第百八十八話 やって来た人
「ふえ? クピクピさんは、どこですか?」
水色ハウスに戻ると、お茶を用意してくれたマイムちゃんが首を傾げる。
「あのコロボックル、飛んでった!」
「そうなのですか? 何か急用があったのでしょうか……?」
人の良い水色ちゃんが、そんな事を云う。勘違いさせてしまっているようだ。
まあ、フィーも嘘は一切、云っていないんだけどさ。
ありのままの事実を述べているだけで。
可愛いテーブルの上に、カップが置かれる。
殆どが水色ハウスの備え付けだが、例外がひとつ。
それは、桜色のマグカップだ。
「ふへへ……! ふぃーのマグカップ! お気に入り!」
俺の作ったアレだね。
フィーは普段から、あのマグカップを愛用している。
今回のお出かけにも、わざわざ持ち込んだくらいの気に入りようだ。
曰く、「これじゃないと、ふぃー、落ち着かない!」とのこと。
「綺麗なマグカップですねー。なんだか、見ていると、ほんわかしますぅ」
水色ちゃんまで、そんなことを云ってくれる。
大切にしているカップが褒められて嬉しかったのか、フィーは得意げな顔になっている。
「ふへへへへ……! にーた、好きッ!」
そして、抱きつかれてしまった。
カップの制作者が俺だからだろうが、それを知らない水色ちゃんは、笑顔のまま、首を傾げている。
「エイベルー、貴方も、こっち来なさーい……」
「……ん。もうちょっと」
「ダメよ! お茶を飲むほうが、大事!」
母さんが水汲みを続けるエイベルを引っ張ってくる。
水色ちゃんが、目を丸くして驚いた。
「ふえぇっ……! エイベル様を、あんな扱いに……!」
無表情のまま引き摺られて来るエイベル。
それを母さんが、強引に座らせる。
「……まだ水を汲み終わっていない」
「もう! 団らんの方が大事でしょう? まだ変なことを云うなら、アルちゃんをけしかけて、お仕置きするからね!」
えっ!? 俺を巻き込むの!?
何をさせる気!?
「…………」
そして、何故かこちらをじーっと見ているお師匠様。
何なんだよ、もう!
「さぁさ、皆さんには、マイム特製のお茶を飲んで欲しいのです……! 水が良いので、きっと気に入ってくれると思います!」
水色ちゃんがハッキリと云い切った。
余程に自信があるんだな。
クレーンプット一家のうち、三人はド庶民だが、残るひとりは紅茶に拘りのあるエルフ様。
お味のほうは、果たして。
「いただきます」
ずずっ、と熱いお茶を口に含む。
(おおっ、これは……!)
香りも良いが、水が凄い!
まちがいなく、聖湖の湖水を使っているのだろう。
「ん~~っ、美味しいわねー!」
母さんも目を閉じ、喜びにうち震えている。この味なら、無理もないことだが。
そして、妹様もご満悦のようだ。
「美味しい! このマグカップに相応しい味! ふぃー、気に入った!」
うん。
明らかに俺のマグカップの方が釣り合わないと思うが、兎に角、お気に召したようだ。
水色ちゃんも、お茶を褒められて嬉しそう。
おずおずと、うちの師匠に問いかける。
「ど、どうでしょうか、エイベル様……」
「……ん。美味しい。これが、貴方達が、ずっと守ってきた水」
「は、はいです……っ!」
満面の笑顔になる聖霊幼女。
『ずっと守ってきた』と云う評価が、特に心に響いたようだ。
湖の聖霊は、代々、聖湖とこの島を守る任を負う。
島の環境を整え、維持し、そして発展させる。
聖域は、『ただある』だけでは、劣化してしまう。
『良きもの』として維持し、向上させてきたのは、歴代の聖霊や、住人たちの努力なのだと。
何度もキシュクードを訪れているエイベルは、その度に、お茶をご馳走になっているはずだ。
水質が落ちていれば、すぐに気付いてしまうだろう。
だから、うちの先生に合格を貰えるのは、ただ褒められたという以上の価値があるのだと。
「え、えへへっ……!」
水色ちゃんが、ちいさくガッツポーズ。
当代の主としての誇りが、この幼女には、確かにあるようだ。
良い子だなァ……。
母さんもそう思ったのか、水色ちゃんを再び抱き上げてしまう。
「ふえぇっ……!?」
「むむっ! にーた、ふぃーも! ふぃーも、だっこして?」
張り合っているのか、口実にしたいだけか、負けじとマイシスターも、俺の膝の上に乗ってくる。
「マイムちゃん、こんなにちいさいのに、頑張っていて、偉いわー? で、エイベル、この娘は何で、お母さんと一緒じゃないの?」
「……聖域の主は、常にひとり。マイムが母親の跡を継いだから、ここは、その子の地となった。ひとりなのはつまり、マイムが既に一人前の聖霊と判定された証」
「育児放棄じゃないのねー? そこは安心したわー」
でも、と母さんは呟く。
「こんなにちいさくて可愛い娘なら、私なら、放っておけないわー。マイムちゃん、寂しくなぁい?」
水色ちゃんを撫でながら、大陸公用語で話しかける母さん。
その言葉を、俺が通訳する。
「は、はい! 寂しくないと云えば、嘘になりますが、これは私の修行です。頑張らねば、なりません。クピクピさんをはじめ、頼もしい皆さんもいてくれています。……そ、それに……」
やけにちいさな声で、水色ちゃんは口ごもる。
「マイム、よくぞ云いました!」
バーン、と扉が開かれる。
そこに、ひとりの女性が立っていた。
水色の髪と、水色の瞳。
マイムちゃんを大きくして、美人系に変えたら、こんな感じだろうかと云う外見。
尤も、マイムちゃんは中身だけでなく、外見もほんわかしている。
成長しても、かわいい系になるのだろうが。
「ふ、ふえぇっ!」
入って来た女性を見て、水色ちゃんが驚く。
女性は、どこで拾ったのか、クピクピをぶら下げていた。
「あら? 綺麗な人ねー?」
のんびりと云う母さんに女性はズンズンと近づき。
「ふん!」
水色ちゃんを奪い取って、だっこした。
代わりに、母さんの腕の中には、何故かクピクピが押しつけられる。
「お、お母様、また、いらしたのです?」
ん?
また?
今、またって云った?
女性はマイムちゃんの発言を無視し、娘を抱えたまま、エイベルに跪く。
「ご無沙汰しております、高祖様」
「……ん」
俺は無表情の師をつつく。
敏感体質の師は、一瞬だけピクッとしたが、すぐに平静を保った。
「エイベル、この人って、もしかして?」
「……ん。マイムの母親。先代の主」
やっぱり、聖霊様だったか。
「あら? マイムちゃんのお母さんなの? 離れて暮らしているんじゃ、なかったのかしら?」
「ええ。娘とは、離れて暮らしておりますわ」
綺麗な大陸公用語で、マイムママンは答えた。
「そ、その……。お母様は……隣の島で暮らしているのです。毎日、逢いに来てくれるのです」
何それ。
めっちゃ近いじゃん。
聖霊ほどの力があれば、多少の距離なんて、あって無いようなものだろうし。
水色マザーは、ぷいと横を向く。
「退去した聖霊が住む場所に、特に規定はありません。どこにいようと、私の勝手でしょう?」
マイムちゃんを抱きしめる仕草を見れば、この人が娘大好きなのは、よく分かる。
きっと溺愛しているんだろうなァ……。
「で、ですが、お母様。エイベル様をお迎えするのは、キシュクードの主である、私の大切なお役目です。今朝も、ひとりで頑張ってみなさいと云ってくれたではないですか」
「仕方がないでしょう。私は空中遊泳をしていたクピクピを届けに来ただけです」
クピクピ、島の外まで吹き飛んでいたのか。
で、それを口実に、大好きな娘の元へとやってきたと。
「高祖様、クピクピを吹き飛ばすとは、この娘が何か、無礼を働いたのでしょうか?」
「……吹き飛ばしたのは、私ではない」
「またまた、ご冗談を。この場にいるのは、幼児ふたりと、人間の女性ひとりじゃないですか。まさか私の娘を勝手に抱きしめていたこの女性が、人間世界きっての大魔術師だとでも云うおつもりですか?」
水色マザーは肩を竦める。
事情の分かっていないマイムちゃんは、母親の腕の中で首を傾げていた。
そして、元気よく手を挙げる可愛い子が、俺の膝の上に、ひとり。
「はいはーい! それ、ふぃーがやった! にーたに云われてやった!」
ちょっと、フィーさんや。
その場の空気が、凍り付いた。




