第百八十話 分断
キシュクード島。
それが、聖域の名前。
島全体が聖域であり、人間の存在しない場所でもある。
エイベルに聞いた大きさから計算すると、大体、イースター島の半分くらいの規模になるのだろうか?
いや、俺はラパ・ヌイには行ったことがないけれども。
島の形はドーナツ状であり、中央部が、巨大な湖になっているのだとか。
その周囲を、花園や木々が囲んでいるのだと云う。
地球世界の絵本などに、木漏れ日の射す池のようにちいさな湖が描かれることがあるが、あれをそのまま切り取って、島にしたような環境と云えば、話が早いだろうか?
島の端のちいさな砂浜。そこに設えてある青緑色の幻想的な木材製の桟橋に、エイベルは船を付けた。
「エイベル様、島の案内はいつも通り、不要ですか?」
「……ん。大丈夫」
「承知しました。では、また、いずれ~」
ルルススが手を振って去って行く。
案内をお願いしたら、人魚が陸に上がったということなのだろうか?
凄く見てみたかったぞ。
「ん~~っ! 空気が美味しいわねー! エルフの森にいるみたい!」
母さんが深呼吸しながら呟く。
マイマザー、エルフの森に、行ったことがあるのか。
「にーた、この森、魔力いっぱい! ふぃー、それ分かる。だから、だっこ!」
「はいはい」
島に魔力があることと、だっことの間には何の因果関係もないが、それはいつものこと。
抱き上げてやると、満足そうに、にへらと笑う妹様。
次いで、「なでなでも!」と云おうとして、口が止まる。
「むむーっ! ふぃー、帽子被ってた! にーたに、なでなでして貰えない!」
帽子の存在に頬を膨らませる我が子のそれを取ってあげながら、母さんが呟く。
「綺麗だし神秘的だけど、何だが親しみやすい感じね? 絵本の中にいるみたい」
「……聖域は、それを作ったものの性格が色濃く反映される。キシュクードを作った精霊神は、穏やかな性格だった」
聖域と云うのは、神霊や聖霊など、神秘性の上位に位置する存在が作ったか、整備した土地のことである。
俗な表現になるが、元は私有地な訳だ。
だから立ち入ることが恐れ多く、かつ、敷地内は持ち主の趣味嗜好が反映されるのだとか。
「……そして、土地の主も代替わりする。今年はちょうど、新しい聖霊に引き継ぎがあったはず。ヒセラが水瓶を破壊しなくても、会いに来る必要はあった」
引き継ぎとかあるのか。
寿命で代替わりするのか、それとも任期のようなものがあるのか。ちょっと興味深い。
「にーた、にーた」
考え込んでいると、妹様が服を引く。
「ふぃーのこと、なでて? ふぃー、帽子ない! 今がチャンス! ふぃー、なでなでして欲しい!」
「チャンスっつーか、帽子は母さんが預かってくれているだけだけどな。……ほら、なでなで~」
「ふへへ……! なでなで! ふぃー、にーたのなでなで好きッ! ふぃー、にーた大好きッ!」
「お前は、どこでもブレないねェ……」
「ふぃーがにーた好き、それ、不変の理! 場所、関係ない! ふぃー、にーたが、ずっと好きッ!」
なでなでのお返しとばかりに、頬ずりの嵐を見舞われてしまう。
そんな俺たちを見ながら、エイベルが云う。
「……さっき聖霊が代替わりしたと私は云った。それは、ある意味で、まだ聖霊が、この島に馴染みきれていない可能性を示唆する」
む?
よく分からないが、それって危険があると云うことなのだろうか?
いや、危険な場所なら、エイベルが俺や母さんを連れてくるはずがない。
「具体的には、どういう事があるのさ?」
「……この島はこの世であって、この世ではない。その力が不安定だと、思わぬ所に飛ばされる可能性も、あると云うこと」
おいおい。
『*いしのなかにいる*』
とか、冗談じゃァ、ないぞ?
「……空間魔術の暴走ではないから、そこまで酷いことにはならないはず。ただ、一緒に行動していても、はぐれる危険があると云っている。仮にはぐれたとしても、そう遠くへ離されることはないから、もしそうなっても、慌てずにその場で待機して欲しい。私が、すぐに迎えに行く」
「了解。なるべく、近くにいた方が良いのかな?」
「……ん。手を……つないだ方が良い」
トコトコとエイベルが寄ってくるが、
「めー! にーたの手、両方、ふぃーが繋ぐ! 空き無い!」
妹様が激怒されてしまった。
両手とも繋ぐって、どんな歩き方するんだよ……?
「じゃあ、仕方ないわね。エイベルとは、私が手を繋ぐから」
ふふふふー、と笑いながら、親友の手を取る母さん。
これはアレかな。
多少なりとも、フォローしてくれたと云うことなんだろうか?
(しかし、フィーの独占欲は、相変わらず凄いな……)
ちょっとエイベルが気の毒だ。魅惑の耳の持ち主の様子を盗み見ると、表面上は気にした様子はなさそうだった。
「エイベル、向かう先は、湖で良いんだよね?」
「……ん」
ちいさく頷く――が、心なしか、俺の手を見ているような気がする……?
そうして、島の中心部へと向かう。
道中は、石畳ならぬ草畳(?)のようなもので舗装されているので、歩きやすい。
聖域に住む妖精たちが整備し、利用しているのであろうか?
「む……?」
霧と云うか、靄と云うか、何やら視界が悪くなってきた。
「ふぃー、しっかりと掴まっていろよ?」
「ふぃー、にーたをずっと離さない! とこしえに!」
とこしえですか。そうですか……。
毎度毎度、うちの妹様は、どこでこういう言葉を仕入れて来るんだろうね?
俺、そう云う単語、使わんよなァ……?
「アルちゃんもフィーちゃんも、もう少し、こっちに寄っ――……」
「母さん……?」
急に声が聞こえなくなった。
見ると、いない。
母さんも、エイベルも。
「にーた、変。ふぃーたち、動いた!」
俺の手をギュッと握りながら、マイシスターが告げる。
そうか、いなくなったのは、『俺たち』のほうなのか。
「母さんやエイベルの魂はわかるか?」
「大まかな方向だけ。島の魔力のせいで、ちょっと分かり難い。あと、エイベルの魂は、普段から見えないから、ふぃー、分からない」
エイベルの魂が感知できないというのは、対魂防御の影響かな?
何にせよ、アーチエルフ様が「私が探しに行く」と云ったのは、こういうことね。
他のメンツじゃ、探しにくいと。
フィーは魔力も感知できるが、前述の通り、この島は魔力があふれていて、分かり難いのだろう。
「フィー、俺から、はぐれるなよ?」
「うん! にーたのことだけは、ふぃーが守るッ! 誰にも傷つけさせない!」
俺を見上げて、凛々しい顔を見せるマイエンジェル。
悲しいけど、俺が守られる方なのは事実なんだよね……。
威厳無き兄の悲しさよ。
(取り敢えず、エイベルが迎えに来てくれるまで、ここで待っているしかないよなァ)
更に動いて、遠く離れても困るしな。
「にーた、にーた。あっちに、大きな魂ある!」
「大きな魂?」
「なんか、うろうろしてる! うおーさおー?」
右往左往?
何だろう? 道に迷っている人でもいるのかな?
いや、こんな場所に、他の人間はいないだろう。
いるのは、現地在住の妖精やら精霊やらだろうし。
地元の人なら、声を掛けて保護して貰うのも有りか?
でも、エイベルを信じて待つ方が良い気がするんだがな。
「魂、こっち来る! ここからなら、ふぃー、届く! 砕ける!」
「待て待て! 敵とは限らないだろう。むしろ、地元の人の可能性もある。様子を見よう」
フィーを窘め、しばらく待っていると、やがてシルエットが見えて来た。
やけにちいさい。
噂のコロボックルだろうか?
「ふぇぇ……! み、皆さん、どこですかぁ~~?」
耳に届いたのは、涙声。
それも、かなり幼い。
あのちいさな人影は、コロボックルではなく、幼児のものだったりするのだろうか。
人影は俺たち兄妹に気付くことなく、フラフラとこちらへ近づいてくる。
フィーが、俺を庇うように前へ出た。
「そこで止まるの! ふぃーたちに敵対するなら、えいやーって、するの!」
「ふぇぇっ!? だ、誰ですかぁっ!?」
聞こえたのは、明らかな怯えの声。
そして、ぺたんと尻餅をつく気配。
どうやら、腰を抜かしてしまったようだ。
「むむむ? 無条件降伏する? にーた、どうする? 捕らえる?」
お前はどうして、そう好戦的なんだ。
普通に地元の精霊か何かが怯えているだけだろうに。
いや、この場合、俺が脳天気すぎるのかな?
でも、全然、怖い感じがしないんだよね。
「そのままにする訳にも行かないし、ちょっと見てみよう」
「わかった! ふぃー、にーた守る! 敵をやっつける!」
「あっ、こら!」
勇ましく、ずんずんと進む妹様を追いかけて、人影へと近づいた。
「ふ、ふぇぇっ! し、知らない人たちですぅ……!」
そこには、涙目でへたりこむ、ひとりの女の子の姿。
(人間……? いや、違う)
おそらくは、精霊。
水色の髪と水色の瞳をした、ちいさな少女が、そこにいた。




