第百九十七話 空っぽの至宝
「……階梯球」
綺麗なガラス玉か何かにしか見えないその玉を、エイベルは知っているようだ。
「これは一体、なんなの?」
俺の言葉に、水色ちゃんは微笑する。
「それは、この聖域に、ただ『ずっとあるだけ』のものなのです。エイベル様のほうが、私なんかよりも、ずっと詳しいと思います」
聖霊幼女が、エイベルに下駄を預ける。
すると、魅惑の耳の持ち主は、この玉の説明をしてくれた。
「……それは、階梯球。この世に残された、数少ない天啓具のひとつ」
「天啓具!」
人以上の存在が作り出した、凄まじい力を秘めると云う魔道具の上位版じゃないか。
この玉がそれなら、一体、どんな効果があるのだろうか?
「……その玉は、空っぽ。何もない」
「空っぽ? どういう事?」
故障しているとかかな?
灯りの点かない懐中電灯みたいな?
「……階梯球と云うのは、神霊や聖霊による、一種の任免状のようなもの」
エイベルの説明するところを俺流にかみ砕いて理解すると、こうである。
階梯球とは、複数の神聖霊たちに認めて貰う為のスタンプカードのようなものなのだと。
神聖霊たちに認めて貰うと、スタンプを押すように、玉に力を込めて貰える。
階梯――つまり階段をのぼるように、指定された神聖霊たち全員から力を貰うと、はれて試練クリア。
設定された奇跡や褒美を授けられるのだと云う話。
そしてエイベルが空っぽだと云ったのは、それら一切合財のことなのだと云う。
本来の階梯球は、認められるべき神聖霊の人数と種類。そして、達成報酬たる奇跡をセットで入力されているのだそうだ。
だが、この玉には、それがない。
誰の力もこもっていないし、報酬も登録されていない。
文字通り、空っぽの玉なのだと。
「つまり、この玉に、恩恵はないってこと?」
「……ん。たとえ現存する全ての神霊、聖霊に力を込めて貰えたとしても、達成にはならないし、報酬もない。何も起こらない」
成程。
じゃあ、ガラス玉と変わらないわけだね。
あまり高価なものをプレゼントされても困ると俺が云ったから、マイムちゃんが話の落としどころとして、これを用意してくれたのかもしれない。
「えっと、失礼しますね……?」
俺の掌にある階梯球に、水色ちゃんが触れる。
「キシュクードの主たる、水の聖霊、マイムの名において、アルト・クレーンプットを認めます」
「おおっ!?」
マイムちゃんの手から、綺麗な光が輝き、階梯球に、澄んだ水色の光が灯る。
「私から、お兄さんへの、友好の証なのです……。何の効果もなくて、申し訳ないのです」
いやいや。何もない方が良いって。
身に余る奇跡を与えられても、プレッシャーにしかならないから。
「綺麗な水色だなァ……。うん。嬉しいよ。ありがとう」
「え、えへへ……! 私の魔力を綺麗って、云って貰えたのです……!」
水色ちゃんは、頬を染めて微笑んだ。
「……それにしても、階梯球がまだ残っているとは思わなかった」
「何もないから、残ったのではないかと、お母様が云っていたのです。大精霊クラスでも未熟なら、これはただのガラス玉にしか見えませんから」
愛娘の言葉に、ニパさんが頷く。
「キシュクードは聖域の中でも、由緒ある地。長い歴史があります。命の季節に偉大なる神が作り上げた品も、だからこうして存在するのです。……そこの人の子。身に余る光栄を自覚し、我が娘に深く感謝するのですよ?」
急に偉ぶってら。
まあ、ありがたいのも事実だし、感謝すべきなのも、また事実なのだろう。
「しかし、こんな素敵なお土産を貰っちゃって、お返しできるものがない……」
「それは皆を笑顔にしてくれたことに対するお礼です。お礼にお礼はいりません!」
駄メイドのミアと、ついこの間、そんな遣り取りをしたような……?
でも、この至宝に対しては、ちゃんとお礼をしたいな。
「いや。返礼の品は、必ず用意するよ。それを持って、またここに来るよ」
「――ッ!」
また会いに来る。
俺の言葉が、その約束になるのだと、水色ちゃんは気付いたらしい。
嬉しそうに身を震わせた。
「フィー」
「なぁに、にーた? ふぃー、にーた好きッ!」
「フィーも、その透明な粘土を貰ったお返しをしなきゃダメだろう? 食器でも焼き物でも良いけど、次に来る時、マイムちゃんに何か、お返ししてあげような?」
「うん! する! ふぃー、こねるの得意! マイムちゃんに、ふぃーが何か作ってあげる!」
その言や良し。
でも、水色ちゃんの方を向いて云ってあげような?
俺に抱きついて、俺を見上げて、俺に向けて云っちゃァ、ダメよ?
しかし、それでも、このちいさな聖霊には嬉しいことだったらしい。
微笑みを浮かべながら、涙ぐんでいたのだ。
「……ん。そろそろ、帰還する」
他方、エイベルは淡々と帰宅を告げる。
「えー?」と云う子供じみた声をあげたのは、本物の子供ではなく、マイマザーだった。
両手いっぱいにコロボックルを抱え込んでおり、どうやら、彼らを気に入ったらしい。
コロボックルもコロボックルで、脳天気な母さんと波長が合うのか、仲良しになっている。
我が母の腕や背中や頭に、大量に引っ付いている。
「エイベルー、この子たち、ひとりくらいなら、連れて帰っても構わないかしら?」
「ダメに決まっているでしょう!」
聖湖の先主が怒鳴りつけるが、どこ吹く風だ。
「じゃあ、じゃあ、マイムちゃん、私の娘にならない? い~~っぱい、可愛がってあげるわよ?」
「ブッ殺しますわよ、ご婦人?」
ニパさんの目が据わっている。
勧誘を受けた当の本人は、母さんの言葉が分からないので、可愛らしく首を傾げるだけだ。
誰も通訳しないからね。
そして、別れの時間が訪れる。
水色ちゃんは寂しさをこらえて、微笑んでいた。
「どうか、またいらして下さい。精一杯のおもてなしをさせて頂くのです」
腰の低い子だよなァ……。
聖霊と云う立場から考えると、氷雪の園の園長や総族長はもちろん、精霊王よりも上の存在のはずなのに。
いい意味でも悪い意味でも、威厳を感じないというか。
まあ、親しみやすいなら、その方が良いんだけれども。
「エイベル様、私は研鑽を積んで、貴方様に認められるくらいの腕を手に入れてみせます! どうか、ご期待下さいっ!」
「……ん」
「ああっ! 感激です! この私に、激励の眼差しを!」
クピクピは――まあ、幸せそうだね。
そっとしておこう。
「貰った階梯球、大切にするね?」
「はいです。私もお兄さんに頂いたクッキー、大切に食べるのです」
うん。
後ろでコロボックルたちが、さっそく食い荒らしているけどね。
「私、皆さんの言葉を頑張って練習します……! 人間さんは怖いって聞きましたが、皆さん、とってもいい人たちだったのです」
いやぁ、人間は怖いと思うぞ? 油断だけは、してくれるなよ。
エイベルが云った通り、この地は平穏呑気なままでいて欲しい。
「……では、出発する」
桟橋から、船に乗り込んだ。
水色ちゃんは、手を振っている。
船が離れ、だんだんと、ちいさくなっていく聖湖の主。
彼女は懸命に、両手で大きく手を振り続けた。
視力強化の魔術を使っても見えなくなるくらい遠くに来るまで、ずっと。
「素敵なところだったわねー」
母さんが俺を背後から抱きしめる。
全くの同感だ。
でも、素敵な『場所』である以上に、『素敵な子』と出会えたのだと、心から思った。
「あーっ! にーたの為に作ったメジェド様、ふぃー、置きっぱなし! 忘れてた!」
妹様が叫んでいる。
母さんは、そんなフィーを慰めながら、抱きしめて撫でつける。
エイベルは、無表情のままで、淡々と操船している。
俺の手には、水色の玉がひとつ。
天啓具だからではなく、素敵な出会いの証明であったからこその、至宝がひとつ。
空っぽの至宝。
けれどそれは、素敵な思い出のつまった、かけがえのない、宝物。




