第百八十五話 聖湖へ到着
「んゅ……?」
湖が近づくと、腕の中の眠り姫が、お目覚めになられた。
周囲をキョロキョロし、俺を見て、
「ふへへへぇ~~っ! にーただあああああ!」
ほっぺにキスされてしまった。
「おはよう、フィー。よく眠れたか?」
「魔力、濃くなってきた。ふぃー、それで目がさめた」
湖が近いからかな?
俺の腕から降りる気配のないフィーは、先導しているクピクピに気付く。
「にーた! お人形! お人形が歩いてるッ! ふぃーが寝てる間に、何があった!?」
母さんたちと合流したことには、言及がない訳ね。
まあ、この娘なら、眠る前に、近づいてきていたことに気付いていただろうから、薄情とか、そう云うのでは無いのだろうが。
「みず――マイムちゃんの知り合いと合流できたんだよ。あれは人形じゃなくて、コロボックルな?」
「ころぼっくる……! 知ってる! ふぃーの生け捕りリストに入ってる……!」
何その怖いリスト。
ただでさえ俺を警戒している妖精種の魔術師が、より警戒しちゃうじゃないか。
滅多なことは云わないでくれい。
あ、いや。
大陸公用語なら、わからないのか。
「にーた、この島、広いのに、大きめの魂、少ない」
「ふむ?」
つまり、あまり大人数で暮らしているわけではないのか。
エイベルも、ここを『国』とは呼ばなかった。
一大勢力と云う訳でも無いのだろうな。
俺はすぐ傍を歩く恩師に振り返る。
「基本的なことを聞いていなかったけど、この地の君主って、湖の聖霊ってことで良いんだよね?」
「……そうなる。国や領地と云う観念は殆ど無く、主と従者が暮らしている家だと思えば、話が早い」
成程、家か。
湖そのものが家と云う訳ね。
「あのクピクピって子は兎も角、マイムちゃんは、のんびりしてるし、まだ見ぬ他の住人たちも、飯を食いに帰るあたり、ゆるそうな気がするんだけど、これって環境のせい?」
「……ん。ここが隔絶された地だからこその状態と云える」
外敵がいないから、のんびりしていると。
田舎の家が鍵を掛けないとかと、似たようなものだろうか?
でも、それって、危なくないのかな?
「……危機感が薄くないと云えば、嘘になる。けれど、この地くらいは、せめて、のどかでいて欲しい。そんな土地がひとつくらいあっても良いのだと、私は思いたい」
「それには、人を近づけないことが前提になるよね?」
人間は欲深い。
多種族から警戒されるその理由は、この地の安寧に、そのまま係わることだろう。
「……その為に結界があり、海を守護する者達がいる」
「あの人魚のように?」
「……ん。他にもいるけれども、その認識で正しい」
エイベルがこう云うってことは、守りは万全なのかな?
いや、この場合は、秘匿性と云うべきか。
ともあれ、あまり警戒心無く生きていける環境というのであれば、俺もそれは貴重なものだと思うし、存続して欲しいとも思う。
「……安閑としていられるかは、結局、人間に知られるかどうかだと思う」
ぽつりと呟くエイベルの言葉が、人間族の俺の胸に響いた。
※※※
「ふぉおおぉおぉお~~っ! にーた、湖! 湖、大きい! ふぃー、大きいの好きッ!」
雄大なものに興味を示す妹様が、眼前に広がる聖湖を見て、目を輝かせた。
南国の海すら霞む、美麗に澄んだ、巨大な湖。
荘厳で幻想的なはずなのに、妙に親しみやすい。
周囲に見える木々や植物が絵本のようにコミカルだから、恐れ多さを感じないのだろうか?
「あの建物、可愛いわねー」
湖の中心部にぽつんと見える家を、母さんが指さす。
デフォルメチックな建物が、そこにあった。
「あれは、この聖域の中心部にして、唯一無二の神殿です。こうべを垂れると良いですよ!」
クピクピがドヤ顔で説明をする。
神聖性を全く感じない可愛い建物が、湖の聖霊の住処であるらしい。
神殿と説明されても、どうにもピンと来ず、おとぎ話の住人が住んでいますと云われる方が、きっと、しっくり来るだろう。
「あそこに、聖霊様と云うのがいるのね~? 失礼がないようにしないとね」
未だ水色ちゃんを離さず、しっかりと抱きしめている母さんが、そんなことを云う。
エイベルが俺の袖から指を離し、マイマザーに近づいた。
「……リュシカ。湖の聖霊は、そこにいる」
母さんを指さすエイベル。
母上様は、自分の身体にめり込んでいる「ふえふえ」云っている可愛い生き物に目を落とした。
「あら? あらあらあら? もしかして、マイムちゃんが聖霊様なの?」
「……ん。先代から、この聖域を引き継いだ当代のキシュクードの主。それが、マイム」
「あらー! こんなにちいさいのに、偉いのねー!」
「ふえぇっ! 柔らかいですぅ……!」
母さんに撫で回されて、マイムちゃんが悲鳴をあげた。
腕の中にいる子供の正体を知ろうと知るまいと、対応が変わらないのが母さんらしい。
(そうか、水色ちゃんが聖霊様か。何となく、そんな気はしていたけれども)
まあ、俺も俺で、無理に態度を変える必要はあるまい。
この娘は俺たち兄妹を『友達』と云ってくれた。
これでよそよそしい『お客様』に戻ってしまったら、きっと悲しむと思うのだ。
「あの建物が、私のおうちですぅ。どうか、皆さん、寄っていって下さい」
うん。
つまり水色ちゃんは、神殿にそのまま住んでいるんだね。
「あー! エイベル様だー!」
「本当だ、エイベル様だ」
湖の近くまでやって来ると、コロボックルたちが、わらわらと出て来た。
2~30人くらいはいるだろうか。その表情は、のんきで明るい。
クピクピや商会のエルフたちのような尊崇心は微塵も見えず、知り合いのお姉さんが来たかのような出迎え方だ。
中には、囓りかけの果物を手に持っている奴までいる。
「……ん」
妖精たちの声に、エイベルは、ちいさく頷くだけ。
うちの家族と喋る時は、それなりに口数が増えるが、それ以外だと、こんなものだろう。
反応を示すだけ、まだ好意的と云うものだ。
「マイム様もいるー」
「ホントだー。マイム様、はぐれちゃダメだよー?」
「ふえぇ、ごめんなさいですぅ……!」
聖霊様に対しても、こういう対応なのね。平和な場所だなァ。
「あらあら、可愛い子たちねー? 全員、だっこしてあげたいわー」
「にーた! ふぃー、失敗した! 生け捕る為の道具、持ってきてない!」
そして、ここでもマイペースなクレーンプット母娘。
「どきなさい、貴方たち。エイベル様とマイム様の邪魔になるでしょう!」
「あー、クピクピだー!」
「クピクピ、エイベル様に、ちゃんと云えたのー?」
「くぅっ……! は、離しなさい!」
どけと云われているのに、クピクピの袖やらマントやらを引っ張るコロボックルたち。
クピクピは、もがくが、多勢に無勢、どうしようもない。
「エイベル様ー。クピクピから、話は聞いたー?」
「エイベル様ー、聞いたのー? 聞いたのー?」
「……?」
エイベルが無表情のまま、首を傾げる。
「ちょっ、貴方たち――!」
コロボックルの魔術師は遮ろうとするが、
「クピクピねー。エイベル様の弟子になりたいんだってー」
「魔術だよー? 魔術だよー?」
何がおかしいのか、コロボックルたちが、はしゃいでいる。
「エイベル様、弟子なんか取らないのにねー」
「弟子いない、弟子いないー!」
うん。
まあ、ここに一応、いるんですけどね?




