第十七話 里帰りへの誘い
「アルちゃああああああああああああん!」
誕生日も終わり、出文机で七月用の試験勉強をしていた俺に、母さんが駆け寄ってきた。
なんだか元気がない。
と云うか、泣いている?
母さんは勢いよく俺に抱きついた。こういう態度はどことなくフィーに似ている。まあ、親子だから当然ではあるのだが。
で、その愛娘は俺の膝枕で、すやすやと睡眠中。天使の寝顔だ。癒される。可愛いなぁ。
「母さん、一体全体、どうしたのさ」
「あのねあのね、前にアルちゃんに友達を作ってあげるって云ったでしょう?」
「ああ、うん」
誕生日のやつね。
「お母さんの故郷に連れて行ってあげれば、出会いがあると思ったの」
「ああっと……、セロの街だっけ? まあ、人がいる場所なら、そりゃ出会いはあるだろうね」
母さんの故郷のセロの街は王都から馬車で片道二日くらいの距離にある。
首都の近くだけあって、それなりに栄えているのだとか。魔術免許の試験場なんかもあるようだし。
「アルちゃん達を連れて行ってあげたいから、外出の許可と馬車を借りられないかって、ステファヌスにお願いしてたの。それで許可は貰えたんだけど……」
「えっ、貰えたの? どんな名目で?」
少し意外だ。却下されるかと思ったが。
「うちの両親に子供を見せてあげたいって、お願いしたの。そうしたら、里帰りっていう名目で認めてくれたんだけど……」
ははあ。『子供を見せたい』が『里帰り』にね。
そりゃ、表向きは認知してないんだから、『子供を見せたい』じゃあ通らないだろうな。何とかひねり出した理由が無難な『里帰り』なんだろう。
しかし返す返すも不思議だ。
よく許可を出す気になったな。
ベイレフェルト家の人間にとって俺たちは邪魔な存在のはずである。
認知されていない貴族の子なんて悪評と誤解の元だし、騒動の原因にもなりかねない。加えて、単純に嫌われているという事情もある。
向こうさんの総意を確認したこともないが、『始末できるなら始末したい』で間違いはないはずだ。
そしてそういう存在は、極力人目に付かないようにした方が良い。印象に残ってしまうと、始末した時に悪感情を持たれやすいから。
しかし外出許可が出た以上、父さんが母さんの為に骨を折ったのは事実のようだ。
正直、俺はステファヌスという人物をあまり買ってはいない。
政治力なり決断力なりがあるなら、こんな所に母さんを半ば軟禁状態にしないだろう。
しょっちゅう恋愛小説を買ってあげたり、子供をふたりもつくっているので愛情はあるのだろうが、多分、能力か覇気に問題を抱えている人物なのではないかと俺は踏んでいる。
さてさて、母さんに頼み事をされて、結局泣かせた親父殿は何をしたのか? 或いは何を出来なかったのか?
訊いてみると、俺にずっと抱きついたままのマイマザーは、こう云った。
「馬車は貸すけど、護衛は貸せないって」
「…………」
成程、そう来たか。
女一人と幼児ふたりの旅行に、丸裸で行けと。
随分、悪意を感じられることをしてくれるな、ベイレフェルト家。
「それ、父さんが云ったの?」
「違うわ! お父さんは頑張ってくれたんだけど、アウフスタ様がダメだって……。『平民を侯爵家の馬車に乗せるだけでもあり得ない厚遇なのに、これ以上何を望むのか』って怒られちゃって……」
父さんの『唯一の奥さん』が、今回の黒幕か。流石、大の母さん嫌い。
「……馭者は正式な家人?」
横に控えていたエイベルが口を開いた。俺もそれを訊こうとしていた。
「馭者の出来る奴隷を一人だけ貸すって云っていたわ」
「…………」
「…………」
思わずエイベルと顔を見合わせてしまった。
それってアレだろう。最悪、失っても惜しくないという人材。襲撃でも企んでいるんじゃ、あるまいな?
単なる嫌がらせでそうしたのか、俺たちの排除も視野に入れているのか。
「……エイベル、どっちだと思う?」
「……図に乗るな、と云う警告寄りのいやがらせ」
「刺客の心配はないかな?」
「……王都もセロも大都市で、その街道は整備と警備が行き届いている。そのような場所で狙う真似はしないはず。単純に殺害を策すなら、この館の使用人に毒でも盛らせる方が隠密性は高いし、確実。その線はない」
「二人とも、何の話をしているのー?」
母さんには、俺たちの会話がよく分かっていないようだった。
「あー……いや、ちょっと護衛の心配をしてただけだよ。いくら往来の多い街道でも、護衛無しじゃ話にならないでしょう?」
「……個人で冒険者を雇うのは、自由って云われたわ」
我が家にまともな収入はない。
使用人もいるし、食料・衣服他、生活必需品は定期的に提供されているが、それだけだ。
後はほんの少しの小遣いが季節毎に支給されているだけで、とても護衛を雇える金額ではない。
(何やってるんだろうな、親父殿は)
俺がステファヌスの立場なら、自分のポケットマネーを母さんに渡しただろう。
「ベイレフェルト家としては護衛は出せないが、自分個人が出す。これで身を守ってくれ」
とでも云って。
まあ、それ以前に、もしものためのお金くらい何年も前から渡しておけよと思うのだが。
「泊まりがけの旅に護衛無しなんて危なっかしいよ。フィーにもしものことがあったら怖いし、今回は見送ったら?」
「それがね、『馬車を貸してと云っておいて、そちらの都合でやめます、なんて許しません』って借りる時に云われてて……」
怖い目に遭ってこいってか。
なかなか性格がひん曲がっていますな、アウフスタ夫人。
いくら街道は安全とは云え、何があるか分からないのが人の世だ。しかも護衛無しでの旅行では、悪い奴に狙われる確率はグンとあがるだろう。
こそ泥であれ匪賊であれ、標的にするのは護衛がいない相手だろうから。
見かねたように、魅惑の耳を持つ魔術の先生が手を挙げた。
「……護衛は問題ない。私がしてあげる。あと一人くらい要るだろうけど、そちらは、ガドに頼むか商会から連れてくる」
「本当ッ!? エイベル好き! 大好きッ!」
母さんは俺から離れて親友に抱きついた。
こういう所もフィーの母親っぽい。
まあ、うちのお師匠様は頼りになるから、喜ぶのも頷ける。
俺も一度くらいは抱きついてみたい。あと耳に触りたい。
「……抱きつくのはやめてと、何度云えば」
母さんはスキンシップ大好き。エイベルは他人に触られるのが苦手。
親友と云えども、この溝はそうそう埋まることもないのだろう。
そして、マイマザーがあまりにも騒ぎすぎたせいで、天使の眠りが中断されてしまわれた……。
「……んぅ~? にーた……?」
眠そうに目をこすりながら俺の膝の上によじよじと這い上がり、正面から抱きついて、再びうとうと。
「フィー、眠いか?」
「んゅ~~……? ふぃーはにーたすきだよ?」
寝ぼけてはいるが、反応自体は通常運転だった。
「そうか。俺もフィーが大好きだ」
「ふへへ……。にー……た……」
そのまま緩い笑顔で眠ってしまわれた。
愛妹の安眠を妨げる趣味は俺にはない。この娘に里帰りの話をするのは、目覚めてからで良いだろう。
(うん。やっぱり俺は、友達よりも妹に心が動く)
可愛いフィーの寝姿を見て、改めて思った。
母さんは俺のために里帰りを企画してくれたけど、この娘の安全を守ることを第一に考えよう。何があっても、絶対に守る。
妹の銀髪を撫でながら、俺は俺自身にそう誓った。




