第百八十七話 勝負?
「勝負?」
「そうよ!」
「え、いやだよ……」
こんな景観の良い場所に来て、何が悲しくてそんなことをせねばならんのか。
「逃げるつもりッ!?」
「逃げるも何も、俺にメリット、何もないじゃん……」
「本気で云っているの!? エイベル様の弟子として、恥ずかしくない振る舞いをすることは、何をおいても優先すべき事柄でしょう!?」
訳のわからん勝負を挑まれて、ほいほいと乗っかる方が、俺は恥ずかしいと思うけど。
それに、善し悪しの判定は、エイベル本人がすべきものだ。
どこのどなた様に何を云われようと、関係がない。
「えっとさ……」
「何よ!?」
「あんた、強いんだろう?」
「当然じゃない! 私は、この島きっての魔術師よ?」
「そうか、凄いな。だが、俺は弱いんだよ。あんたの趣味って、弱い者いじめなのか?」
俺が事実を端的に述べると、クピクピは信じられない、と云う顔をした。
「エイベル様の、弟子なのに?」
「誰の弟子でも、へなちょこなら、へなちょこだろう。そもそも、何でこんな子供を強いと思えるんだよ……」
こちとら、五歳十一ヶ月だぞ?
いや、まあ、成人しても強くなれるとも思えんが。
「嘘よ……! だって、エイベル様は、世界一の大魔術師よ? そのエイベル様に見いだされたのだから、きっと特殊な才能が――」
「あ、俺の場合、単なるコネ。母さんの友達なんだ、エイベルは」
だから何かを期待されても、無理ッス。
「……そ、そんな、そんなはずは……!」
クピクピは縋るようにエイベルを見た。
可愛いエルフの先生は、水汲みを続けながら頷く。
「……ん。アルは戦魔術師として見た場合、あまり強い方ではない。教え初めた切っ掛けも、リュシカの子供だからで合っている」
「…………ッ!」
クピクピは、ガクリと膝をついた。
色々すまんね。
でも、事実だからさ。
「にーたああ! にーたあああああああああ!」
まるで騒々しさを引き継ぐかのように、家の中から、フィーが突進して来て、俺に抱きついた。
「にーた、ふぃー以外と話す、めーなの! もっと、ふぃーを構うの!」
「コロボックルたちは、どうしたんだよ?」
「今は、ざんてー的に解放してるの! にーたに、だっこして貰う方が、ふぃー、大事!」
ぷんぷんと怒りながら、フィーは、もちもちほっぺを押しつけてくる。
ああ、柔らかい。
「にーた! このエイベルっぽい服を着たコロボックルと親しげに話してた! それ、ふぃー、良くないと思う!」
別に親しげに話していた訳ではないのだが……。
「じゃあ、いじめられてた? なら、ふぃーが、にーたを守る!」
俺の腕から飛び降り、特撮ヒーローのような大仰なポーズを取るマイエンジェル。
床に手を付いたままのクピクピが、澱んだ瞳でフィーを見つめた。
「私は、落ち込んでいるの。ただの子供は、あっちへ行きなさい……」
「ふぃー、ただの子供ちがう! にーたの妹! おんりーわん!」
「そんな妙な理屈をこねるなら、誰だってオンリーワンでしょう。私は、魔術の話をしているの。貴方のようなちいさな子供には、関係のない話よ」
「ふぃー、魔術なら、ちょっぴり使える! 魔術、にーたを守るための力!」
妹様の中では、あの強大な魔力は、そういう位置づけなのか。
甘えるのが大好きなマイシスターは、それでも「ふぃー、にーたに守ってもらう!」とは云わないあたり、意識的か無意識的か、強さの差を理解しているんだろうなァ……。
情けない話だ。
「は! じゃあ、その力とやらで、今、お兄さんを守れるとでも云うの?」
「んゅ? 今、にーたピンチ違う」
「たとえばの話よ! 大魔術師である私が貴方のお兄さんをいじめようとしても、貴方では、止められないでしょう?」
「んゅゅ? コロボックル、全然強そうに見えないよ?」
「私が人間族よりも、ちいさいから、バカにしているのね? 云っておくけど、私の魔力量は、ちょっとしたものなんだから!」
フィーの無邪気な言葉に憤慨したのか、クピクピは、すっくりと立ち上がる。
しかしマイシスター、更に首を傾げて、コロボックルを見おろした。
「ふぃー、そっちの魔力、あまり大きく感じない。それだと、出来ること、少ない」
「な、何ですって!?」
どうやら、クピクピは自分が優れた魔術師であると考え、そして、それを誇りにしているらしい。
妹様の言葉に、自尊心を傷つけられてしまったようだ。
「なら、私に魔術を撃ってみると良いわ! 鉄壁と謳われる私の魔壁を、打ち破ってみせなさい!」
私の一撃を防いでみなさい、ではなく、撃ってこいと云うあたり、最低限の配慮は働いているらしい。
しかし、フィーは首を振る。
「魔術、ひとに撃っちゃいけないって、にーたや、おかーさんに云われてる。ふぃー、そういうこと、しない」
おうおうおう、ちゃんと云い付けを守れる、良い子じゃないの。
頭を撫でておこう。
「フィー、偉いぞ」
「ふへへへへ……! ふぃー、にーたに褒められた! いー子でいる、当然! ふぃー、にーた好きッ!」
笑顔で抱きつかれてしまった。
だが、この天使、次の瞬間に、無邪気に爆弾を投下してしまう。
「ふぃー、弱い者いじめしない! いー子でいる、そう云うこと!」
「な……ッ!?」
ビキリ、とコロボックルの可愛らしい顔に、青筋が走った。
「この私を侮辱するつもり!? 取り消しなさい! いくら幼児でも、容赦しないわよ!?」
「侮辱違う。ふぃーが、えいやーってすると、吹き飛んじゃう」
「兄妹揃って、私をバカにして……ッ!」
クピクピの目の前に、分厚い魔壁が発生する。
確かに、中々頑強そうに見えるが……。
「にーた、あのコロボックル、何か怒ってる? ふぃー、よく分からない」
うーん。これはしょうがないな。
フィーの云っていることは正しいのだが、納得しろと云われても、出来ないだろう。
実際に味わってみないと、マイエンジェルの凄さは分かるまい。
「フィー、耳を」
「なぁに? 内緒話? ふぃー、にーたと秘密を共有するの好き!」
ぽしょぽしょと指示を出す。
すると、マイシスターは、やる気に満ちた表情で頷いた。
「分かった! ふぃー、にーたの云う通りにする!」
そして、クピクピに向き直る。
「ふぃーが、そっちの魔壁に撃てば良い?」
「そうよ! やっと、その気になったみたいね!」
「じゃあ、ふぃー、撃つ! 準備い~い?」
「やってみなさい! 子供の魔力程度じゃ、こゆるぎもしないけどね!」
「じゃあ、行くの! えいやーっ!」
可愛らしい、かけ声が響く。
そして、ドン、と云う、空気が炸裂する音。
「――は?」
最後にかろうじて聞こえたクピクピの声は、疑問に満ちたものだった。
自分の状況が、理解出来なかったのだろう。
尤も、説明してあげようにも、ご本人は、既にいない。
遙か彼方へ、吹き飛んでいったからな。
(魔壁が丈夫とか、頑強とか、そういう次元じゃないんだよなァ……)
フィーが放ったのは、風の魔術。
ただ、それだけ。
それだけでクピクピは、魔壁もろとも、星となった。
俺がフィーに出した指示は、空気のクッションでクピクピをくるんであげること。
これなら、落下しようが岩壁に叩き付けられようが、無事なはずだ。
たぶん。
「にーた、これで良いの?」
「ああ、うん。ご苦労さん」
「ふへへ……! ふぃー、手加減、頑張った!」
両手をこちらに広げてくる。
だっこしろ、と云うことらしい。
望み通りにしてあげると、
「めー! なでなでも!」
要求がエスカレートした。
まあ、良いか。
元は俺が勝負を挑まれたような気がしたが、もう、どうでも良いだろう。
「アルちゃ~~ん、フィーちゃ~~ん、お茶が入ったわよー」
水色ハウスの中からは、そんな脳天気な声が聞こえてくる。
ある意味で騒動の原因となったうちの先生は、
「……ん。やっと、ひと箱目、終了」
こちらなど見向きもせずに、水を汲み続けていた。




