第百六十一話 悪質なお客さん
(しかし、妙だな……)
一試合終わって、ちょいと訝しいところがある。
結果だけ見れば、あの嫌な感じのイケメンが高い金をかけて一方的に敗れ、無様を晒しただけではあるのだが――。
それでも、あの挑戦者の技量はちょっとしたものだった。
自信満々に勝負を吹っ掛けることが出来るくらいには腕が立っていたと思う。
魔術使用のインチキ込みで攻撃を躱せる、あの斬られ屋がおかしいのだ。
普通、大道芸人程度が、多少は知られた冒険者を、ああも簡単にあしらえるものか?
しかも、目隠し状態で。
「ん……? あっ。そういうことか……?」
もしかして、俺が単純に勘違いしていたのかもしれない。
腕の中の妹様を見る。
突然俺に視線を送られたフィーは、首を傾げながらも、嬉しそうに顔をとろけさせた。
「にーたが……。にーたが、ふぃーを見てくれた! うへへへ……! ふぃー、嬉しい! ふぃー、にーた好き! ふゅふゅふゅふゅ……!」
うん。
取り敢えず撫でておこう。
でれでれ状態のマイシスターを抱えながら周囲を見る。
観客たちは熱狂しているが、取り巻き三人は呆気にとられている。
どうやら、自分たちのボスが負けるとは寸毫程も考えていなかったようだ。
で、その頭目だ。
「…………」
最初、蒼白としていた顔面が怒りと恥辱で歪み、しかしそれも一瞬で消えた。
すぐに取り繕ったような笑顔を見せる。
「はははははは……。本気を出すのも大人げないと手を抜いたとは云え、この私の攻撃を躱してのけるとは凄いではないか! 褒めてやろう」
「恐縮です」
斬られ屋は深々と頭を下げる。
ヴィリーが本気だったことも、身体強化の魔術を使ったこともお見通しなのだろうが、余計な波風を立てるつもりがないようだ。
「お前たち。何を呆けている。行くぞ?」
「え? あ、は、はい……。ヴィリーさん!」
取り巻きたちは駆け寄ろうとし、
「おい。そのまま来てどうする? 私の金を忘れるな」
と、台の上の革袋を指さした。
子分たちは云われるがまま、金袋を持って頭目へと駆け寄った。
「……お客さん、ちょっと待って貰えますかね?」
斬られ屋が呼び止める。
心なしか、先程までより声が低い。
ヴィリーは薄い笑みを浮かべたままで、振り返る。
「何だ? 催しは終わった。それなのに、大道芸人のお前が、この私に何の用だ?」
「……お代を持って行かれるのは困るのですがね?」
「おお、そうであったな。私が手を抜いたとは云え、一時の戯れ遊びに興じたのも事実。対価は支払わねばなるまいな」
男は取り巻きに持たせた革袋から、くすんだ硬貨を一枚取り出した。
彼の前の挑戦者だった駆けだし冒険者が提示したのと同じ、最低金額。
日本円にして、約千円。
それを指で弾くと、斬られ屋の足下に雑に転がす。
店主は目隠しを外し、コインを見た後、ヴィリーを静かに睨み付けた。
「……お客さん、これは、何の冗談ですかね?」
「対価を支払うことを冗談と呼ぶのか。ならば不要と云うことだな。――おい、あれを拾え。この芸人は、金を取らんらしい。タダで娯楽を提供するとは、なかなかの器量よ」
ボスの命令を素早く実行し、ササッと金を拾い上げる取り巻きその一。
斬られ屋の目は、完全に据わっていた。
怒りを押し殺しているのは明らかだった。
「私は先程、『後になって冗談だったではすみませんよ』と申し上げたはずです。お客さんも、それを承知で試合に臨んだと記憶していますが?」
「だから今、代金を支払おうとしたであろう。それに対し『冗談』と云う言葉を使ったのは貴様だ、芸人」
「額が違うと、そう云っているのですが?」
「ほほう? それでは、いくらだと云うのかね?」
かすかに震えながら、斬られ屋は革袋を指さした。
ヴィリーは袋に目を落とし、それから首を傾げる。
「んん? 指さされては、分からんな。ハッキリと口に出せ」
「……その袋、丸々です。確かにお客さんは、それをお賭けなすった」
「これを丸々だと! バカを云え!」
心外だと云いたげに肩を竦めるヴィリー。
「たかだか大道芸に、こんな大金を丸々掛けるバカがどこにいると云うのだ!?」
「しかし、お客さん、あんたは確かに――」
「云ったのかね? この私が、これを丸々賭けると、一言でも!?」
まるで斬られ屋に非があるかのように、男は語気を荒げる。
ちょっと思い返してみると、ヴィリーは確かに、あの袋、全部を賭けるとは云っていない。
口にしたのは、『これ』を賭けると云う、曖昧な云い方だった気がする。
「斬られ屋、貴様が云ったのだぞ? 『まわりが肝を潰さない範囲で』と。私はそれに対して答えたはずだ。『はした金なら問題ないだろう』と。その遣り取りで、何故、こちらの有り金全てが手に入ると思うのだ!? いくら卑しい平民とは云え、冗談が過ぎると云うものだ!」
うっは、そう来たか。
イケメンちゃんが今の遣り取りの後に、「また、あの男は……」と呟いたり、試合後に「これで終われば良いんだけど」と呟いたのは、こういったトラブルを予期していたのだろうか?
となると、常習者と云うことになるが。
「お客さん、それは通らないんじゃありませんか……!」
「では何か? 貴様はこの私に対し、あくまでこの革袋の全てをよこせと云うのだな?」
「こちらは、この商売で食っているんです。顔を潰されたら、たまったもんじゃねェ……!」
「こういった商売で食っていくのなら、正直かつ真っ当に商いすべきであろう! 客に云い掛かりを付けて有り金全部を巻き上げようとは、大道芸人の風上にも置けぬ奴! 恥を知るが良いぞ!」
ビシッと指さすクレーマー。
観客たちは絶句し、ヤジも忘れている。
一方で、取り巻きたちはボスに便乗し、「そうだそうだ」の大合唱。
手慣れているんだなと、呆れるやら感心するやら。
「ふざけるんじゃァねェッ!」
すると斬られ屋、とうとうキレた。
「勝負に負けてから、あれこれ理屈を付けて支払わねェなんて、無法が通るかッ! どうあっても、払って貰いますぜ!?」
「ほう? 暴力に訴えるつもりか? 良いだろう。殴ってみろ。私は抵抗はせぬ。ははは、これでは殴る者と殴られる者、立場が逆になったな。だが、心しておけよ、大道芸人。貴族たる私に手をあげ、更に大金を奪い去ったとあれば、極刑は免れんぞ!?」
ああ、やっぱり貴族だったのね。
じゃあこれからは、チンピラ貴族と呼ばせて貰おう。
「…………ッ」
すると斬られ屋は黙り込む。
矢張り平民であるらしい。権威を持ち出されると、言葉が出ないようだ。
「どうした斬られ屋? 何か云え? この私が間違っていると云ってみろ? 受けて立ってやる。我がヘイフテ家の名にかけて、平民のお前と争ってやろう。ん? どうした? その目は何だ?」
「そうだ、芸人! 何とか云ってみろ!」
「役人に訴え出るなら、当家もヴィリーさんが正しいと証言するぞ!?」
チンピラ貴族の言葉に追従し、煽るように囃し立てる取り巻きたち。
「…………」
斬られ屋は最初こそ怒りに燃えていたが、すぐに諦めの表情に変わった。
チンピラの相手をしても損だと思い至ったのだろう。
「……わかりました。もう、結構です。どこへなりと、去って下さい」
「待て。何を分かったと云うのだ? そこをハッキリさせねば、後々また問題になろう。口に出して云え。何が分かったのだ?」
しかし、チンピラ貴族本人が立ち去ることを拒んだ。
すでに金は諦めているらしい斬られ屋は、目を伏せたままで、淡々と云った。
「……お代はもう、結構です」
「ほほう? 何故かな? 貴様の云い分だと、貴族たるこの私が間違っているのだろう?」
「……いえ。どうも行き違いがあったようで」
斬られ屋の態度は、もういいからさっさと消えてくれと云わんばかりだった。
けれど、ヴィリーは言葉尻をとらえて食い下がる。
「行き違いとは何だ? 明確にせよ。間違っていたのは、貴様か? それとも私か?」
「……当方の勘違いであったようです」
「ほう。そうか。勘違いを認めるか。神妙であるぞ。間違いはおかさないに限るが、おかしてしまったら、すぐに改めることが肝要だ」
ポンポンと斬られ屋の肩を叩くチンピラ貴族。
斬られ屋は怒りがぶり返すのを抑えて、黙って下を向いている。
「しかぁし……」
ヴィリーはニヤリと笑う。
「貴族に無理難題を吹っ掛け怒鳴りつけ、そんな言葉だけで、済むはずがないだろう?」
「――えッ!?」
「私は懐の深い男だ。過ちを認めた相手を、殊更、訴えたりはせぬ。しかし信賞必罰は政治の要諦。無実の罪で侮辱された、我がヘイフテ家の誇りの問題もある。このまま『何もなし』には出来ぬなぁ……?」
男は子分たちに振り返る。
「迷惑料は貰っていくぞ? お前たち、あの宝石を取ってこい」
「はい! ヴィリーさん!」
「――なッ!? ま、待ってくれ! それは、あんまりだ!?」
斬られ屋が絶叫した。
しかしチンピラさん、ちいさく首を傾げて問う。
「何だ? 何が問題なのだ? 私が穏便に済ませてやろうとしているのに、不満でもあるのか?」
「あ、あれを持っていくのは、勘弁してくれ……! あれは、あれは……ッ!」
「ほう。では、出るところに出るか? 極刑は免れんと云ったはずだが? 自分の命よりも、石ころひとつを惜しむのか。まあ、それでも良いがな」
ヴィリーは取り巻きたちと目線を合わせ、ニヤニヤと笑っている。
武力戦ならこんな連中、簡単にたためるだろうに、立場を持ち出されると沈黙するより他になくなる。身分差と云うのは、これだから。
見物客たちも、ひそひそと囁き合っている。
「ひでェ……」
「あんまりだ……」
すると取り巻きのひとりが振り返って叫んだ。
「悪党の味方をする奴は、そいつも悪党である! 文句があるなら、名乗り出ろ!」
これでは声を出すわけにもいかない。
黙って下を向く者。足早に立ち去る者。様々だ。
彼らの心情はこうだろう。
斬られ屋は気の毒だが、その為にお貴族様に睨まれたら、たまらねェ……。
これを単純に卑怯と云う訳にも行くまい。
彼らとて、命が惜しいのだ。
「ふん、文句は無いようだな。おい。私は忙しい。さっさと宝石を取ってこい」
「はい、ヴィリーさん!」
チンピラの指示に、取り巻きのひとりが歩き出す。
皆がそれを見送り、宝石が奪われそうになった、その瞬間――。
「待てッ! それ以上の無体は、見過ごすわけにはいかないぞ!」
遮るように立ちはだかる人影が、ひとつ。
それはさっきまで隣にいた、美形の友人に相違なかった。
ノエル・コーレインが、そこにいた。




