第百二十六話 フィー、ふて寝する
神聖歴1204年の十二月。
殆ど面識のない国家魔術師のトルディさんから、訳のわからないスカウトを受けたのが数日前のことだ。
あの来訪には、一体、何の意味があったのだろうか?
ただ単純な勧誘だったとも思えない。
だって、やたらとヤンティーネのことを気にしていたからなァ……。
後日ティーネ本人にトルディ女史について訊いてみたが、サッパリ知らない、わからないと云われてしまった。
単なる世間話だったんだろうか?
それとも、別の目的があったのか。
何にせよ今現在は、その話の手がかりがないのだし、実害もないから、放っておくしかない。
ただ単純にエルフ族が好きだったとか、そういう可能性もあるわけだし。
しかし、あのスカウトは俺にとっては、それなりの意味があった。
この世界にネットはない。
だから、ものを調べるのに苦労する。
そんな中で、国仕えの魔術師の給与・待遇を知ることが出来たのは幸運と云うべきだろう。
俺の職業選択の中には、当然、公務員もあった。
安定収入というのは十分な魅力だ。
冒険者なんて収入が不安定で命の危険もあるからな……。
まあ、公務員でも戦える人間は討伐任務なんかもあるし、一方で冒険者は場合によっては早々に一財産築ける場合もあるようだから、単純に優劣を論じても仕方がないのかも知れないが。
なんにせよ、トルディさんがもたらしてくれた最大の情報。それは、『時間』だ。
前世の俺は過労死をした。
今世の俺は、家族のために時間を使いたい。
つまり、激務で残業や休日出勤が当たり前の職場など、ハナから論外なのだ。
彼女だけが忙しいのかと云えば、それもどうやら違うそうだ。
ちょっと水を向けてみたら、同僚や先輩も同様に苦労をしていると白状した。
じゃあもう、俺の中で宮仕えは『無い』と云うことになる。
少なくとも労働環境が改善されたと云う情報が入ってこない限り、国からのスカウトはお断りだ。
しがらみと云うものはいつのまにかに発生して、そしてそのままズルズルいくものだと云うのを、前世の経験で俺は知っている。
隙を見せずに、国に引っ張られないようにしないとな……。
一方できちんと余暇を取れる仕事を明確に定めておかねばならない。
一応、やりたいことはあるのだが。
しかし、人間には将来の展望・長期的計画の他に、目先の問題もあるわけで……。
「…………」
今、俺の目の前で板敷きの床に寝っ転がっているのは、愛する妹様である。
カーペットと云うのは贅沢品なので、当然の話ながら、西の離れには、存在しなかった。
表現が過去形なのは、俺が購入したからだ。
家族の寝室には『発明品』から得た収入で手に入れた絨毯が敷かれている。
ささやかながら、クッションも用意した。
なにせ今までは放置の一路。
座布団はひとつだけあったが、せんべい布団もかくやと云わんばかりの低品質だった。
うちの母さんも「おしりが痛いわー」などと何度も云っていたくらい。
まだ俺が産まれる前。
母さんが西の離れに入ると決まった時、『唯一の正夫人』アウフスタ氏は、離れの大掃除を命じた。
それは、めぼしい家財を本館に運ぶと云う、単純にして明快ないやがらせ。
屋敷中のカーペットまで持っていくという徹底ぶりだ。
幸い、寝具だけは柔らかかったので、母さんは大半をベッドの上で過ごしていたそうだ。
父さんとはほぼ会うことが出来ないので、ずっとひとりぼっちで。
うちの母さんは寂しがり屋なので、きっとツラかったろうけれど、当時の愚痴や弱音を俺に聞かせたことがない。
その辺は母さんの持つ強さと優しさなのだろう。
だから、俺やフィーやエイベルに構いたがる気持ちがよくわかる。
きっと今は、ひとりだった時よりも、ずっと幸せなのだと。
そう思うことにしている。
――で、妹様だ。
マイエンジェルは現在、カーペットの無い床の上に寝転がっている。
今は十二月なので冷たいだろうに、背を向けて横臥している。
これは、ふて寝だ。
ただし完全無欠のふて寝なのではなく、俺に対する一種の抗議行動なのだ。
では、何があったのか?
答えは『じぇらし~』。
俺の感情が他所に向いたことが引き起こしたことなのである。
相手は、イーちゃん。
ヘンリエッテさんの獣魔たる、水色の霊鳥だ。
その存在が露見した。
まあ、文通はほぼ毎日やっていて、フィーは日々の殆どずっとを俺にくっついて過ごしているのだから、バレない方が不思議だ。
イーちゃんのことを大切なマイシスターに黙っていたのは心苦しいが、ペット関連はフィーが嫌がるので、ついつい秘していたのだった。
つまりこれは問題先送りのツケだ。
妹様は、それで拗ねてしまわれた。
「にーた、ふぃーにだまって、とりといちゃいちゃしてた! ふぃーというものがありながら、おんなのこといちゃいちゃしてた!」
まあ、イーちゃんは確かに雌だが……。
あと、イチャイチャと云うのも、ちょっと違う。
イーちゃんは猫のように気まぐれで、可愛がられるのは好きだが、自分からは、そうそう心は許さないところがある。
俺の場合がまさにこれで、俺がイーちゃんを撫でていたのは、仲良くなるためのご機嫌取りなのだ。
何せ、未だにあまり云うことをきいてくれないからな。
(てか、イーちゃんの性別わかるのか、妹様……)
鳥の男女なんて、普通、わからんと思うのだが。
ともあれ、俺に背を向けているフィーからは、こちらの様子を窺う気配がぷんぷんと漂ってくる。
まあ、これ見よがしに「ふぃー、ねる!」とか云って目の前で寝転んだんだからな。
本当に寝るなら、寝室のベッドに行くだろう。
わざわざ俺の目の前でゴロンとするはずがない。
それに。
(拗ねるくらいなら、可愛いものだ。激怒やマジ泣きされるよりも、ずっと……)
フィーが本気で嫉妬して大泣きすると、俺でも収拾が付かなくなるからな。
なんにせよ、機嫌を直して貰わねばならないことに、かわりはないが。
「ほーら、フィー。……フィーちゃーん」
声を掛けてみると、ピクッと身体が動いた。
一瞬、振り向きそうになったが、我慢したようだ。
「…………」
フィーは沈黙を貫いている。
寝ているつもりなのか、まだ怒っているというアピールなのか。
どちらであっても機嫌を損ねる原因を作ったのは俺なので、呼びかけは続けねばならないが。
「そんなところで寝てると、風邪を引いちゃうぞ~? ベッドまで運ぶからな?」
「ふぃー、ねてるの! だっこされると、おきちゃうの!」
うん。
寝てたら、そんな返事は出来ないよなァ……。
「困ったな~? フィーをだっこしたいんだけど、起きちゃうなら、無理か~……」
「……っ! だっこくらいなら、ふぃー、おきない!」
そうか。起きないなら、問題ないな。
俺は遠慮なくマイエンジェルを抱きかかえる。
「ふへ……ッ!」
抱えた瞬間、妹様から声が漏れたが、すぐに、ぷいと横を向いた。
まだ怒っているらしい。
(ありゃりゃ。すっかり身体が冷たくなっちゃって。しっかりと温めておこう)
よいしょよいしょと撫でてあげると、マイシスターの口元が、もの凄くゆるんでいく。
よしよし、これならば、案外早く機嫌が直りそうだぞ。
「どうしたらフィーは機嫌を直してくれるのかなー? お兄ちゃん、それを知りたいなー?」
「まず、ふぃーのめをさまさないと、どうにもならない!」
「じゃあ、どうしたら、目をさましてくれるのかなー?」
「……きす。にーたが、きすしてくれるなら、ふぃー、めをさますかも!」
そっかー……。キスかー。
まあ、眠り姫の目をさますのはキスだよねー……。
俺は王子様じゃないけどねー……。
「お兄ちゃん、フィーとしっかりお話ししたいから、これで目をさまして欲しいなァ。……ちゅっ」
やわらかほっぺにキスをすると、待ってましたとばかりに両目を見開く妹様。
笑顔になるのをこらえている様子で、気むずかしそうな表情で俺に告げた。
「ふぃー、いま、めをさました」
「それは良かったよ。おはよう、フィー。ところで、俺を許してくれるのかなー?」
「ふぃー、きすしてもらわないと、ずっとこのまま!」
あ、キスすれば許してくれるのね。
思いの外、怒りのゲージは低かったようだ。
たぶんだけど、イーちゃんが俺にそんなに懐いているわけではないと云うのが、その理由だろう。
ある意味で『両思い』の果下馬とは、だいぶ違うもんな。
フィーとしては、俺に余分に構って貰えれば、それで良かったと。
まあ、最初から拗ねたフリに近かったしな。
もちろん、それでもちゃんと機嫌は取るけど。
「ほら、フィー。ちゅっ」
「ふへへへへへぇ……っ! ふぃー、ふぃー、にーたにきすしてもらった! ふぃーだけの、とっけん! ふぃー、にーたすきッ! ふぃーも! ふぃーもにーたに、きすしてあげる! ちゅっ!」
「羨ましいですね~……。羨ましいですね~……。私もしたいし、されたいですねー。幼い美少年の唇は、全女性の憧れですよー?」
フィーとイチャイチャしていると、ちょうどそのタイミングで、駄メイドが部屋に入ってくる。
そんな目で見ても無駄だからな?
しない、させない、近づかせないが俺の中でのミアの三原則だから。
あと、ショタ好きを一般論に拡大するのはやめなさい。
「まあ、アルトきゅん攻略作戦は来年から本気出すとしまして、お客様が来ているんですよー」
「お客? 俺に?」
誰だろう? まさか、またトルディさんではあるまいな?
首を傾げていると、ミアはこう告げた。
「ショルシーナ商会のエルフさんみたいですよー? このお屋敷を訪れたことの無い方のようですがー」
「えぇっ?」
じゃあ、誰が何しに来たと云うのだろう?
名前は当然、確認しているだろうから、ミアに訊いてみた。
「はい。ミィス様と名乗られました」
全く知らん名前だ。
尤も商会職員なら、見かけたことくらいはあるかもしれないが。
俺は訝りながら、客間へと向かった。




