第百四十一話 村娘ちゃん、再び
年が明けた。
神聖歴1205年の一月だ。
今日は、免許試験日。
今回も無事合格し、初段取得まで躓かずに行きたいものだ。
まあ、別にオール満点を狙っている訳でもないので、気持ち的には、ずいぶんと楽だ。
周囲には、無駄なプレッシャーを掛けてくる悪質キャラもいない。
仮に試験を落としたとしても、きっと温かく慰めてくれることだろう。
こういう受験環境って、大事だと思うんだよね。
しかし、今の俺には、免許試験なんかよりも重要なことがある。
それは――。
「フィー」
「なぁに、にーた? ふぃーに、ご用?」
俺が声を掛けるだけで、嬉しそうに駆け寄ってくる大天使。
今までとの違いが、おわかり頂けただろうか?
「出発の準備は出来たか?」
「うん、平気! ふぃー、準備できてる! にーたと一緒に行く!」
我が愛する妹様。
フィーリア・クレーンプット嬢の滑舌が、だいぶ良くなっているのだ。
まだまだ舌っ足らずなところはあるが、それでもずいぶんと聞き取りやすくなったものだ。
だんだんと成長していくマイエンジェルの姿に、感動を禁じ得ない……!
「ふへへ……! ふぃー、にーた好きッ!」
抱きついてくるマイシスターの身体も、ちょっとずつ大きくなっている。
……それでもまあ、この子はちょっと小柄なんだが。
「アルトきゅん、頑張って下さいねー! 無事合格出来たら、ミアお姉ちゃんが、いけないご褒美をあげますよー?」
いらんわ。
五歳児に、一体何をするつもりだ。
犯罪者予備軍は華麗にスルーして、俺は笑顔でしがみついている妹様に声を掛けた。
「さ、フィー。出発するぞ。離れてくれ」
「や! にーた、試験中、ふぃーをひとりにする! だから、今のうちから、にーた分を補給してるの! ふぃー、離れない!」
えぇい、この甘えん坊さんめっ!
しかしこれは、今こうやって甘やかしてやれば、我慢してくれるということだからな。
報酬の先払いだと考えて、撫で回してやるとしよう。
「ふひゅひゅ……っ! ふぃー、にーたのなでなで好きッ! もっと! もっと、なでなで!」
また妙な笑い方を……。
まあ、満足してくれるなら、それで良いか。
「羨ましい……。じゃなくて、アルちゃん、行くわよ」
「うーい」
こうして俺は、今年最初の免許試験へと向かった。
※※※
と云う訳で、試験会場へとやって来たのだ。
あの迷惑集団――魔術師絶対主義者たちは、今回もビラ配りをしている。
我が家は安定のスルーだが、気のせいか、あちらさんのメンバーが増えている気がするんだが。
会場にいる受験生の中にも、普通に檄文(?)を受け取っているものたちがチラホラ。
大丈夫なのかね、これ?
勢力拡大とか、迷惑だから、やめてくれよ?
しかし、気になっていることは、もっと他にある。差別主義者なんか、どうでもいい。
(村娘ちゃんは、来ているんだろうか……?)
今の注目点は、そこだ。
お付きの人が薬草を探していたと云う話だが、それはどうなったのだろうか?
いつものついたてに近づいてみた。
なお妹様は、この後、兄妹離ればなれになることを分かっているからか、俺の身体をがっちりキャッチ。
微塵も離す気配がない。家を出る前から、ずっとこんな感じだ。
(あ。居た)
これで会うのは何度目だったか。
いつもの場所に、村娘ちゃんは佇んでいる。
『こんにちは』
『こんにちは』
おなじみの挨拶を交わすが、お月様な幼女には、元気が足りていないように見える。
笑顔は笑顔なんだが、無理して気丈に振る舞っているかのような印象だ。
(……お付きの人が違うな)
他に気付いたことは、その点だろうか。
いっつも俺を胡散臭いものでも見るかのように睨んでいる女の人。あれがいなくて、代わりに、別のお付きがいる。
……まあ、こっちのお供も、俺を胡散臭い目で睨んでいるのだが。
俺って、そんなに怪しいかな?
「お久しぶりでございます。その後、おかわりはありませんか?」
「ああ――うん。至って平和だよ。そっちは、どう?」
俺の言葉に、村娘ちゃんは寂しそうに笑った。
ああ、こりゃあ、薬草を欲しがってたのは、お付きの人じゃなくて、この子みたいだな。
まさかその辺の事情を知っていると云う訳にもいかないから、当たり障りのない言葉を選択する。
「なんだか元気がないみたいだけど、休んでなくて、大丈夫?」
「お心遣い、感謝致します。ですが、わたくしは平気ですし、休むわけにも参りません」
「休むわけにも……?」
「はい。休むわけにも、です。わたくしは一日でも早く、初段位を取得したいと考えておりますので」
むむ?
もしや村娘ちゃんも、魔道具作成の資格が欲しかったりするのかしら?
そう云えば、今まではただ単に、この子が優秀だから幼くても試験に来ているんだと漠然と考えていたが、実際は目的あってのことなのかな?
(気になるっちゃあ、気になるが、その辺、好奇心だけで突っつくのはマズいよなァ……)
俺が言葉を紡げないでいると、村娘ちゃんは一度俯き、それから意を決したかのように、一歩前へ出た。
その瞳に宿る輝きは目映い。
この娘、意志が強いのかもしれない。
「突然このようなことを尋ねる無礼をお許し下さい。貴方様は以前、自らの魔術の師を、エルフであると云われましたよね?」
「え、あー……。うん……」
云ってたか?
云ったような気がするな。
今にして思えば、結構、迂闊なような。
てか、エイベルの迷惑になりかねないな。今後は自重せねば……。
「その御方は、もしや、ハイエルフではありませんか?」
「いや、間違いなくハイエルフじゃないね。本人はただ単に『エルフ』としか」
「そう――ですか……」
村娘ちゃんは、目に見えて落胆した。
そりゃそうだろう。単なるエルフでは、きっと奉天草には、辿り着けない。
しかしすぐに気を取り直すと、重ねて、こう質して来た。
「貴方様の師がエルフであるならば、その御方は、薬学に明るかったりしないでしょうか?」
はい。
とても明るいと思います。
ハイエルフたちの反応を見るに、うちの先生以上の薬師はいないとすら思えます。
――が、それをバカ正直に伝えて良いものか。
「うちの先生はエルフなので草木には詳しいだろうけど、ぶっちゃけ、比較対象がいないと、明るいの昏いのは明言できないかな」
「そう……ですよね。愚かな質問を致しました」
青菜に塩だな……。
個人的には手を貸してあげたいんだけど、俺の軽はずみな行動で、エイベルだけでなく、エルフ族全体にも迷惑が掛かる可能性がある。余計なことは云えない。
すると村娘ちゃんは諦めずにこう訊いてきた。
「では、貴方様は『魔素包融症』と云う病に心当たりはありませんか?」
「いや……? 知らないな」
魔素……?
何だろう? 名前的に、単なる病気じゃなさそうな感じだが。
「図々しいとは自覚しておりますが、ひとつ、お願いがあるのです」
「何かな?」
「貴方様の師に、今わたくしが述べた病を治療可能か、訊いて頂きたいのです」
「まあ、そのくらいなら……」
俺は歯切れの悪い返事をしてしまったが、それでもこの女の子は、深々と頭を下げた。
「どうぞよろしくお願いします。どうか、どうか……!」
病気になっているのは、余程に大事な人なのだろう。
村娘ちゃんは、何度も何度も頭を下げた。
「でん……お嬢様、そろそろ行きませんと、時間が……」
お付きの人が慌てて窘める。
これは、俺に頭を下げているのがよろしくないと判断してのことだろうな。
月色の少女は渋々といった様子で、この場を去ることにしたらしい。
「碌な挨拶も出来ずに図々しいお願いばかりで、申し訳ありませんでした。ですが、何か、わずかでも手がかりがありましたら、どうかわたくしにお知らせ下さいませ」
最後にそう云うと、もう一度腰を折って去って行った。
「……知らせるって云っても、その為の手段が無いじゃないか」
そこに思い至ったのは、不覚にも彼女の姿が見えなくなってからだった。




