第百六十八話 とある紳士の憂鬱
私の名はアントニウス。
ムーンレイン王国の貴族にして、先祖代々、国に仕える身である。
先祖は槍働きで貴族の地位を得たらしいが、私の祖父も、その父も、そして私自身も、文官として国に係わってきた。
だから、我が子孫たちも、王国と共にあって欲しいと思う。
しかし国を運営するのが人間である以上、永劫不変と云う訳には行かないだろう。
国というものは、舵取りひとつ間違えば、たちまち座礁してしまうものだ。
上に立つ人間は、常に気を付けねばならない。
……云っておくが、国王陛下を侮辱しているのではないぞ。我々文官が、気を引き締めねばならないと云っているのだ。
しかし残念なことに、世の中には『国を良くしよう』と考える政治家よりも、『甘い汁を吸ってやろう』、『自派の勢力を拡大してやろう』と考える人間が、まことに多い。
そして、それを積極的に煽っている人間もいる。
不敬を覚悟で指摘するが、その急先鋒は、フェーンストラ大公家であるように私には思われる。
国の患いとなるとすれば、ムーンレイン王国唯一の大公家である、この家を第一に指摘せねばならない。
そも、国というものは内外に備えることで成立する。
要所要所に建設された砦などが、その一例であろう。
そして都市の発展にも、似たような事情が適用される。
交通の要衝地として自然に発達する場合ももちろんあるが、国の要石となるべくして、意図的に建設される場合も、またあるのだ。
フェーンストラ大公領は、後者の事情で発展した。
遙か過去、外国に対する備えとし、かつ王都に危機迫った場合の副都市となるべくして作り出された。
そのような重要地は、生半な者には任せられない。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時の王弟であった人物だ。
彼は文武に優れ、人望もあり、しかも当時の国王と全く同じ両親から産まれた、とびきりの良血だった。
彼の大公就任は、皆が歓迎した。
そして、我が国唯一の大公は、立派にその任を果たし、英主として讃えられたのだった。
つまり当時の事情で見れば、大公家の成立は大成功であったわけだ。
しかし、ここが歴史の妙味であろう。
当時の成功が、その後の成功を担保するとは限らない。
寧ろ、障害になる場合もある。
英明を謳われた初代大公の死後も、その家は続いた。
その血筋は当時の国王と同等。
始祖たる人物は国の英雄。
広大な領土と武力を持ち、発展した領地からは、莫大な資産が生み出される。
これで調子に乗らないなら、それは余程に出来た人間であるのだろう。
英雄であった初代。
そして、その父をよく補佐した二代目。
ここまでは良かった。
しかし三代目からは、大公家は国王と同等であるかのように振る舞いだしたのだ。
当然、そこには数多の軋轢が生まれる。
一触即発のような事態になったことすら、あったらしい。
幸いにして内乱に発展するようなことはなかったが、王家が大公家の人間を暗殺したとか、大公家が王家の切り崩しを計っただとか、多くの黒い噂が囁かれた。
そして当時の手紙や文献から察するに、本当にいくつかの『暗闘』は存在したようだ。
つまり大公家は、ムーンレインの宿痾となったのである。
そして、現在。
我が王国を治める王族の姓は、フレースヴェルクだ。
云うまでもなく、ムーンレインではない。
当時の王族にすら同等と思っていたフェーンストラ大公家が、フレースヴェルク王家をどう思うか?
それは云うまでもないことだろう。
大公家の現当主は、表だって国への反発をしていない。
これをどう見るべきか?
協調路線だと考え、共に共存、発展していくべきか?
それとも、万一を考え、備えておくべきか?
私の意見は、完全に後者である。
前者の意見を支持し、私のような考えの人間を、「平和の破壊者」と呼ぶ者もいる。
余計な波風を立てて、本当に軋轢が生じたら、どうするのかと。
しかし、そもそも国内に王家と争えるだけの勢力があることが、まず危険なのだ。
それに大公家の現当主の人柄を、私は買ってはいない。
評判はいい。
律儀者で重厚で、信義に篤いのだと云われている。
こう云った人物は本当に善人か、或いは逆に、凄まじい野心家かのどちらかだと思う。
今の大公は、フェーンストラ家の継承順位、第一位ではなかった。
上位継承者やその支持者が次々と不可解な死をとげたために、繰り上がって後継者となったのだ。
私はそこにも、引っかかりを覚える。
無論、証拠などどこにもないから、それを口に出すようなことはしないが。
ただ、大公家は国の在り方を中央集権ではなく地方分権、もっと云えば、地位ある貴族達が力を持つように仕向けているように私には思われるのだ。
そして我が国の『三公』と呼ばれる、みっつの公爵家と、『五侯』と呼ばれる、いつつの侯爵家。
王家と大公家の間で、この八家の取り合いが始まっているのではないかとも思っている。
全てが私の思い過ごしであるならば、それで良い。
見る目のない男だと、自嘲するだけで済むからだ。
だが、万が一、予測が当たっていたとするならば――。
「旦那様、お客様が到着されました」
「おお、来たか。ここへ通してくれ」
十年来の友人が来たことを、使用人が告げ、私は憂鬱な思索から解放される。
どうにも仕事以外の時も、悪いことばかり考えてしまう。
「おう、アントニウス。相変わらず、辛気くさい顔をしているな!」
「黙れブレイスマ。脳みそまで筋肉のお前には分からない悩みだ」
軽口を叩きながら、入室した友人と拳をぶつけあう。
この男は王国貴族であり、武官でもあるブレイスマ。
私と同い歳の、30代。
これでも、それなりの地位にある騎士である。
指揮官として優秀だが、武人としては、それ以上に優秀。
ようは、突進が大好きな困った男なのだ。
ワイルド寄りながら、整った容姿。
貴族という家柄。優れた武力。
豪快な人柄。
多くの美点を持った人物だが、たったひとつだけ、大きなコンプレックスを抱えているのを、私だけが知っている。
彼は酒を持参していた。
私はあまり呑む方ではないが、この男が来た時は、付き合いで呑むことが多い。
ブレイスマとは気軽に冗談を云い合える仲だが、仕事上の愚痴をこぼすこともある。
話の内容が雑多な時もあれば、明確に定まっている時もある。
今回、我々の話題に上がったのは、先月末に起きた大奇跡。
『月の女神の祝福』についてである。
「そうか、ブレイスマ。騎士団のほうでも、あの噂で持ちきりか」
「おうよ。あれは国中が注目していることだからな。まあ、小難しく考える文官衆と違って、『どちらの起こした奇跡なのか』で賭けが始まっているあたり、うちらしいっちゃ、うちらしいがな」
重病であった王妃様が回復されたあの夜のことは、大きな関心事となっている。
事によっては、王位継承権にも影響を与えかねない程に。
しかし奇跡の体現者となったふたりの少女。
そのどちらもが、自分はやっていないと奇跡を否定しているのだ。
「ほーん。噂の星読みの娘と、実際に会って話したのか」
「奇跡究明のための調査団のひとりに居ただけで、私は直接、話してはいないがね」
アホカイネン家の息女は、それはそれは末恐ろしい存在だった。
「月の奇跡を起こしたのはキミなのか?」
国家魔術師にそう訪ねられ、ぼんやりとした言葉を呟き始めた。
その内容を要約すると、
「今はチキンピラフが食べたい。自分はパンより米派である」
そう答えて、皆の頭を抱えさせていた。
まさか同じ言語を使っているのに、通訳が必要になるとは思わなかったぞ。
そして通訳を務めた母親のタルビッキ女史のウザいことウザいこと。
終始得意げな顔で、調査団をイラつかせていた。
実の娘が奇跡の否定をしているのに、「うちの子の手柄だ」と、しつこいくらいに主張していたのだ。
少しはパウラ王妃様の慎ましさを見習って欲しいものである。
「わっはっは。なんだそりゃ。噂通り、アホの子なのか?」
ブレイスマは他人事だからか、大声で笑う。
しかし、実際にあの親子の相手をするのは、精神がすり減るぞ?
余程に相性が良いか、同レベルのアホタレでもない限り、会話にすらならないだろう。
「それでアントニウス、『あの』天才王女様のほうは、奇跡について、どう答えたんだ?」
「ただただ、母の病を癒した者に感謝をと。それが神であれ、それ以外であれ、生涯を捧げてでも、お礼をしたい。だから、奇跡の究明をお願いしますと、逆に頼まれてしまったよ」
「ふぅーん。律儀なことだな、親譲りの性格か?。だが、『家族のため』と云うのは、俺にも、少し分かるなァ」
ブレイスマは、影のある笑顔で微笑した。
そして酒杯をあおり、云う。
「第四王女殿下の性格なら、自分で奇跡を起こしたのなら、『お母様をお救いできました』とでも云うだろうから、たぶん、本当に関与していないんだろうな。或いは、関与していても自覚がないかだ。ただ、もし本当にあの天才王女が起こした奇跡だとしても、明確な証拠がない限り、王女の手柄には、せんだろうな。バランスが悪くなる」
ブレイスマの云う『バランス』とは、継承権や王宮事情も含む、力関係や影響力のことだろう。
ただでさえ、あの第四王女殿下は色々と規格外なのだ。
魔術の才と年齢にそぐわぬ優れた頭脳。
国を象徴する宝剣が誰よりも綺麗に輝き、更に美貌も有する。
ここに月神の恩寵が加われば、本人の意志は兎も角、無駄に担ごうと蠢動する者も出てくるやもしれない。
争乱の原因になりかねない。
パウラ王妃の実家で五候のひとつ、クローステル侯爵家の発言力も増すだろう。
だからブレイスマの云う通り、真実は現実へ適したものへと『調整』されるに違いない。
となると、『奇跡の担い手』は、あのアホカイネン家の娘のものと云うことになるだろうが……。
「まあ、上の連中も王族にして聡明な人物よりも、アホの子のほうが御しやすいと考えるのだろうよ」
ブレイスマは大雑把な物云いをするが、それなりに真実に近いところを付く。
政治家になれば、案外有能なのかもしれないと思う時がある。
そして友人の言葉で最も頷けたのは、次の発言だった。
「この国も色々と、きな臭くなって来やがったなァ……。まあ、二年、三年でどうにかなるとも思えないが、『十年後も安泰か?』と訊かれれば、俺は首を振るだろうな」
争乱の素因は、そこら中にある。
我らに出来ることは、不穏の芽を早期に刈り取ることなのだろう。
文官としては、『明るい未来のためへの積み上げ』を笑顔でやりたいものだ。
危機を回避するためだけに立ち回り続けるのは、あまりにも憂鬱ではないかと、私は思う。
願わくば、十年後も我が国が平穏でありますように。




