第百三十六話 トルディ・ノート(その十一)
「トルディ、ごめんね」
事情を聞かされて驚いている私に、トロネさんは頭を下げました。
彼女が欲しがっていたもの。
彼女が家を出た理由。
そして、どのような結果であれ、粛正されたであろうこと。
それらを知って、驚きました。
まさか私が気まぐれにデボラに相談したことが、ほぼ最良の結果に結びついたなど、思いもしませんでしたよ。
エルフの世界にはエルフ独自の掟と派閥があって、たとえばラミエル派のように積極的に外の世界と交流を選択する者達もいれば、『天秤』の派閥のように、自他共に非常に厳しくあることを良しとする一派もいます。
デボラの友人は、どうやらラミエル派のハイエルフだったようです。
まあ、あの破戒僧の友人をやれるのですから、それは途方もない聖人か、或いは逆に、同レベルのちゃらんぽらんか、どちらかでないと務まるはずがないのです。
自己を律することに重きを置き、エルフの品格を損なうことを厳しく攻撃する『天秤』の派閥には、どうしたってなりませんね。
私からデボラへ。
そしてデボラから、そのハイエルフの方へ。
情報と事態は流れ流れて、そして何故か、飲み屋で顔を合わせることになりました。
結果は――ちゃらんぽらんな方でした。
まあ、待ち合わせ場所を聞いた時点で、諦めてはいましたが。
私はお酒を飲むお店には近づかないので後になって知ったのですが、この王都には迷惑な酔客の集団が存在するらしく、多くの酒場で恐れられているそうです。
デボラとエフモント翁、そしてそのハイエルフ――ミィスさんと云うお名前でした――は、そのブラックリストメンバーであるようでした。
トロネさんの件で大変お世話になったので言及は避けますが、非常に個性的な方であったことは間違いありません。
ただ、仕事はきっちりとこなして下さったようで、トロネさんが命を捨ててでも望み欲した治療薬を手配してくれたようでした。
私は薬学には昏いので寡聞にして知りませんでしたが、黒粉病は治せるものなのですね。完全な死病だと思っておりました。
この辺、家を飛び出して高祖に掛け合おうとしたトロネさんも同じでしょう。
更に云えば、トロネさんの里の人々も知らないはずです。
知っていたら、彼女が王都まで出てくるはずがありませんから。
「ハイエルフの方々は、私たち普通のエルフよりも、知識や技術の点においても優れているから……」
トロネさんはそう考え、ノーマルのエルフとハイエルフの差を改めて認識したようです。
しかし、「薬のことは他言無用」と念を押されたので、矢張り貴重なものには変わりないのでしょう。
人の世に出てくることは、なさそうです。
そんなものを入手出来たミィスさんは、実は凄い人なのかもしれません。
何にせよ、彼女には感謝しなくてはいけませんね。
「お母様が助かりそうで良かったですね、トロネさん」
「うん! これもトルディのおかげだよ! 本当にありがとう!」
私がそこまで役に立てたとは到底思えないのですが、これは誤解と云うよりも、彼女の喜びが言葉になったものと解釈し、黙って受け入れるべきでしょうね。
私たちはこれから商会に出向いて、治療薬の受け取りと、お騒がせをした謝罪をせねばなりません。私は付き添いですが、トロネさんだけを謝らせるわけにもいきませんからね。
エルフの高祖に会えなかったのは残念ですが、ハイエルフたちの範囲で話が終わったのは、きっと幸運なことなのでしょう。
高祖まで巻き込んでいたら、きっと、もっと大事になったに違いありませんから。
「じゃあ、行きましょうか」
「うんっ!」
ナチュラルに腕を組んできますね……。
彼女は万事がこの調子です。何でこんなに懐かれたのか、いまいち理解が出来ません。
いえ、いやではないので、構わないのですが。
そうして向かう、商会への道。
トロネさんは、花のような笑顔を私に向けていました。
怒られることは確定で、里に戻れば、罰せられる事すらあるかもしれません。
しかしそれでも、大好きなお母さんを救うことが出来るから苦にならない。構わないのだと誇らし気です。
確かに高祖に会うプランだと、そもそも助けられるかどうかすら不確定でしたからね。
最悪、罰だけ受けて、助けて貰えない可能性もあったわけですから。
その、花のようだったトロネさんの表情が突如として曇りました。
これまでにないくらい、真剣な顔をしています。
「トロネさん? どうかしましたか?」
「トルディ、危ない」
彼女は私を抱えて、跳びました。
瞬間、私たちがいた場所に、火の玉が炸裂したのです。
それが魔術であることは、すぐにわかりました。
(トロネさんの第六感! つまり、奇襲ですか!)
私は素早くロッドを取り出します。
問答無用で襲撃してくる相手となれば、それはあのエルフに違いありません。
「ピートロネラぁ、見つけたぞ……」
現れたのは、矢張りエルフでした。
しかし、この間の襲撃者ではありませんでした。
どうやらトロネさんを追いかけていたのは、彼だけではなかったようです。
「…………」
私は奇襲を掛けてきた人物を睨み付けます。
エルフ族の男性ですが、向こうもこちらを睨め付けて来ます。
いきなり魔術を使ったあたり、穏便な交渉が出来る相手とは思われません。
「避けるなよ、ピートロネラ……。面倒臭くなるじゃあないか……」
「この子は貴方の同族でしょう? 今の攻撃が当たっていたら、大怪我をしていましたよ!?」
「下等な人間如きが、気安く声を掛けるんじゃあないッ!」
男は私が声を掛けたという、それだけの理由で激高しました。
この間の襲撃者もそうでしたが、このエルフも随分と荒っぽい性格であるようです。
「ピートロネラ……。長からは、抵抗するなら、多少の怪我はやむなしと云われている。痛い思いはしたくないだろう? なら、さっさとこちらへ来い……」
「抵抗も何も、会話もせずに魔術を使っておいて、何を云っているのですか!?」
「話しかけるなと云っただろうが、薄汚い人間がッ! お前たちがデリンヴェに攻撃をしたのは知っている! つまり、既に抵抗をしているんだよッ!」
デリンヴェと云うのは、たぶん、この間の襲撃者の名前でしょうね。
私をシックスセンスで救ってくれたトロネさんですが、不安そうに震えています。
普段の爛漫な性格といい、戦いには向かない性分のようです。
よく王都まで辿り着けたものだと、今更ながら感心しますね。
「――で。デリンヴェをやったのは、どっちだ? それとも、他に仲間がいるのか?」
「……何の話でしょうか?」
「とぼけるんじゃあねェッ! クソ人間がァッ! あいつが戻って来ねェってのは、そういうことだろうがッ!」
問答無用で詠唱が開始されます。
この間の襲撃者さんは、誰かに倒されたということなのでしょうか?
身に覚えは当然ありませんし、そんなうわさ話も聞こえてこないので、官憲に逮捕されたという訳ではないようですが。
逃げられるでしょうか、この状況で。
まだ夜ではないので、影法師を囮にするのは難しいでしょう。
ならば――。
「ピートロネラさん、貴方だけでも逃げて下さい! ここは私が時間を稼ぎます!」
「だ、ダメだよ、トルディ! そんなこと、出来ないよッ!」
「逃がすと思うか、バカ共がッ!」
一際大きな火球が形作られます。
これ、本当に大事になると思うのですが、正気なのでしょうか?
私は兎も角、トロネさんに当たってしまったら、大怪我をしてしまうでしょう。
なんとか、彼女だけでも守ってあげねば……!
「死んどけ! クソ人間ッ!」
まるでチンピラのようなセリフで撃ち出される火球。けれど、威力は本物です。
高速言語で魔壁を展開。
第二呪文で防御を強化。
第三呪文でカウンターを狙いますが、上手く行くでしょうか。
「うっ……! くっ……!」
この間の経験から、魔壁を厚くすることを選択しましたが、どうやらそれが功を奏したようです。
かなりの魔力を持って行かれますが、防ぐこと自体は出来そうでした。
反撃の魔術は、岩弾を選択します。
穏便に拘束したいところですが、黒縄では、通用しないでしょう。
足を狙って、動きを止めます。上手くいくと良いのですが。
「トルディ、他にもいる! 気を付けて!」
「――えッ!? きゃッ!」
もうひとつ飛んできた火球に、私の魔壁は破壊されてしまいます。
出てくるのは、新たなるエルフ。
こちらも男性で、どうやら彼が追加の火球を放ったようです。
「と、トルディ、大丈夫ッ!?」
トロネさんが叫びます。
「ええ、なんとかですが」
私はなんとかそう答えましたが、しかし、マズいですね。
相手がひとりなら、逃亡の目もありましたが、ふたりともなると、打つ手がありません。
紳士的な相手ならば投降も考えるのですが、いきなり魔術を行使し、しかも人間を見下しているとあっては、降伏するのは愚策でしょう。
勝ち目もなく、逃亡も困難。
ならば、矢張りトロネさんだけを逃がすことに専念すべきでしょうか。
ふたりのエルフの瞳には、余裕と侮蔑の色が浮かんでいます。
慢心、大いに結構。その方が乗じやすくなりますからね。
「くくくくく……。人間、お前、ピートロネラだけでも逃がそうなどと考えているのだろう?」
「――!」
「そうはさせんぞ……。下等なサルの考えることくらいは、お見通しだ……!」
読まれていましたか。
そこも慢心していて欲しかったんですがね。
(とんだ雪隠詰めですね。しかし、彼女のことは、守ってあげねば)
事態が更に動いたのは、私がある種の覚悟を決め、ロッドを握りしめたその時でした。
「――エルフかよ。商会の人以外でエルフを見るなんて珍しいなぁ」
場違いな。
あまりにも場違いな声が響きました。
緊張感のない、のんびりとした声が。
「バカな、侵入者だと!? 人払いの結界は張ってあったはずだ!」
襲撃者たちも、突如として響いた声に振り向きました。
そこに――人影がありました。
あまりにもちいさいそれは、紛れもなく子供のものでした。
そう。
信じられないことに、子供が立っていたのです。
端整な顔立ちと、それに似つかわしくない、くたびれた雰囲気を纏ったちいさな少年が、そこにはいたのです。




