第百九十四話 アル対クピクピ(後編)
スライムと充分な距離を取りながら、私は詠唱を開始する。
すると、対戦相手の子供が、顔色を変えた。
「えっ!? 古式の詠唱!? 使わないんじゃ、なかったのかよ……!」
「寧ろ光栄に思いなさい。この私が、貴方の技量を、ある程度とは云え、認めてあげたと云うことなのだがら……!」
告げながら、私はわずかばかりの違和感を覚えた。
あの少年。何かが妙だ。
でも、それが何かは、わからない。
(いいえ、何だって良い……!)
撃てば勝ち。
それで終わり。
「最後に、一応、確認してあげます。降参するつもりは、あるのかしら?」
「無効試合になるなら、別に戦う理由は無いよ」
「そう。降参はしないと云う事ね。なら、これで終わりです! ――咆震砲ッ!」
撃ち出される、魔力の光線。
強大なエネルギー。
単純。
しかし、威力は絶大。
どのような魔壁も瞬時に破壊し、あらゆる敵をなぎ倒す、古式の魔術砲。
ニパ様のフィールド内でなければ、この聖域の地形すら変えてしまう、究極の一撃!
さあ、残らず吹き飛びなさいッ!
(……?)
咆震砲を撃ち込んだ瞬間。
再びの違和感。
あの少年には、何か決定的な齟齬がある。
――そうだ、顔だ。
私は、その正体に気付いた。
彼の顔は、至って平静。
私が古式の詠唱を始めた時も。
そして、今、この瞬間も。
ほんのわずかの恐怖すら、抱いていないのだ。
何故?
どうして?
その顔に、一切の怯えがないのか。
あの男の子を守る魔壁は、わずか一枚。例のぶよぶよの壁だけだ。
偽のスライムの性能を過信しているとでも、云うのだろうか?
いや。
あの子供は、私が詠唱を始めた瞬間、それが古式のものだと気がついていた。
つまり、咆震砲を知っているのだ。
しかし、咆震砲を知っているなら、その威力も、分かっているはず。
魔壁が意味をなさない程の出力だと、知っているはず……!
なのに、どうして、そんなに落ち着いていられると云うの?
光の柱が、水の魔壁に突き刺さる。
壁は一瞬で消し飛び、その背後にいる少年も呑みこんでしまう――はずだった。
「な、何で……!? どうして無事なのよッ!?」
平然と佇む、少年の姿。
彼と私の間にある魔壁は健在で。
それはつまり、古式の一撃ですら、あの魔壁が防いだことを意味していた。
(分からない! 理解不能!? ありえないでしょう!? どう考えても!)
私の放った炎の魔術で、あの魔壁は、わずかなりとも蒸発したのだ。
ならば、それを遙かに上回る威力の攻撃を受ければ、消え去るのが当然のはず!
どうしてあの魔壁は形を保っていられるの?
傷ひとつなく――傷?
(そうだ。僅かの損壊すらないなんて、そもそも、そこがおかしい!)
ボロボロになりながらも防ぎきった、と云う話ですらない。
まるで初めから攻撃を受けていないかのように、あの魔壁は無傷で存在している。
そんなことが、ある訳がない。あり得るはずがないッ!
これでは、まるで――。
「あー……。悪いね」
少年は、不正が見つかったかのような苦笑いを浮かべる。
「これはさ、インチキなんだ。前提からして、そっちに勝ち目なんか無い。だって、俺に対して、一切の攻撃は通じないから」
「――は?」
「すまんね。『そういうルール』なんだ。ここがここである以上、どうあがいても、俺は負けない」
「云っている、意味が……」
目眩がする。
この子供は、一体、何を云っているの……?
呆然とする私の横で、ニパ様が微笑を消されていた。
「……貴方、とんでもないことをするのね。今やったことは、高祖様の教え?」
「いや。赤ん坊の頃から、こういうことが出来るだけです。まあ、技術の研鑽や応用の発想は教育のたまものだから、エイベルのおかげと、云えなくもないですけどね」
ニパ様は、この不可解極まる現象を、理解されているようだった。
私には、まだ分からない。
けれど次の瞬間、マイム様の言葉を聞いて、愕然とした。
「ふえぇっ!? お兄さん、どうして聖霊の力を使えるのですか!?」
聖霊の……力?
それは一体、どういう事なの……?
「魔力制御が異常なレベルで突出しているの? それとも、力の誘導が出来るのかしら?」
「…………ははは」
子供は、困った風に頬をかいた。
これでは、ニパ様の質したことが正解なのかどうかが分からない。
しかし、今の遣り取りで、私も理解した。
私の魔術を遮ったのは、ニパ様のフィールドだ。
何をどうやったのかは知らないけれども、攻撃を無効にする聖霊の力を、この少年は行使したのだ。
「ぶっちゃけ、古式魔術を防ぐ手立ては、現状の俺にはありません。火力が凄すぎます。魔壁を複数展開しても無駄でしょう。一緒くたに吹き飛ぶだけです。範囲が広すぎて、躱すのも難しい。撃たれたら、その時点でアウトです。なので、対処法はふたつだけ。防げる力を用意するか、事前に撃てないように細工をするか」
「その云い方だと、まるで『撃たせない』ことも出来るかのようだけど?」
「…………いやぁ、どうなのかな?」
ニパ様の言葉に、彼は苦笑したまま目を逸らした。
否定をしない。
まさか本当に、私に魔術を使わせない手段があるとでも云うのだろうか?
それこそ、あり得ない。
だって、そんなことが出来るなら、最初から使えば良いのですから。
「ニパ様、あの魔壁には、ニパ様のお力が籠もっているのですね?」
「ええ。いきなり力の流れが変化したから、私もビックリしたわ。この子、貴方が詠唱を開始した瞬間に、私のフィールドをいじくったの。力の一部を、あの魔壁に加えたみたい」
聖霊の力に干渉する!?
そんなことが、可能だとでも云うの?
いえ、可能だったのでしょう。
でなければ、この子供の云う通り、私の魔術で吹き飛んでいなければ、おかしいのだから。
何なのよ、この子!
やっぱり、怪物じゃない!
「エイベル様が弟子に取るはずだわ。ニパ様のフィールドに干渉したことと云い、その魔壁と云い、尋常なことではない」
「いや。だから、俺の場合はコネだってば。それに、この魔壁じゃ、エイベルには認めて貰えないと思うけど……」
攻防一体の、この魔壁が認めて貰えない?
信じられなかった。
彼の表情は苦笑に満ちており、下手くそな謙遜をしているとも思えない。
私がその評価に疑問と呈すると、彼は、自らの師を呼び寄せた。
「エイベル~。ちょっと来てくれる?」
「……ん」
水汲みを中断し、こちらへやって来るエイベル様。
無造作に置かれたあの異次元箱ひとつで、どれだけの価値があるのか、想像も付きません。
「エイベル、今の試合、見てたよね」
「……ん」
「この魔壁、エイベル的には、どうなの?」
「……ん。あまり」
エイベル様の感想は、簡潔を極めた。
しかし、私には理解が出来なかった。
古式魔術を使わねば取り除く手段が見出せぬこの魔壁が、「あまり」とは、どういう事なのか?
「ほらね?」
残念そうな顔で、彼は云う。
「どういう事なのですか、エイベル様!? これ程の魔壁が、何故ダメなのです!?」
「……ん。基礎からダメ。話にならない」
基礎から?
打撃にも斬撃にも耐え、石弾も火炎も通じない、この魔壁が、基礎からダメ!?
私が理解出来ぬことに気付いたらしいエイベル様は、実際に指摘してくれるつもりになったらしい。
ちいさく一言、弟子の名を呼ぶ。
「……アル」
「ほいさ」
「――なッ!?」
彼は、いとも簡単に、魔壁を展開した。
二個や三個ではない。少なくとも、十個はある。
これ程の魔壁を、いとも容易く現出させられるなんて……!
しかし、次の瞬間。私は驚愕した。
つい、とエイベル様が指を振ると、局地的な突風が吹き、魔壁はひとつ残らず、空の彼方へ吹き飛んで行った。
「……アルの魔壁は、基礎がしっかりしていないから、定着が甘い。簡単に飛んで行ってしまう。こんなものは、いくつ出そうが、魔力の浪費でしかない。根本部分がおろそかでは、どんな魔壁を作っても、意味がない」
それだけ告げると、エイベル様は、水汲みに戻ってしまった。
「こんなもんですよ、俺なんて」
哀愁を帯びた苦笑で呟くアルト少年。
私の常識が、根本からゆらいでしまった。
この師弟は文字通り、次元の違う場所にいたのだ。




