第十五話 妹様感謝デー(第一回)
「にーた! だっこ! にーたすきッ! ふぃー、にーたすきッ! なでて! だいすきッ!」
妹様が荒ぶっておられる。
言動がいつもとちょっと違うし、なにより声と視線が力強い。
これはもの凄く寂しがっている時のフィーの特徴だ。
今更云うまでもないことだが、俺とフィーはいつでも一緒にいる。
けれどもふたりきりの時間は多くないし、共にいても勉強やら訓練やらが主目的で、俺の全部がフィーに注がれているとは云い難い。
それが積み重なると、フィーは寂しくなって俺を激しく求めてしまう。
今がその時のようだ。
(俺もフィーと遊びたいしな)
目の前で両手を広げてハグを待っている妹に構ってやる決心をする。
「フィーよ。今日は妹様感謝デーとする」
「それなーに? ふぃー、にーたがすき!」
「つまりだ。今日一日は、フィーのために使う。ずっと遊んであげるぞ!」
「――!」
その時のフィーの表情を、どう表現するべきか。
キラキラと全身が輝き、ふるふると打ち震えていた。
「にーた……!」
ぺたぺた。
おっかなびっくり俺に触る。
「にーた……ッ!」
すりすりと身体を撫でてくる。
「にーた、ふぃーのもの?」
不安そうに問いかけてくる。
俺の答えは決まっている。
「そうだ。今日の俺はフィーのものだ」
「きゅうううううううううううううううん!」
わけのわからない吼え声を聞いた。初めて見るフィーだ。俺もまだまだ妹の生態を把握しきれていないようだな。精進せねば。
「にーたふぃーの! ふぃーのッ!」
うかれているのか、マイシスターが踊り出した。
頬に両手を添えたまま、おしりをふりふり。
「やん、やん!」
とろけるような笑顔のまま、おしりをふりふり。
余程に嬉しいらしい。
幸せそうなフィーを見ていると、俺も嬉しい。
そういえば母さんから、そのうち礼法とダンスも覚えた方が良いとは云われたな。
俺は平民だから必要無いと答えたが、必要になるかもしれないから、暇な時にでも、と。
一応、母さんは作法もダンスも出来るらしい。親父に合わせるために必死に覚えたのだとか。
まあ、その結果が第二婦人にすらして貰えず、妾扱いのままなのだが。
(それは俺が口を挟むことではないのだろう)
今はフィーだ。
謎ダンスを続ける妹があまりにも可愛かったので、抱き上げてしまった。
「きゃん!」
「フィー、好きだ! 俺はお前が大好きだ!」
「やあああああん!」
いつもなら「ふぃーもすき! だいすきッ!」とでも返ってくるはずだが、顔を真っ赤にして喜んでいる。嬉しすぎて言葉になっていない様子だ。
「はははははは! そぉれ!」
お姫様だっこしたまま、くるくると回転する。もちろん、身体能力強化の魔術を使っている。
強化魔術は本来、戦闘や工事現場なんかで使うものらしいが、俺にとってはこれこそが正しい使い途だろう。兄とは妹のために存在するのだからな!
「よし。お兄ちゃんがお馬さんになってあげよう!」
「ぅまー? なぁに? にーただいすき!」
そうか、フィーは馬を知らないのか。
ベイレフェルト家は当然馬車を所持しているが、クレーンプット家が使わせて貰える訳がない。なので魔術試験に行くのも、商業地区へのお出かけも、徒歩であった。
(乗馬は前世でも経験がない。でもこの世界では、絶対に覚えた方が良いだろう。馭者も出来るようになりたい。そうすれば母さんとフィーを馬車に乗せて移動が出来る)
可愛い妹とのふれあいから、新たな目標が産まれてしまった。
流石は愛妹。俺を導いてくれる天使だ!
俺はまず、うつぶせで寝転んだ。
「フィーよ。この兄の背中に乗るのだ」
「ぎゅー!」
覆い被さってきた。
またがると思ったが、知識がなければ、そうもなるか。
俺はそのまま手と膝を立てて、四つん這いに変形する。
「きゃー! にーた、たかい! にーただいすき!」
他界じゃないよ。高いだよ。
俺がそのまま動き出すと、フィーは歓声を上げた。喜んでいるのは間違いないが、馬乗りではないから、妙な感じだ。
サルの親子と云うか、コアラの親子というか。まあ、こっちの方が落ちにくいだろうから、文句はないが。
「あー! アルちゃんとフィーちゃんが遊んでるー! お母さんも仲間に入れてー?」
すると暇にでもなったのか、俺たちを見つけた母さんが笑顔で駆け寄って来た。
うん。今更云うまでもないけど、結構、精神年齢幼いよね。マイマザー。
「めー! にーた、ふぃーの! ふぃーだけのもの!」
しかしそんな母の前に、妹様が立ちふさがる。立ちふさがると云っても、俺と二段重ねになったまま必死に威嚇しているだけなのだが。
「ええー。お母さんもふたりと遊びたいわー!」
「にーたはふぃーの! ふぃーはにーたの!」
「むー……!」
母さんが唇を尖らせる。もうハタチなのに……。
「ねえ、アルちゃん。アルちゃんは、お母さんを仲間はずれにしないわよね? お母さんと、遊んでくれるわよね?」
泣きそうな顔で俺に言葉を向けてくる。そんなに我が子と遊びたいのか……。
(普段なら、一緒に遊んで貰うんだが……)
今日はフィーだけのものだと云ってしまったからな。
「ごめん母さん。今日は『妹様感謝デー』なんだ。フィーだけの日なんで、母さんとは遊べない……」
「そんな、ひどい……」
やめて、そのセリフ。ループじゃないよね?
「じゃあ、アルちゃん、今日は我慢するけど、『お母様感謝デー』には独り占めさせてね?」
え? 何それ? そんな日があるの?
戸惑っていると、同じく四つん這いになった母さんが躙り寄ってきて、俺の頬にキスをした。
「や・く・そ・く・ね?」
「にゃーーーーーーーーーーーーーっ!」
フィーが叫ぶ。これも今までに聞いたことのない声だ。
「ふふふ。じゃあね、アルちゃん。フィーちゃんをたくさん可愛がってあげてね!」
母は一転して笑顔で立ち去った。随分と機嫌が良さそうだが、一方的な約束は無しだぞ?
「にーた! にーた! ふぃーおろして!」
妹様が必死に語りかけてくるので、その場でうつぶせ形態へと変化する。
フィーが離脱したのを確認してあぐらをかくと、大天使が俺の正面に立って、ジッとこちらを見つめている。
マイシスターはこれまで、俺には笑顔か泣き顔しか向けなかった。しかし今回の表情はいつもと違う!
「にーた、いまのなぁに!」
そう云えば、フィーはキスは知らないのか。親から子へのありきたりな親愛行為のはずだが、思い返してみればこの世界では初めてのことだったのかもしれない。
「いまの、めー! わかんないけど、めーなの!」
キスは知らなくとも、フィーにとってはアウトな行為と認識したようだ。
「キスはダメか」
「きす? あれきすいうの? めー! きすめーなの!」
天使の愛くるしいてのひらが伸びてきて、俺の頬をこしこしと拭き始めた。さっき母さんがキスした部分だ。
むむむ……。そこまでキスに拒絶を示すとは……。
マイシスターは案外潔癖なのかもしれない。いや、女の子なんだし、それでも別に構わないけれども。
(しかし、随分と真剣な顔だなァ……)
俺の頬をこする愛妹の表情は一生懸命だった。思わず「可愛い」と漏らすところだった。
「んっ……ふぅっ……!」
しかしそのうち、マイシスターに異変が起こる。頬が赤くまり、瞳が潤み始めて来た。
(何だろう? 疲れたのかな……?)
二歳児に拭き続ける作業はツラかろう。そんな風に思ったが、どうやら違うらしい。
「きす……。にーたときす……」
先程まで睨むように見つめられていた俺のほっぺたには、とろんとした瞳が向けられている。
「にーた、すき……」
そして、頬に柔らかい感触。
フィーにキスされてしまった。
いつもの妹様なら、「にーた! すきッ!」と云うテンションのはずだが、どうにもこうにも様子が違う。
「にーた……。にーたもきす、して?」
とろんとした表情で要求してくる。
「キスはダメなんじゃなかったのか?」
「ふぃーとにーただけはいいの! ほかはめーなの!」
知らなかった、そんなの……。しかし、いつの間にそんなルールが。
だが、妹様の決定なら仕方がない。ほっぺに軽く口づける。
「ふにゃぁぁぁぁ~~~~……っ!」
マイエンジェルはぺたんと座り込んでしまわれた。
「きす……。すき……。にーた、すき……! もっと、きす、にーた……!」
ううむ……。我が妹様はキスを覚えてしまわれたか。
別にキスするくらいは構わないが、だっこやなでなでのように頻繁にねだられるようになると困るな。
羞恥心を教えるのも、兄の仕事だ。母さんはこのジャンルだと当てにならないからな。俺が教えてやらねば。とはいえ、現状は無策だが。
追々、何か対策を考えよう……。
そうして、今までに見たことのない数々のフィーを知ることの出来た一日は終わった。
俺は知らない。
第二回・妹様感謝デー開催が命じられることを。そして、お母様感謝デーの開催も命じられることを……。




