第百九十三話 アル対クピクピ(前編)
私は、このキシュクードが好きだ。
のどかで。
雄大で。
清浄で。
綺麗で。
だから、代々キシュクードの護持魔術師の家系に産まれたことが嬉しかったし、誇りでもあった。
何かを守れる、と云うのは、素晴らしいことだ。
強い力と真っ直ぐな心根がなければ、不可能なことだから。
この島に外部からやって来る者は、とても少ない。
だから、『外』の話を聞けることは、とても貴重だ。
島の外は、いつも争いが絶えないのだと云う。
キシュクードのように、皆が笑い、仲良くすることが出来ないのだと云う。
そんな話を聞く度に、私は外の者たちを愚かしいと思うと同時に、この島が恵まれているのだと再確認する。
そんな中で、私はあるエルフの魔術師に、憧れを抱いた。
エイベル様。
エルフ族の高祖にして、伝説の者。
キシュクードの聖霊である、ニパ様ですら憚る程の、大魔術師。
何度も多くの人を救った、私の理想像。
あの方のようになりたいと思った。
あの方のような強さが欲しいと思った。
幸い、私には魔術師としての才があり、ニパ様より古式魔術を授かるに至った。
今はまだ、あの方に遠く及ばなくとも、謦咳に触れる資格くらいは、あると思った。
「高祖様に教えを請う? それは無理ね。私でも、断られたくらいだから」
遠い目をして、ニパ様はそう云った。
あの方は、決して弟子を取らないのだとも。
「だから、貴方は力を付けなさい。あの方が驚くような、優れた魔術師になりなさい」
その一言で、私の心は定まった。
この素晴らしい聖域を守る為に。
そして、自らの憧れを形にするために。
あの御方に弟子にしていただく為の努力をすることにしたのだ。
いつか、あの御方に認めて頂くために。
いつか、あの御方に、教えを頂くために。
けれど、現実は驚きを私にもたらした。
あのエイベル様が、弟子を取っているという。
それも、人間族の子供を!
それが目から鼻に抜けるような鋭敏な人物ならば一応の納得も出来ようが、現れたのは、あまり覇気を感じない、酷くくたびれた雰囲気を纏った、ただの子供だったのだ。
何故こんな子供が?
その疑問の答えは、酷くシンプルだった。
エイベル様の友人の息子と云う地位を利用して得た立場だったのだ。
ああ――許せない。
許せるものか。
才もなく、やる気もない者が、エイベル様に教えを頂くなどと――。
(少し、こらしめる必要がありますね)
私は、そう思った。
※※※
「それでは、はじめっ!」
ニパ様の合図が響く。
私は、あの子供に、魔術師としての在り方を伝授してやることにした。
それは、魔術の使い方だけではない。実戦の厳しさだ。
詠唱。
その隙間を攻撃されることの恐怖を、この場で学ぶべきなのです。
私は、初手を全速で打ち掛かることに決めた。
「シッ……!」
身体強化の魔術で距離を詰め、一気に殴りかかる。
相手は無防備――いえ、違う!
既に魔壁が展開されている?
(あれは……水? 水の魔壁……?)
事前に準備をしていたと云うことでしょうか?
中々、抜け目がないところも、あるじゃない。
でも、中途半端な魔壁なら、ただの一撃で粉砕してあげる!
私は力を込めて、魔壁を殴りつけた――はずだった。
「えッ!? 何、この感触は……!?」
硬いでもなく、弾き返すでもない。
沈み込む、私の拳。
(これはまるで、子供がこねて遊ぶ、あの水のような――)
ぐにゃぐにゃぶよぶよとした、あの感覚。
そう云えば、この子――。
今さっき、あの水を、作り出していた。
このぐにょぐにょを、防御に利用するなんて。
二度、三度と拳を撃ち込む。
壊せない。
手刀で斬り込む。
千切れない。
「――ッ!?」
ゾッと。
嫌な予感がした。
私に第六感は無いけれど、それは直感のひとつだったのだと思う。
慌てて飛び退く。
するとその瞬間に、さっきまで私がいた場所に、ぶよぶよの魔壁が覆い被さっていた。
それはまるでスライムのように。
あの場にいれば、私を呑みこんだに違いない。
物理的に破壊できないアレに包み込まれたら、その瞬間に手詰まりだっただろう。
呼吸だって、出来るかどうか。
(あの魔壁は物体ではなく、あの子が自分の魔力で作りだしたもの。だから、自在に操れると云うこと!?)
軟水の魔壁は、すぐに形を変え、私たちふたりの間を遮るように屹立した。
これではもう、格闘術は使えない。
純粋な魔術戦を挑むしかない。
この展開を、狙って誘導したと云うの?
いいえ、そんな頭脳を、ただの子供が持つはずがありません!
私は石の弾丸を作り出し、連続して叩き付けた。
しかし、貫けない。
衝撃がゆるやかな波紋のように拡散して、石の威力を殺してしまう。
(火炎なら!)
火球を放つ。
しかし、蒸気をあげて、かき消えてしまった。
(そうか! ぐにゃぐにゃでも、あれは水――!)
火の天敵だ。
火球では、あれを突破できない。
あの壁が、あの魔壁のみで存在する物質か何かなら、時間を掛けて蒸発させることも出来るかもしれない。
けれども、水源は、あの子の魔力……!
あの子供が魔力切れを起こさない限り、修復してしまうのだ。
(なんて厄介な魔壁を使うの……!?)
いらだたしい。
余程の攻撃でなければ、あの壁を突破することは出来ないと云うことが、イヤでも分かる。
このままでは倒すことが出来ないと云うことが、分かってしまう!
「……よいしょ」
アルトとか云う子供は、淡々と腕を振る。
すると、あのスライムが増えてしまった。
しかも新たに増えた、その偽りのスライムは、まるで攻撃担当だとでも云わんばかりに、私に向かって、這いずって来た。
「くっ……!」
火炎の魔術を叩き付ける。
蒸気は出るが、矢張り再生してしまう。
これでは、削りきれない。
私は飛びずさり、距離を取った。
幸い、移動速度だけは、大したことがないようだ。
(逃げ回って、隙を突く? いえ、それは無理――)
そこにあるのは、ひとつの悪夢。
あの子供は、よっつ、いつつと、あのスライムを増やしてしまう。
複数の特殊魔壁を維持しながら、しかも同時に動かしてのけるなんて。
魔力量も、魔術制御も、一級品じゃない!
こんな魔術を汗ひとつかかずに使いこなして、どこが弱いと云うのよ!?
「ふざけたこと、してくれるじゃない……!」
「え? いや、真面目に戦っているつもりなんだけど……?」
あの子供は、一歩たりとも動いていない。
その必要が、無いからだ。
これでは、まるで私が、遙か格下扱い……!
「いいわ。少しだけ、貴方のことを認めてあげます」
「それは助かる。じゃあ、試合は終わりで良いのかな?」
「いいえ。試合は続けます。だって、私が勝つのだから」
そう。
この魔術には驚いたけど、私の勝利は動かない。
何故なら、この偽スライムに効かないのは、『通常の攻撃』であり、『通常の魔術』だから。
(後悔なさい……!)
最早、数える程しか使い手のいない、古式の魔術。
その威力を、見せてあげるわ!




