉ちゃん的予感ですが、アルトきゅんは、ずっとこの離れにいる子ではない気がするんですよねー」
まあ、そりゃ、俺に充分な力とお金があって、かつ母さんが了承してくれるなら、ここに拘泥する理由は無い。
カスペル侯爵なんかは、俺を利用する気満々に思えたし、フィーを政争の具にしたくはないから、長居はしない方が良いと考えてはいるが。
「アルトきゅんが去ってしまえば、もう接点がなくなっちゃうじゃないですかー。残るのは、小指と小指で結ばれた赤い糸だけなんて、ミアお姉ちゃん、寂しいですよー」
「……いや、その前にさ、ミアがどこかへ嫁げば、そもそも会えなくなるんじゃないの?」
赤い糸うんぬんは、今更つっこまんぞ。戦略的放置だ。
「嫁ぐ!? 法改正されて、美幼年と結婚できるようになるということですかーっ!? それは素晴らしい未来ですねー。でも安心して欲しいですねー。不動の第一候補は、アルトきゅんですからねー」
発想が斜め上すぎるわ!
これだから真性は。
「ともあれ、ですねー」
「抱きつくなァッ!」
「アルトきゅんが結社の資格を得れば、大手を振って、ミアお姉ちゃんも参加できますよー?」
全部、自分の為じゃないか!
ミアの襲来に悩まされる為に、俺に結社を作れと!?
どんな罰ゲームだよ!?
なお、結社の活動内容に関しては、いちいち論じない。与太話だから論じるに値しないというのも、もちろんあるが、魔術師の徒党と云うだけでは、出来ること、やれることが多岐に及びすぎるからだ。
また、魔術師の集まりと云っても、『取り敢えず方向性が同じだから組む』と云う場合もあって、そのケースだと、普段は個々バラバラに活動していたりする。
もちろん何かの研究や、金銭その他の利益に直結する場合は、チーム一丸となって活動しているところもあるようだが。
ようはアレだね。
魔術師の集団と云っても、ネトゲにおけるような、『ガチ勢』と『エンジョイ勢』があるってことだ。
……ガチ勢怖いよね。超怖い。
何あのピリピリした空気は。
ともあれ、ミアが望むのは、後者――『エンジョイ勢』としての魔術結社だろう。
欲しいのは、出入りする為の口実だろうし。
まあ、仮にガチだったとしても、俺の答えは決まっているけれど。
「作んないよ?」




