第百八十一話 水色の幼女
水色の髪と水色の瞳を持った幼女――。
取り敢えず、水色ちゃんでいいか。
水色ちゃんは、怯えた瞳で、俺たちを見上げている。
「にーた、この娘、敵? こらしめる?」
「ダメだっつーの。ちょっと待ちなさい」
フィーを抑えて前へ出る。
余程に恐ろしいのか、それだけで「ひぅっ!」と声をあげた。
「あー……。落ち着いて聞いて欲しい。俺たちはキミの敵じゃない」
「ふ、ふぇえっ! し、知らない言葉ですぅ……! な、何云っているか、分かりませんー! 怖いよー!」
えっ、知らない言葉……!?
そこで俺は、今更ながらに、水色ちゃんの言葉が、普段使っている大陸公用語でないことに気がついた。
(そうだ……! 精霊語……! この娘が喋っているのは、古代精霊語だ……!)
俺やフィーがエイベルから習っている、大昔の言語。古式魔術の発動条件にもなる、精霊たちの作った言葉。
(いやいや、驚いた。雪精のシェレグや氷精のレァーダですら使っていない言葉だぞ? 魔導歴には、既に散逸していたはずの精霊語が、このキシュクードでは当たり前なのか)
流石は秘境。
あるいは、ガラパゴス。
俺は、使用言語を切り替える。
「あー、えっと、『これ』なら伝わるかな?」
「ひうぅっ! 突然、言葉を喋り始めましたぁ! こ、怖いですぅぅ……!」
意思の疎通はアレだが、言葉は通じるみたいだな。
水色ちゃんはガクガクと震えている。
俺たち、そんなに、おっかないかな……?
「にーた、精霊語? 精霊語なら、通じる?」
「うん。みたいだな」
すると、キリッとした顔で水色ちゃんに向き直るマイシスター。
「ふぃーは、ふぃー! 悪い子は、やっつけるの!」
「ふぇえええ! わ、私、わたし、悪い子じゃありませんーーーー!」
「それを決める、そっちじゃなく、ふぃー! にーたをいじめるなら、ぼかーんってやるの!」
「ふ……」
「ふ?」
「ふえええええええええええええええええええええええええええん!」
水色ちゃんは、とうとう、泣き出してしまった。
そして、チョロチョロと聞こえてくる水音……。
あーあ、やってしまったか。
※※※
「ひぐっ、ぐすっ……。えぐっ……! ふぃー、ふぃー、悪くないもん! にーたを守ろうとしただけだもん……!」
「ふぇえええん、ふええええええええええええん!」
目の前には、涙を流す、幼女がふたり。
今回は、流石にフィーを叱った。
俺を守ろうとしたためとは云え、ちょっとやりすぎです。
水色ちゃんは恐怖と恥ずかしさで泣きっぱなし。
フィーの頭をひと撫でしてから、被害者の女の子に近づく。
「うちの妹が、済まなかったね」
装備していたザックから、タオルと懐紙を渡す。
「ふ、ふええええええん! びしょびしょですぅ……! 恥ずかしいですぅ……!」
「洗濯しちゃうから、こっち渡して貰えるかな?」
まさか、島に来て最初にやることが、幼女にぱんつを渡すように要求することだとは思わなかったぞ。
と云う訳で、天球儀の変則応用。
まさか、ぱんつを洗うために使うとは……。
『水星』を作り出し、その中へ衣服をぽい。
水流を作り出し、ぐーるぐる。
洗剤はないので、浄化の魔術を混ぜながら洗う。
水は適宜入れ替えて、綺麗な状態を保つ。
充分に綺麗になったら、火の玉と送風の同時使用で温風の渦を作り出し、服を乾かす。
この時、もう一度、浄化の魔術を掛けておく。
これでは人間洗濯機だな。
まさかこんな使い方をするとは思わなかったよ……。
まあ、おかげで今後、西の離れで洗濯する時は、自力で何とか出来ることが分かったけどね。
水色ちゃんにはタオルを巻いて待って貰っている。
この子の服は、スモックと民族服の中間のようなデザインだった。
服に描き込まれた精緻な文様には、何か意味があるのだろうか?
「はい。終わったよ」
「う、うぅ……。はい、ありがとう、ございますです……」
こちらが加害者なのに、お礼を云ってくる水色ちゃん。
きっと根が良い子なんだろうね。
「それから、フィー。この娘に謝るんだ」
「で、でも、ふぃー」
「出来るな?」
「う、うん、なの。……不審者の子、ごめんなさい……」
不審者は俺たちだと思うがな。
「よし。よく謝れたな。偉いぞ」
しっかりと頭を撫でてやる。
右も左もわからない中で俺を守ろうとしてくれたんだから、確かにあまり責めるのはよくないんだがな。
それでも、これはきっと、必要なことだ。
「よしよし。フィーは良い子だな」
「うぅうぅううぅう~~っ、にーたああああああああああああああああ!」
泣きながら抱きつかれてしまった。
もっとしっかりと撫でておこう。
やがて幼女ふたりが落ち着きを取り戻す。
うん。
これなら、会話が出来るかな?
「えっと、改めて、うちの妹が、ごめんね? 俺はアルト。こっちは、妹のフィーだよ」
「うぅ、こちらこそ、ごめんなさいです……。私が勝手に驚いて、泣いてしまっただけなのに……。申し遅れました。私は、マイムと云いますです……」
マイムちゃんと云うのか。
礼儀正しい、良い子じゃないか。
「あ、あのぅ……?」
水色ちゃんが、上目遣いに俺を見上げてくる。
「お兄さんは、一体、何者なんでしょうか? 島の皆さんは、精霊語を使える者は、精霊でも多くないと云っていましたです……」
「あー……。いや、この言葉は、知っている人に習っただけだよ。古代精霊語を話せる者は、ゼロではないからね」
「ふぇえ、そうなのですか。私、どこかの偉い精霊さんがやってきたのかと思いました」
「いやいや。俺たち、人間だし」
「ふぇっ! 人間さんですか……!」
水色ちゃんは再び飛び上がり、怯えてしまった。
「み、皆さん、云ってたです……! 人間さんは、とても怖いから、近寄っちゃダメだって! 欲深くて、酷いことをいっぱいするって! お兄さんも、私に酷いことするです?」
「しないよ。俺たちは、そんなことはしない」
人間は、と云えないところが、ちょっと悲しい。
珍しい植物と湖水があり、失われた言語を使う精霊がいる場所――人間に知られたら、きっと平穏とは無縁になるだろうからな。
「う、ぅぅ……。ほんとう、です?」
「ああ、もちろん」
俺はザックから、おやつを取り出した。
特に考えなしに持ってきたものだが、こんな場面で役に立つとは。
「あ、それ、ふぃーの好物のクッキー!」
いや、お前さんは、食べられるものなら、何だって好物じゃないか。
「こ、これは、何です?」
「お菓子だよ」
「ふえ? おやつです? 私、見たことありません」
「そうか。キシュクードには、クッキーはないのか」
「はいです。甘いのが欲しい時は、花の蜜や、果物を食べているです」
ここの環境だと、案外、そう云った天然物の方が、味が良いかもな。
人間世界の果物よりも出来が良さそうな気がするし。
「食べてみる?」
「は、はいです……」
「ふぃーも! にーた、ふぃーも食べる……! ふぃー、クッキー好き!」
ふたりに、一枚ずつクッキーを手渡す。
フィーは元気よく。マイムちゃんは、おっかなびっくり、クッキーを口に運んだ。
「ふぇぇっ! さ、サクサクしてるです! 甘いですぅ!」
お気に召したようで何よりだ。
やっとこ、水色ちゃんの可愛い顔に、笑顔が浮かんだ。
もちろん、我が家の妹様にも。
「美味しい?」
「はいです! とても美味しいです! 気に入りましたです!」
「それは良かった。まだあるから、たんとお食べ」
「ふぇ、こんな美味しいものを、もっと頂けるのですか!?」
「にーた、ふぃーも! ふぃーも、もっと食べる!」
目を輝かせる水色ちゃんと、俺の服を引っ張るマイシスター。
てか、フィーよ。
お菓子を食べ過ぎてご飯が食べられなくなったら、母さんに怒られると思うぞ?
(さて、それにしても……)
笑顔で二枚目のクッキーを食べているこの幼女、一体、何者なんだろう?
まだ、種族すら、聞いていないのだが。




