第十九話 セロに住む祖母
平和な二日間が終わり、母の故郷に辿り着く。
トラブルは一切なかった。道中はひたすらフィーといちゃいちゃしていただけだ。
「ここがお母さんの産まれた街よ~」
セロは確かに立派な都市だった。
建物の殆どが石造りなのも王都と変わらない。人口もそれなりにいるのだろう。往来する人間が多い。模範的な中世ヨーロッパの町並みと云えるだろう。……ここは中世ヨーロッパじゃないけれども。
「リュシカ! おかえりなさいッ!」
ある民家に辿り着くと、母さんに似た美人さんが出迎えてくれた。
(この人が俺とフィーのおばあちゃんかな……?)
祖母と思われる女性は、若々しく美しい。あと、大きい。何が、とは云わないが。
母さんはまだハタチだし、早婚が当たり前の世界だから、彼女の年齢は三〇代中頃から後半だと思われる。
が、充分二十代でも通用する容姿だ。まだ十代にしか見えない母さんと並ぶと、年の離れた姉妹のように見える。と云うか、それ以外に見えない。
(なら、母さんやフィーも四〇手前になっても二十代並みの容姿でいられるって事か)
いつまでも美しい母と妹。最高じゃないか。
生き馬の目を抜く厳しい社会で生きてきた俺には、女性の機嫌を取ることの重大さが身に染みて分かっている。特に、第一印象は大切だ。
だからここでの正しい言葉は、これひとつだ。
「母さん、この綺麗な人は、母さんのお姉さん?」
「まあ! なんて賢い子なの! リュシカの息子は、真実を見抜く正しき瞳を持っているのね!」
思い切り抱きしめられてしまった。
う~ん、でかい。
「めー! にーたにだっこ、めー!」
妹様が怒っておられる……。
「お母さん、アルちゃんが困っているし、フィーちゃんが怒っているから離れてあげて?」
マイマザーが女性と俺を引きはがした。
矢張り俺の祖母で間違いないようだ。
ふっふふ……。お姉さんと呼んだ初見の挨拶は成功だったようだな……。とても機嫌が良さそうだ。
「改めまして、こんにちは。私はリュシカの母でドロテアと云います。貴方達のおば……になるわ」
おばあちゃん、と云おうとしたが、プライドが邪魔したようだ。まあ、藪をつついて蛇を出す趣味は俺にはない。突っ込みなど入れず、せいぜい媚びを売るとしようか。
「はじめまして、ドロテア『お姉さん』。アルトと云います。妹のフィー共々、よろしくお願いしますね」
「ふぃー、です。にぃ……さまの、いもーと、です」
おおお。たどたどしいながらも懸命に挨拶している我が妹。偉いぞ!
「まあまあまあまあ! ふたりとも、まだちいさいのにちゃんと挨拶できて凄いわ! リュシカの手紙であったように、兄妹揃って天才なのね!」
ドロテアさんが俺たちを抱きしめる。
母といい、祖母といい、そしてフィーといい、クレーンプットの血を引く女は抱擁癖があるのだろうか?
祖父母の家を訪れたのは、俺たち親子だけだ。
アーチエルフとハイエルフはここにはいない。
母の実家は安全なので無理に押しかけてまで傍にいる必要がなく、また、家族の出会いを邪魔したくないから、と云う理由で付いてこなかった。
それから、奴隷のオッサンはずっと馬車に付いているそうだ。彼の中では俺たち親子よりもご主人様の乗り物の方が大事なのだろう。
中に通され、ご馳走を振る舞われた。
ドロテアさんは孫が来るのを心待ちにしていたらしく、随分と料理を張り切ったらしい。
「さあさ、遠慮しないで食べてちょうだい」
肉やら野菜やら果物やら、盛りだくさん。
凄く美味しいけど、これ、食べきれるのだろうか?
「大丈夫よぉ。残ったら全部、うちの人に食べて貰うだけだから」
うん。この家の力関係が早くも理解出来た。
その祖父は、この場にいないが、理由を説明されてはいない。
まあ、普通に考えれば仕事に出ているんだろうけれども。
「ドロテアお姉さん、おじいちゃんって、どんな人?」
「あら? アルちゃん、あの人に興味があるの? 貴方達のおじいちゃんは、シャークって云う名前で、冒険者ギルドの職員よ?」
なんだか海賊でもやってそうな強そうな名前だ。
ざっくりした説明だったからか、母さんが祖母に代わって自分の父親の仕事内容を敷衍してくれた。
「お父さんは執行職と云う立場でね? 簡単に云うと、武力行使専門なの。遭難した冒険者の救助に出たり、未達成になってしまった討伐依頼を代行したり、問題を起こした冒険者に懲罰や制裁を加えたりするお仕事ね。あと、駆け出し冒険者に訓練を付けてあげたりしているわ」
思った以上に危険で大変そうな仕事だった。我が祖父はきっと強いのだろうな。
大好きな人たちのためなら兎も角、見知らぬ人間のために身体を張ると云う気概は俺にはない。冒険者やそれに準ずる立場になりたいとは思えない。
「立派な方なんだね、おじいちゃんは」
だからせいぜい、為人を知らない祖父をそう云っておくしかない。
「あらあら、そんな風に思ってくれるのね、うちの人も喜ぶわ」
「にーたりっぱ! にーたすきッ! あーんして!」
立派なのは俺ではないはずだが、何故かフィーがフォークに刺したお肉を口元に運んでくれる。うん。マイエンジェルに食べさせて貰えると、一段と美味しい。
「でも、新鮮な光景だわ。リュシカの子供達が目の前にいるなんて。うちに来るのは、ブレフとシスティだけだから」
「お母さん、あの子達を、呼んでくれてるんでしょう? 早くアルちゃんたちに紹介してあげたいわ」
ははあ。
どうやらそのブレフとシスティとやらが、母さんの考えていた俺の友達候補なのか。
しかし『うちに来る』なんて表現を使うところを見ると、ただの知り合いではないのかな?
「母さん母さん、その人達って、俺の身内だったりするの?」
「ええ。アルちゃんの親戚よ。と云っても、お母さんも会ったことがないんだけどね」
俺が産まれてから、母さんは一度も王都の外に出たことがない。
そして俺の友達候補と云うことは、歳も近いはず。少なくとも十年以内に産まれたのではないかと予想する。だから母さんも会ったことがないのだろう。
ドロテアさんは俺に笑顔を向けながら云う。
「ブレフとシスティは、うちの人の妹さんの孫にあたるわ。ブレフはアルちゃんと同い年。システィは、いっこ下になるわね。可愛い兄妹よ」
つまり俺とはハトコ同士の関係か。
ドロテアさんは続ける。
「ふたりはこのセロに住んでいてね、よくうちにも遊びに来るの。今日、アルちゃんとフィーちゃんが里帰りすると聞いて、うちに来てくれるようにお願いしているのよ」
「そうなんだ。ドロテアさんと母さんには、感謝だね。会うのが楽しみだよ」
無難にそう答えておくしかない。
特に友達を望んではいないと云う考えなのは、健全ではないよなぁと自分でも思う。
この辺は前世の記憶持ち故の弊害だろう。まあ、利点の方が多いから文句はない。母さんの気遣いを無駄にしたくないから、良い出会いになってくれると嬉しいとは思うのだが。
「そうよ、楽しみにして良いわ。だってシスティって、もの凄い美少女よ? かなり引っ込み思案で人見知りだから取っつきにくく感じるかもしれないけど、あれ程の美形はそうはいないから、アルちゃんも頑張りなさいね?」
「……はい?」
美人のおばあさん。云っていること、おかしくないですか?
ブレフくんと云う男の子をスルーして、システィちゃんと云う女の子の話しかしていない。
これではまるで友達の紹介ではなく――。
「……あ」
と、間の抜けた声を母さんが出した。
何ですかね、母上。貴女、何かやらかしましたか?
「私がお母さんに送った手紙。『アルちゃんに良い子を紹介してあげたい』、て書いたかも。だからお母さん、友達じゃなくて、彼女候補だと思ったんじゃ……」
えー……。
何とコメントすれば良いのか。
母さんの手紙の書き方もアレだが、彼女って……。
俺まだ五歳で、相手の娘はいっこ下なんでしょ?
いくら早婚の世界とは云え、早すぎる気が。貴族の婚約じゃあるまいし。
母さんが紹介してくれようとしたのは友達です、と俺は訂正してみたのだが、
「別に構わないじゃない。ブレフを友達に。システィを彼女にすれば良いわ」
ドロテアさんは事も無げに云う。てか、システィちゃんって娘が彼女候補なのは、改めるつもりがないなのね。
「だってアルちゃん、貴族の血を引いているんでしょう? そのままじゃ、政略結婚に利用されないとも限らないわ。なら先手を打って、彼女なり婚約者なりを作っちゃいなさいよ」
ああ、一応、そういうことを考えての発言だったのね。単に色恋沙汰が好きで恋人うんぬん云っているのかと思ったわ。誤解して、すみません。
「ダメよお母さん。アルちゃんには、フィーちゃんがいるんだから!」
「あらあらまあまあ、ふたりの仲は良い感じなの?」
それまで会話の意味がよく分かっていなかったであろうフィーが、自分の名前を挙げられて顔を上げた。そして『仲良し』の部分に強く反応する。
「ふぃー、にーたとなかよし! にーたがいちばん! にーただけ! ふぃー、にーただいすき! とくべつ!」
「あら、フィーちゃんとアルちゃんは特別なの?」
「にーたときすした! きすとくべつ! にーただいすき!」
妹様は勝ち誇るかのような、もの凄い笑顔だ。俺の自慢が出来て興奮しているのか、完全に「にーた」呼びになっている。
母さんは嬉しそうに、けれど冷やかすかのように微笑んでいる。ドロテアさんも笑っているが、これは微笑ましいものを見守るような表情だろうか。
「こんなに可愛い妹さんがいるんじゃ、私のお節介は意味がないのかもしれないわね。でもまあ、システィも凄く良い娘だから会ってみると良いわ。お相手を決めるのは、当人同士なんだから」
システィって娘は引っ込み思案と説明していたのに、そんなことを云う。
果たして先様に恋人なんて話が伝わっているのやら……。
(相手の娘の迷惑にならなければ良いけれど……)
最悪、友人関係になれなくても仕方ないが、ネガティブな印象を与えてしまうことだけは避けたい。
まだ見ぬハトコのことを考えながら、俺はフィーとご馳走を食べさせあった。
 




