第百二十四話 トルディ・ノート(その十)
「ふ~ん……。エルフの高祖ねぇ。成程、成程」
デボラは意味ありげな表情で、煙を吐き出します。
「一本くらい」とか云っていたのに、吸いっぱなしです。
私は彼女に、きちんと事情を話しました。
この子に数少ない長所があるとするならば、それは口が堅いことでしょう。
他人の秘密を口外することを良しとしない人格なのです。
しかし、デボラのこの表情は何でしょうか?
今までに彼女がエルフに興味があったと云う話は、聞いたことがありませんが。
私がその疑問を口にするよりも早く、聖職者が口を開きました。
「しかしトルディ。よく見ず知らずのエルフを信頼する気になったわね」
「信頼と云いますか……」
困っている子供を助けたような感覚なんですよね。
トロネさんがもっと成熟した雰囲気を醸し出していたら、きっともっと別の関係性が生まれていたと思います。
う~ん……。
これって私が彼女を子供扱いしているって事なんでしょうかね?
年上なのに、礼を欠いているかもしれませんね。
ただ、トロネさんには、こう、何か見守ってあげたくなるオーラがあるのも事実です。
初めてお使いに出ていく幼子のような――って、やっぱり子供扱いですね。
「ま。あんたがそれで良いなら、あたしが口を出すことでもないけどね。それにエルフなら、あたしも少し知りたいことがあるし」
そう。
それですよ。
何でデボラは、急にエルフに関心が出たのでしょうか。
彼女はタバコをもみ消すと、手洗い、浄化を済ませて、アロリナを撫でます。
色々とちゃらんぽらんな人格ですが、愛娘を撫でる時だけは表情が優しいですね。
「トルディ、あんた、加護って知っているでしょ?」
加護?
もちろん知っていますが、なんだか唐突ですね。
「貴方の云う加護と云うのは、精霊が他者に与えることがあると云う、アレですよね?」
デボラは頷きます。
精霊の加護と云うのは効果が破格です。特定の属性に対し、ほぼ無敵になったり、天候や環境に左右されにくくなるなどの恩恵が与えられます。
しかし、基本的に精霊が人間に加護を授けることは、まずありません。
精霊と心を通じあわせることの出来る人間それ自体が稀と云うのもありますが、そもそも精霊に出会うことがありませんからね。
文字通り、住む世界が違うのです。
「デボラは精霊の加護が欲しいのですか?」
この性格では難しいだろうなと私は考えます。
いえ、口には出しませんが。
「加護を授かるなら、あたしは至聖神様以外は考えてないわよ。これでも聖職者なんでね」
デボラは一応、神に仕える身ですからね。
教団そのものは大嫌いなようですが、信仰心は本物のようです。
「なら、アロリナに加護を与えたいのですか?」
「それはこの子次第でしょ。押しつけるつもりなんてないわよ。どの神を信仰するのも自由。精霊と親交を結ぶのも自在。アロリナの未来はアロリナが決めるべきであって、あたしが強制するのは、ルール違反」
成程。
じゃあやっぱり、教会がアロリナを利用しようとしているのは、デボラの中ではルール違反なんですね。
「それで。どうして突然、加護の話が出るのですか?」
「……エフモントって知ってる?」
「はあ……? エフモントさん、ですか」
また唐突に話が飛びましたね。
しかし、エフモントとは、どこのどなた様でしょうか?
私の知人に、そのような名前の人物はおりません。
知識の上でなら、そう云う名前の伝説的人物がいることは知っています。
エフモント翁。
特定の主を持たぬ魔術師で、精度の高い予言の能力を有します。定住することもなく、各地を気ままに放浪しているという話ではありますが……。
「そう。その、エフモント。予言者の爺さん」
「デボラ、貴方、もしかして、エフモント翁と知り合いなのですか!?」
「呑み仲間。たまたま酒場で出会って意気投合した。単なるうわばみの爺さんだと思ってたら、有名人だっただけなんだけどね」
これだから酒飲みは……!
その場の雰囲気でほいほい仲良くなってしまうのですから。
「いやいや。交流の機会は大事ってことでしょ。酒は偉大! エフ爺もそう云ってたし」
「エフ爺って……」
エフモント翁は王族クラスに頼まれても、おいそれとは予言をしないと云われています。
そもそも、宮廷に招くことすら難しいとも。
しかしデボラが飲み歩いた先でそんな知己を作っていたとは驚きです。
「んで、酔っぱらったエフ爺にアロリナのことを見て貰ったのよ」
「赤ちゃんを飲み屋に連れて行ったのですか!? 冗談が過ぎますよ!」
「違う違う。真っ昼間から呑んでて、エフ爺、宿を取り忘れてたって云うから、あたしん家に連れてきただけ」
「不用心ですよ、デボラ! もっと自分とアロリナを大事にして下さいッ!」
「かったいなァ……。大丈夫だって。エフ爺、スケベだけど節度はあったから」
節度のあるスケベって何ですか!
もう、やっぱりこの子はメチャクチャです!
「どうどう。トルディ、落ち着きなさいな。話が進まない」
「誰のせいですか!」
思わず頭に血が上ってしまいました。
しかし落ち着いて考えてみると、凄いことですね。
まさかあの予言者と知り合いになっただけでなく、見て貰っていたなんて。
「それで……。エフモント翁は、アロリナに何を見たのですか?」
「だから、加護だってば」
「加護?」
そう云えば、加護がどうこう話をしていたはずでした。
何でこんなに脱線しているのでしょうかね?
いえ、そもそも、トロネさんのためにエルフの高祖を探していると打ち明けはずなのに、酒飲みの話題になっていることがおかしいのですが。
「エフ爺が云うにはね、アロリナは将来、エルフの加護を持った人物に護って貰えるって」
「はい?」
待って下さい。意味が分かりません。
精霊が加護を与えると云う話なら分かるのですが、エルフが人に加護を与えると云うのですか?
ありえません。
エルフは確かに精霊に近い存在ではありますが、加護を与えただの貰っただのと云う話は、聞いたことがありません。
「あたしもエルフの加護なんて聞いたことがないけどね。でも、エフ爺が嘘を吐くとも思えないし――べろべろに酔っぱらってたけど――。それに、世の中、何にでも例外はある。この子が突出した成長力を持つように、加護を付与できる特殊なエルフがいても、不思議はない」
「それはそうですが……」
にわかには信じがたい話です。
ただ、一方でどうしてデボラが急にエルフに興味を持ったのかはわかりました。
この子はこれでも親バカです。
アロリナの事が大好きなのです。
そして、アロリナはその力故に、教会に利用される可能性大です。
そのアロリナを守護してくれる人物が現れるのであれば、その情報はどうしても欲しいはずです。
「エルフの高祖が本当に存在するなら、加護を与えることの出来る特殊個体の存在を知っているかもしれない。だから、あたしも探すのに協力してあげる」
「助かります」
「うん。貸し一ね」
「何でですか!」
デボラがエルフを探すのは、自分の為じゃないですか! これ見よがしに私に恩を売るというのは、図々しいにも程があります。
「良いのかな~? そんなことを云って。あたしはこれでも、顔が広いのよ?」
「う……」
確かにエフモント翁とも既知だったデボラです。
この口ぶりだと、その交友範囲に何かがあるのでしょう。
「……わかりました。借りておきます」
「よーし、よしよし。天下の国家魔術師様の首根っこを掴んだぞぉ。どんな無茶を云ってやろうかなぁ」
「待って下さい! 借りが出来ただけで、無茶を聞くなんて一言も云っていませんよ!?」
「あたしに借りるってのは、そういうことだ。あきらめな」
「~~~~っ!」
ここへ来たのは、失敗だったのでしょうか?
とんだ悪徳僧侶もいたものです。
「それで、一体、貴方には、どんな知り合いがいるというのですか?」
しぶしぶ借りを受け入れます。
ここまで来たら、ちゃんとした手がかりを貰えないと納得しませんよ!
デボラは再びタバコに火を灯して笑います。
「ショルシーナ商会のハイエルフ。それが、あたしの呑み仲間のひとりさ」
またお酒ですか! これだから酒飲みは!




