第百三十三話 甘露を望む
「に……。にーたの『た』!」
「た……。タラバガニ」
「に……。にーたの『た』!」
いや、妹様よ、『にーた』は云ったばかりだからな?
今の俺は、自室でマイエンジェルと、しりとりの真っ最中。
あぐらをかいている俺と、その上に座り込んで抱きついてきているマイシスターと云う構図。
すぐ横にいる母上様は、やわらかクッションに沈み込んで、続き物の恋愛小説を読んでいる。
マイマザーは本を読みながら表情が変わるタイプの人なので、レースゲームとかやらせたら、たぶん、カーブで身体も傾くタイプだろう。
そして、もうひとりの家族であるエイベルは、朝から出かけている。
昨日、俺が頼んだ案件の薬を作りに行ってくれているのだ。
「にーた、にーた! ふぃー、あまいのすき! にーたがすきッ!」
しりとりの途中なのに、突如としてそんなことを口走るマイシスター。
これはアレだね。甘いものが食べたいという、催促だ。
言葉通り、お菓子大好きだからな、うちの妹様は。
「あら、いいわね。お母さんも、ちょっと糖分がとりたいわ~」
なんて云って話に加わってくるお母様よ。
太るぞと云ってやりたいが、云うと我が身の破滅、待ったなしだしな……。
俺はフィーを抱えたまま、棚に近づく。
ここにはハチミツと水飴が仕舞ってあるのだ。
「あ、無い……ッ」
文字通り、底をついた容器がふたつ。
うちの女性陣は皆、甘いの大好きだから、当然、消費量も多いわけで。
「もう無いよ。どっちも殆ど空」
「ええ~~っ!」
母と娘の声が重なる。
いや、食ったのあんたらでしょう。何で在庫を把握していないのか。
「そんな声を出されても、無いものは無い。来月の六級試験の時に多めに買うしかないだろう」
この西の離れでは、当然ながら嗜好品は与えては貰えない。
自分たちで購入しなければならない。
そんでもって外出できる機会は限られているので、購入出来る機会も、それに準拠するわけだ。
つまり、暫くは手に入らないね。
「来月って……、来月じゃない!」
「何を当たり前のことを……」
母さんがわなわなと震える。この世の終わりみたいな顔だ。
「それまで甘いものがないなんて、お母さん耐えられないわ……!」
「ふぃーも! ふぃー、あまいのすきッ! にーたすき!」
いや、フィーよ。
俺の服を引っ張られても、甘いものは出てこないぞ。
気軽に買いに行くというわけにもいかないが、仮に外出自由の身分だったとしても、甘いものは高いので、ほいほいと購入出来ないのだよ。
「むーっ!」
母上様が頬を膨らませる。一体、今何歳なのかと問いたくなる仕草だった。
フィーもフィーで、底をついた水飴の容器に懸命に手を伸ばしている。
(何とか買ってあげたくはあるんだけどなァ……)
そんなことを考えていると、窓際に水色の鳥が飛んできた。
今更、説明するまでもない。霊鳥のイーちゃんだ。
「あら? 可愛い子が来たわね?」
俺より先に気付いたらしい母さんが窓を開けて、指に乗せる。
マイマザー、見た目だけは綺麗で若いから、鳥を乗せているとパッと見、深窓の令嬢みたいに見えるんだよね。
中身はそれとは程遠いのだが。
「ああ、母さん、その子は俺のお客さんだよ」
呼びかけるとイーちゃんがこちらへ飛んできて、肩にとまった。
一瞬、妹様が不満げな顔をしたが、許容して貰うより他にない。
「フィー、ちょっと降りててね」
「むー……っ!」
マイエンジェルは、ぷくーっと頬を膨らまし、俺に抱きついてきた。
頭を撫でてあげたいが、ヘンリエッテさんからの手紙を確認させて貰わないとね。
「クー、クー!」
イーちゃんにくくりつけてある筒から手紙を取り出すと、スズメサイズの霊鳥は、すぐに母さんの所へと飛んでいった。
頭を擦り付け、撫でることを要求している。どうやら俺やフィーよりも、マイマザーが気に入ったようだ。
「あらあら。甘えんぼさんね」
母さんは甘えられるのも大好きなお人なので、要求通り、イーちゃんを可愛がる。
水色の鳥は実に気持ちよさそうに眼を細めた。
俺はまだ、あそこまでの表情を引き出したことがないんだよなァ。くそう……。
「にーた! ふぃーも! ふぃーも、なでなでしてほしい!」
あぁ。うらやましがるの、そっちなのね。
妹様らしいっちゃ、らしいけど。
「そうだ。俺にはフィーがいる! たっぷりと撫でちゃうぞ~ッ!」
「きゃーっ! ふぃー、にーたに、なでてもらった! ふぃー、うれしい! もっと! にーた、もっとふぃーをなでなでして?」
手紙が読みたい、とは云い出しにくくなってしまった。まあ、仕方ないね。
なので撫で続ける方を選択すると、フィーの顔がどんどんと、とろけていく。
俺の行動はお気に召したようだ。
「ふへへへ……! ふぃー、にーたの、なでなですき! しあわせぱわーがわいてくる! ぽわ~ってなる! ふぃー、にーたすき! だいすきッ!」
マイエンジェルが力強く抱きついてくるので、両腕がフリーになった。
これで手紙が読めるぞう。
えっと、何々……。
「――――ッ」
いつも通りの何気ない内容だと思っていた俺は、動きが止まった。
いつもよりも大きめの紙にいつもよりも多い情報量の文章。そして、多めの紙数。
そこには、王宮の関係者らしき人物がエイベルを探しているようだから、暫くは商会に近づけない方が良いかもしれない、と云う内容だった。
その薬学の技術と知識、そして奉天草を欲しているようだとも。
なので、エイベルにも高祖であることを秘すようにと。
つい昨日、我が家にやって来た胡散臭いハイエルフと同じような話じゃないか。
尤もあちらは同族で商会の人間。しかも件の薬草以外で対応可能な案件だったが。
(流石に情報がこれだけだと、どうしたら良いか分からないぞ? ヘンリエッテさんに実際に会って話を聞きたいな……)
そもそも揃って奉天草を求めているのは、単なる偶然なのか?
それとも、流行病とか中毒とか、理由があってのことなのだろうか。
うんうんと唸っていると、普通にエイベル先生が戻ってきた。
肩からは大きめの鞄を提げている。薬入れとして持っていったものだ。見ると膨らんでいるので、例の治療薬が入っているのだろう。
「エイベル、お帰り」
「……ん。ただいま」
無機質に頷いたマイティーチャーは、母上様に甘えているイーちゃんに気付くと、瞳だけを俺に戻した。
「……ヘンリエッテからの使い?」
「ああ、うん。たった今ね」
手紙を手渡すと、すぐに読み始める大先生。
その隙を突くかのように、妹様がよじよじと俺の身体を登ってくる。
どうやら、だっこして貰いたいらしい。
「ふへへ……ッ!」
俺がすぐに意図を察したのが嬉しいようだ。笑顔で頬を擦り付けてくる。
この子はひとりだけ幸せ一直線だね。
もちろん、それで良いんだけれど。
そんなことをやっていると、エイベルが手紙を読み終わる。
「同時に薬を求められているけれど、これって偶然だと思う?」
「……商会を訪ねた人間の知己の状況が分からないので、判断不能。ただ、現時点では単なる偶然に思える。流行病の類なら、王都の人間やエルフたちが騒ぐはず」
そりゃあそうか。
ヘンリエッテさんとの文通でも、「病気が流行っているので気を付けて下さいね」とでも注意されるはずだ。
それに、エルフの子の親御さんが罹ったのは、黒粉病だ。
エイベルは滅多に罹ることのない病気だと云っていたから、流行るわけがないし、流行っていたら、今頃は大騒ぎだろう。
「ヘンリエッテさんに詳しい話を聞こうと思ったけど、エイベルの判断が正しそうだし、無理に外出する必要はないかな?」
「……ん。静観することも、時には必要」
流石はエイベル先生だ。いつだって冷静だ。
「そう云えば、全く関係ない話だけど、これもついでだから伝えておくね。ハチミツと水飴が底をついたっぽい」
「……アルはただちに商会へ向かい、情報を仕入れてくるべきだと思う」
流石はエイベル先生だ。甘いもの大好きだ。
「いや、でも俺、この屋敷から出られないよ?」
「……出入りは私が請け負う。ようは私が商会に近づかなければ済む話。途中まで同行し、倉庫エリアで待っていればいい」
……そこまでして甘露を求めるか……。
げに恐ろしきは、女性の執念。
ともあれ、こうして俺は免許試験日でもないのに、外に出ることになったのだった。




