第百七十七話 ミアへのお礼と、お礼のお礼と
神聖歴1205年の五月。
暖かい、春の季節だ。
来月になれば、俺も六歳。
剣や槍の訓練が、本格的に始まる。
そして、今月は、ひとつの約束を果たす月だ。
エイベルと一緒に、彼女の所持する庭園へと向かうことになっている。
まあ、『俺とエイベル』の約束ではあるのだが、同行者が増えることは、容易に想像が付くと思う。
外に出るチャンスは多くないから、なるたけふたりとも、連れて行ってあげたいしね。
家族揃ってのお出かけは、二段階に別れている。
前段が、聖域へのお供。
ヒセラと云う名のハイエルフがこぼしてしまった聖湖の湖水を貰いに行くのだ。
そして後段として、改めてエイベルの庭園にお邪魔するという方針。
フィーや母さんは、今からお出かけの日を、心待ちにしているようだ。
ふたりが見ているのは、いつも同じ景色だからな。
少しでも違う世界を見せてあげたい。
連れて行ってくれるエイベルには、本当に感謝だ。
そして、感謝と云えば、もうひとつ。
俺は、それを捧げるべき人がいる。
「んとにもう、どこにいるのやら……。普段は呼ばなくても、しゃしゃり出てくるのに……」
探しているのは、ヴェーニンク男爵家の三女様だ。
彼女には、白い布を手に入れて貰ったからな。
それに、いつも我が家を気に掛けてくれている西の離れ唯一の使用人だ。
それらのお礼として、アクセサリを用意したのだ。
(まあ、システィちゃんへのプレゼントの練習がてらと云うのは、ちょっと申し訳ないけどね……)
一度だけ会い、そしてそろそろ一年が経とうと云うハトコ。
この世界での、数少ない身内。
最初の友人の、妹ちゃん。
彼女へ渡す予定のアクセサリも、鋭意制作中なのだ。
ん? ブレフの剣?
無理無理。
まだ、なまくらしか作れないからね。
俺の成長を待って貰うより他にないね。
すまんな、親友。
「ふんふ~ん、ふふふ~ん」
離れの敷地内をさまよっていると、間の抜けた鼻声が聞こえてきた。
まさに脳天気としか云いようがないが、楽しそうなのは、間違いない。
どうやら、目的の人物を発見したようだ。
(さてさて、今は何をしているのかな……? 手透きだと良いんだが……)
物陰から、ちょいと覗いてみる。
ミアは、洗濯物を取り込んでいた。
「むっへっへへへへへ……! これが、アルトきゅんの肌着……! 美幼年汁をたっぷりと吸い込んだ、神的な布……!」
おい。
何か、気色の悪いことを云っていないか?
そのだらしなく開いた口から、涎を垂らすんじゃあないぞ?
「くへへ……! ここで働いていれば、合法的に美幼年の衣服を触りたい放題ですからねー。やめられませんねー。最高の職場ですねー」
くっそ、やっぱ、怖ェよ……。
ひとりで来るんじゃなかったな……。
だが、お昼寝中のふたりを起こすわけにも行かないからな……。
「い、一枚くらい食べても、バレないんじゃないですかねー? 行っちゃいますかねー?」
「アホかーっ!」
思わず持っていたハンカチで、スパーンと頭をはたいてしまった。
ちなみにこのハンカチ、ほぼ新品である。
前までよく使っていたハンカチは『何故か』行方知れずだからね。仕方ないね。
「はうぁッ!? な、何者ですかねー? ビックリしますねー?」
狼狽してても、緊張感の無い奴……。
ミアは振り返り、そして俺の姿を、その瞳に映し出す。
「アルトきゅんじゃないですか! どうしたんですかー? ミアお姉ちゃんが恋しくて、ついつい会いに来てしまったんですかー?」
「よくそんな風に思考を進められるな」
「それはもう、約束された未来ですからねー! 手に手を取って、駆け落ちすることまで想定済みですよー?」
なんて恐ろしい妄想を……。
と云うか、そもそも駆け落ちする必要が無いだろうが。
平民と木っ端貴族だぞ? 何から逃げるつもりだ。
「大体、『未来』って、俺は育っているはずだぞ? 子供じゃなくなったら、どうするんだよ?」
「はァッ!?」
ミアとも思えぬ、ドスの利いた声。
そして、怒りに歪む顔。
チキンな俺は、思わず後ずさってしまった。
「天使のように可愛いアルトきゅんが、醜い大人なんぞに育つわけないじゃないですか! いくらアルトきゅんでも、云って良いことと悪いことがありますよ!?」
うん、ダメだ。
こいつ真性だったわ。
まあ、逆に考えれば、何年か育てば、ミアに怯える日がなくなるというわけだな。
……それまでに、こいつが逮捕されていなければだが。
「そ・れ・で・ぇぇ~~? アルトきゅんは、どうしてミアお姉ちゃんに逢いに来てくれたんですかね? ですかねぇえ?」
うぜぇ……。
しかし、ここで不毛な時間を過ごすわけにも行かない。
そんな暇があれば、ハンモックで昼寝している方がマシと云うものだ。
「あー……。ミアって、確かネコ派だったよな?」
「そうですねー。わんちゃんも好きですけど、ネコちゃんは大好きですねー。実家で飼っているからでしょうかねー?」
その言葉を聞いて安心した。
俺はポケットに手を突っ込む。
「ミア、手を出して」
「あ、アルトきゅんに手を出して良いんですかッ!? りょ、両者合意の上と云うことですよねぇぇえぇ!?」
話が進まん。
俺はミアの手をふん掴むと、掌の上にアクセサリを乗せた。
「アルトきゅん、これは……!?」
「バレッタだよ。ちいさいけど、作りはしっかりしているはずだ」
なにせ、基礎部分はガドの担当だからな。
俺がやったのは彫金で見栄えを良くしたくらい。
何を彫り込んだのかと云うと、ネコだ。
コミカルになりすぎない範囲で、デフォルメしたネコを描き込んだ。
「ネコちゃん! ネコちゃんですよ、これは! か、可愛いですねー? いい出来ですねー? これ程の細工だと、とても値が張る気がしますねー? お出かけした時に、エルフさんの商会で買ってきたのでしょうかねー?」
「俺が作ったんだから、タダに決まってる」
前述の如く、実態はガドに手伝って貰ったんだが。
まあ、だからタダと云うのは嘘ではないが、『値が張る』と云うのも事実だろうな。
素材は並みでも、伝説の刀工が作ったアクセサリな訳だから。
むしろ、俺のせいで価値が下がっているまであるわな。
「こ、これを頂いてしまって、良いんですかーっ!?」
「うん。シーツその他、色々なお礼と云うことで」
「お礼だなんて。そんなの、アルトきゅんの身体を好きにさせて貰えるなら、何もいらないのに……!」
最悪だな、お前。
ミアはバレッタを両手で包んで、胸の前で抱きしめている。
見てくれだけは良いので、大層、絵になるのだが、いかんせん、中身が残念すぎる……。
「細工も上手ですが、色も綺麗ですねー。余程に良い金属を使っているのではないですか?」
「ないない。素材は銀で、しかも安物だよ」
「それにしては不自然に綺麗ですねー? こんなに輝くなんて、あるんですかねー?」
「そこはそれ。ちょいと工夫しただけだよ」
銀と云うのは、時間が経つと黒ずんでしまう。
だから銀食器なんかは、常に手入れが必要となる。
貴族の家では、銀製品がどれだけ磨き抜かれているかも重要だったりする。
で、バレッタの銀だ。
前述の通り、これは安物。
普通だと、悪くなりやすい。
なので、魔芯を通し、俺の魔力で表面をコーティングしてある。
そして内部には属性魔剣のように、魔力も付与した。
何を加えたのかというと、浄化の魔術だ。
最初は光沢を出すために光属性を加えてみたが、変に眩しいだけの失敗作が出来上がってしまった。
そこで苦し紛れに浄化の魔術を加えたら、綺麗な銀色へと落ち着いた。
これは収穫だったな。
安物でも、良いアクセサリが作れると分かったわけだからな。
「う、うぅ……! 嬉しいです。アルトきゅんが、こんな素敵なものをくれるなんて……! お姉ちゃん感激です……! 大切にしますです、はい!」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟じゃありません! これだけの品に報いるために、何か、お返しをしなくてはいけませんねー」
「いや。それ、お礼だから。お礼にお返しは、いらな――」
ミアはピューッと走り去ってしまった。 何かを取りに行ったようである。
仕事をほっぽらかして。
……仕方ない。
洗濯物は、俺が取り込んでおこう。
そうして太陽の匂い、いっぱいの衣服を畳んでいると、駄メイドがダッシュで戻って来た。
フィーと違う意味で、いつもテンション高いよなァ……。
「アルトきゅんに、良いものをあげます」
「いや、だから」
「受け取って下さい!」
「ああ、うん」
押し切られてしまった。
「それで一体全体、何をくれるんだ?」
貰えるなら、妹様のオモチャになるものとかだと、嬉しいのだが。
「アルトきゅんは勉強を頑張っていますからね。お勉強の助けになる、便利グッズをあげますよー」
ほほう。
何だろう? 筆箱とかかな?
魔力で補強した筆箱を作って、『竜が踏んでも壊れない』ってキャッチコピーにしたら、売れるかしら?
「はい。これですよー」
「…………」
俺の掌の上に、ちょこんと置かれたモノ。
それを見て、俺は黙り込む。
「それはですねー。新進気鋭の発明家の新品だそうですよー? まだまだ売り出されたばかりですが、きっと定番商品として広がっていくと思いますねー。便利ですからねー」
「へ、へえぇ……」
「流石のアルトきゅんでも、ひと目じゃ、それが何なのか、分かりませんよねー。くふふ、それはですねー……」
嬉々として説明を始める、ミアお姉さん。
うん。
ぼく、これしってるよ。
えんぴつ削りって、云うんだよね?




