第百五十五話 まぼろしの月
星読みの力。
それは、云ってしまえば未来視だ。
星の力。
星の加護をもって、運命を拾い上げる破格の能力。
しかし未来とは不確定で、そして、おぼろげなものでしかない。
だから、『見る』ことが出来る機会はそう多くないし、失敗することも多い。
畢竟すれば星読みの術とは、ある程度は失敗することが前提の能力なのだ。
他方、星読みと似て非なる力に、『予知』と云う力がある。
両者の違いを端的に表現するならば、それは『能動的』か『受動的』かと云う点にあるだろう。
星読みは『見たいもの』を指定し、未来へと働きかける力。
そこには術者本人の意志がある。
だが、予知は違う。
こちらは、ある日突然、ふと、未来の一部が見えてしまうのだと云われている。
そこに、能力者の意志はない。
見たくないと思っても、見えてしまうものらしい。
ただし、ある程度の制御が出来る規格外もいる。
放浪の予言者と呼ばれる伝説の魔術師、エフモント翁のように。
さて、タルビッキの星読みだ。
この観星亭は、天体の観測だけでなく、星の力を取り込みやすいよう術式も彫り込んである。
より成功率を上げるよう。
より、確実な未来が見えるように。
星読みと予知の違いのひとつに、『燃費』の問題がある。
勝手に未来が見えてくる予知とは違い、星読みは自ら進んで先を見ようとするのだから、魔力量がなくては話にならない。
だから通常、星読みは、一度でも未来に干渉すれば、回復するまで何も出来なくなってしまう。
成功率が高くない上に、燃費が悪い。
それが星読みの実態だった。
しかし、それでも未来を知ると云う力には、無限の価値がある。
かくて多くの権力者は、それでも星読みを得ることを願った。
そして代々の引き継ぎでなければ、あまり欲しがられなかったであろう希有な星読みは、サポートの為の術式すら使わず、独力で未来に挑むようだ。
「……観星亭の設備を使わなくて、よろしいのですか?」
「ええ。娘のために、取っておきます!」
マルヘリート殿の質問に、タルビッキは笑顔で答えた。
自分の娘が家伝通りの救世主となることを、微塵も疑っていないらしい。
しかし、当のミルティアは、
「虫さん、どこぉ……?」
母親を見もしないで、真冬に草花を掻き分け、昆虫を探していた。
「ミル。虫さんは後でお母さんが一緒に探してあげるから、今はこっちを見ていなさいね」
「でもぉ、さっき、人間みたいな虫さんがいて……。おっきくて、黒いの……」
何だ人間みたいな虫って。
モンスターじゃないのか、それ。
そんな不気味なものは、この観星亭にはいないぞ。
云っていることが、支離滅裂だ。
これだから、頭ぽわぽわは!
結局、ミルティアはタルビッキに引っ張られて、観星亭の中央部へと戻った。
途中、何度も振り返っていたのは、『虫さん』とやらに未練があったからだろう。
「こほん。では、改めて……」
タルビッキは詠唱を始める。
星に係わる魔術は、かなり特殊な言語を使うのだ。
マルヘリート殿の云うところでは、ロストワードの『幻想真言』に近いらしい。
しかし既に遺失した言葉だ。
検証は、ほぼ不可能だろうと云われている。
「フェフィアット山に棲む氷竜か、エルフの高祖でもない限り、もうロストワードの使い手は、いないでしょうね」
現代の魔術は、残念ながら最先端ではない。
寧ろ幻精歴や魔導歴のそれに大きく劣ると云われている。
だから技術の発展は独自に研鑽を積み重ねて『未来へ進む』だけでなく、昔を知り、その技術を発掘する『過去への回帰』も重要だったりする。
しかし、辿るべき過去への手がかりの大半が、既に消失しているのが現実なのだ。
「※※※※※※……!」
普通の魔術師には聞き慣れないであろう言葉が流れていく。
それと同時に、タルビッキの周囲に光が集まり始めた。
まるでホタルが舞っているようだ。
「※※※※※※……! ※※※※……。※※※※※※※※※※※※……!」
詠唱が完結し、光があふれた。
タルビッキは頭の中身は兎も角、見てくれだけは良いので、いっそ幻想的ですらある。
星読みは目を見開き、そして云った。
「駄目ッ! なぁ~~んも、見えませんでしたぁッ!」
両腕で、大きく×印を作る様は、あまりにも滑稽で、王妃様や姫殿下に対して失礼であろうと思われた。
いっそ頭をはたいてやろうかと思った程だ。
私の腕を無言で掴んで制止したマルヘリート殿に感謝するがいい。
「そう、ですか……。残念です……」
しゅんと項垂れてしまう姫殿下。
きっと、この星読みに一縷の希望を託していたのだろう。
なのにタルビッキの言動はどうだ!? もっと、しおらしい態度を取るべきなのだ。
観星院の恥さらしめ!
「大丈夫ですよ~……」
魔力を使い果たした役立たずの星読みは、肩で息をしながら、己の娘の背中を押した。
「この娘は未来の救世主! きっと望む結果を出してくれることでしょう」
「お母さん、私、それより虫さんを探したいの……」
親子揃って、どこまでも空気が読めないようだ。くそ。
(もういい! さっさと失敗して貰って、王妃様と姫殿下には、私が頭を下げよう)
やはりアホカイネン親子には、期待などしてはいけなかったのだ。
無能のもたらした惨劇よ、早く終わってくれ!
「ミルティア、やってみなさい」
私は表面上はもっともらしく頷いて、ぽわぽわ娘を送り出した。
一秒でも早く、この場から立ち去りたかったのだ。
「でも、私~~……。お母さんが何を云っていたのかも、知らないよ?」
「大丈夫よ、ミル。それでも何とかなってしまうのが、救世主と云うものなんだから!」
アホが!
詠唱を成立させずに魔術が行使出来る訳がない。
いいから、さっさと失敗してくれ。
これ以上、姫殿下のお心を傷つけるな!
「それに、何をすればいいかも分からないのぉ……」
癒しの手立てを得る為だと云っているのに、これだ。
「王妃様をお救いするのだ」
私の言葉に、ミルティアは首を傾げた。
「むん~~……? だから、王妃様、健康だと思うの……?」
「いいから、ミル。さっきお母さんがやったようにすれば良いの!」
「え……? うん~~……」
ぽてぽてと歩いて、術式盤の上に立つぽわ子。
そして、見よう見まねで詠唱を開始する。
「め~だ、ま、やき~~……! はむ、べ~こん……?」
まるで詠唱になっていない。
言葉はメチャクチャだし、音程も駄目だ。
その証拠に、術式盤は沈黙している。
うんともすんとも云いやしない。
(王妃様、姫殿下、まことに申し訳ありませぬ……!)
私は一足先に、心の中で頭を下げた。
――その、瞬間だった。
「!?」
光。
目の前には、光の柱。
ぽわ子の足下から、凄まじい量の光が立ち上った。
術式盤は、起動していないと云うのに。
「こ、これは……ッ!?」
マルヘリート殿も、この現象に驚いている。
一体、何が起こっているというのか!?
「きゃっ……!」
その時、今度は別方向から、可愛らしい悲鳴が聞こえた。
なんと姫殿下からも、強い光が立ち上っている。
その色は、蒼。
蒼き月と同じ色の光が姫殿下から伸びて行く。
姫殿下の光と、ぽわ子の光。
二本の柱は天空で絡み合い、美しい文様を描いた。
凄まじい光量だ。
城の者はもちろん、平民共にも、ハッキリと見えるに違いない。
「あ、あの印は……!」
マルヘリート殿が、最初に文様の意味に気がつく。
それは月神を表す古い記号に相違なかった。
伝説上の文献で見るような、今はもう、王家の祭祀以外では使われない文様。
姫殿下とミルティアから発せられた光は文様に吸い込まれると、まるで満月のような、美しい真円を形作った。
「つ、月……!? 星ではなく、月の魔術が発動したというのですか……!?」
マルヘリート殿が、弟子に振り返る。
しかし、姫殿下は首を振った。
「い、いいえ! わ、わたくしは、一切の魔術を使ってはおりません……!」
幻の月は一際大きく明滅すると、今度は優しい蒼い輝きを地上へと降らせる。
その光は一本の柱となり、王妃様のお身体を照らしていた。
「え……!? え……!?」
パウラ様も大層、戸惑っていたが、やがて観星亭の一点を見つめ、何かに気付いたようにハッとする。
そして、今度は芝居がかった、妙に上擦った声をあげた。
「か、身体が……! 私の身体が、治りました……ッ!」
「えぇッ……!?」
その場にいた多くの者が、叫び声を上げた。
「お、お母様! 本当なのですか……ッ!?」
姫殿下が王妃様に駆け寄る。
期待。不安。戸惑い。恐怖。混乱。
第四王女様の表情には、様々な色が浮かんでいる。
「ええ、本当です。シーラ。魔術を使ってみて?」
「で、ですが……! そんなことをすれば、お母様は……!」
「お願い。私を信じて」
王妃様の具合の悪化を恐れ逡巡していた姫殿下は、その言葉で、ちいさく頷く。
第四王女様は、ちいさなそよ風をを王妃様に向けて使った。
パウラ様は、それを受けても苦しがらず、微笑んでいた。
「あ、ああ……! ま、まさか、本当に……!? お、お母様……!お母様ァ……ッ!」
姫殿下は、王妃様に取りすがって泣き始めた。
タルビッキ以外の皆がそれを、呆然と見つめている。
私にも訳が分からない。
けれど、ひとつだけハッキリとしているのは、凄まじい奇跡が起きたという、信じがたい事実だけだ。
「良かった、と云うべきなのだろうか……? 何も分かっていないのに……?」
私は、呻き声を上げて、空を見る。
幻の月は、いつの間にか、消えていた。




