第百二十三話 トルディ・ノート(その九)
魔力。
魔力の量と云うものは、説明するまでもなく重要です。
無ければ魔術が使えませんし、少なければ、魔術師にはなれません。
日常生活においても戦闘においても、魔術抜きという状態は考えられないことでしょう。
「お金と魔力は多ければ多い程、良い」
などと云う格言らしきものすら、あるくらいですからね。
しかし――です。
『多い』ことが仇となる場合もあったりします。
それは、産まれる前。
お母さんのお腹の中にいる時から巨大な魔力を持つものは、その力の大きさによっては、母子共に命を落としてしまうことがあるのです。
胎児のうちから莫大な量の魔力を備えるということそれ自体が稀ではありますが、そうやって命を落としていく方々がいるのも、また事実です。
しかし、何ものにも例外が存在します。
前述の『死んでしまう子供』。
その中にも、生き残りがいるそうです。
それは、我が国の第四王女殿下です。
何をどうやり、どうして生き延びたのかは知りませんが、殿下はこのケースにおける、唯一の生存者であるそうです。
故に、その魔力は強大。
人の身に余るような大魔術ですら、苦もなく使いこなすと云われています。
尤も、その話は秘されているので、知る人は少なく、噂に過ぎないと断じる人もおりますが。
我々魔術師の基礎魔力量を決定づける要因は、ふたつ。
生まれついてのそれと、その後の成長力です。
先天的に魔力が多いの少ないのと云うのは確かに重要ありますが、その後どれだけ伸びるかも、負けず劣らずに大切です。
成長力は皆が同じなのではなく、千差万別。
つまりは個人差が大きい分野であると云えるでしょう。
最初期の魔力量が多いと死んでしまい、産まれてくることが出来ないのですから、その後の伸びしろの方が、寧ろ重要なのかもしれません。
そして、この『成長』の方面でも、極々稀に凄まじい子供が誕生することがあります。
王女殿下が『生まれつき』の方面での例外であるならば、『その子』は、『成長型』方面の例外者であると云えるでしょう。
名を、アロリナ。
アロリナ・エスメイン・エル・ブラウエルス。
神聖歴一二〇四年の二月。
つまり、今年産まれたばかりの、女の子です。
※※※
「いや~。やあっと、モクが吸えるわぁ~~」
私の目の前に、とんでもないことを口走りながら本当にタバコを吸っているひとりの女性がいます。
場所は神聖にして不可侵であるべき、大聖堂の敷地内。
わざとらしく荘厳に仕上げられた中庭で、彼女は紫煙をくゆらせています。
「信じられませんね。赤ちゃんがいるところで、タバコを吸うなんて」
「へーきへーき。そっちには煙、届いてないでしょー? それにあたし、ずっと我慢してたんだし、一本くらいなら、いいでしょ」
んん~~っ、と伸びをしながら、彼女はそんなことを云います。
この非常識な女性の名前は、デボラ。
私の親友であり、今、私が抱き上げているこの赤ちゃん――アロリナの母親です。
その身は貴族の子女であり、立場は聖職者であると云うのに、ごらんの通り、いい加減で野放図。麁枝大葉で横着な性質をしています。
夫婦仲で悩む女性の信徒に相談された折には、旦那を殴り飛ばして従わせればいい、とアドバイスをして相談者をドン引きさせた不埒な僧侶なのです。
少なくとも、法衣姿で喫煙をしている人間を、私は他に知りません。
「汚職聖職者なんかいくらでもいるんだから、タバコを吸うくらい、可愛いもんよ」
彼女は神に仕える身ではありますが、教会も教会の上層部も、あまり好きではないようです。
当然のことながら、教会上層部からも嫌われているようで、マイナスな意味で両思いだと云えるでしょうか。
私に抱かれて眠る赤ちゃんは天使のように可愛らしいのに、母親がこれでは、将来が心配です。
「どよ? うちの娘、可愛いでしょ?」
「ええ、何度見ても。貴方に内面が似なければ、きっと素敵な女の子になるのでしょうね、デボラ」
「あたしに似れば、いい女確定。あたしに似なければ、あんた曰く、素敵な女の子確定。どっちに転んでも抜群の美少女になるってわけだ。勝ち組じゃない、アロリナは」
凄い自信ですね。羨ましいです。いえ、真似したくはありませんが。
アロリナの外見は母親似のようです。
デボラは中身は兎も角、外側だけは抜群に恵まれています。
清楚・清純系の見た目で、内面が『これ』なのです。
荒っぽい女冒険者。もしくは海千山千の女海賊のような中身なのが、とても残念です。
この子は母親に似ることなく、良い子に育って欲しいものです。
(しかし、凄いですね……)
触れてみてわかる、アロリナの魔力の強さ。
普通の子に生まれたはずなのに、もう魔術師級の魔力を感じさせます。
あり得ないレベルの成長速度です。
もしもこのまま伸びていくのならば、人の領域すら越えてしまうかもしれません。
「デボラ、この子、大丈夫ですか?」
「何に対しての懸念よ? 母親はパーフェクトだから、家庭環境は問題ないわよ?」
「……これだけの魔力持ちです。教会に利用されるのでは?」
「そりゃ、されるでしょうよ。あんたが云ってるのはね、トルディ。日が昇れば暖かいとか、そういうレベルの当たり前よ?」
デボラは空中に水球を発生させると手を洗い、風の魔術で乾かして、それから自分に浄化を掛けました。
浄化の魔術は難易度が高いはずなのですが、この子は簡単に使いこなします。
色々といい加減な人物ですが、娘を撫でる前に身綺麗にする点だけは褒められるべきでしょう。
「上層部のブタ共、最初はあたしの子なんて見向きもしなかったのに、アロリナの成長力を知った途端、悪だくみを始めたからね。場合によっては、聖女認定もあり得る、なんてさ」
「聖女! 『あの』聖女ですか!」
「そう。あの聖女。バカでしょー?」
デボラは冷笑しながら、優しく娘を撫でます。表情と口調と手つきの感情がバラバラでちぐはぐです。変なところで器用ですね。
『聖女』と云うのは、ひとつこの教会のみならず、他の宗教をも含む、重要な称号なのです。
何故なら、その『証』は神からの授かり物だからです。
聖女の証とはすなわち、『紋章』であるに他なりません。
『聖女の紋章』を持つことが、前提にして最重要の条件なのです。
「……アロリナには、紋章はありませんよね?」
「あったら産まれた瞬間から騒がれてるわよ」
当然ですね。
聖女の紋章は神聖歴には、まだ一度も顕れていません。
そんな紋章が世に出てくれば、国を巻き込んでの大事となります。
逆に云えば、『証』もなしに「この子は聖女だ」と云い張れば、それはインチキと看做され、教会は自分で自分の首を絞めることになるはずなのですが……。
「その辺、含めての悪だくみみたいね。ホント、アホだわ」
「他人事じゃないですよ、デボラ! 万が一にも上層部に『この子が聖女だ』なんて喧伝されてしまえば、アロリナにだって被害が行きますよ!?」
「落ち着きなさいな、トルディ。聖女認定はこの子の成長次第。適当なところで止まるなら、流石にそこまでの大言壮語はしないわよ」
「ですが、現時点でも、既に利用価値が生じているわけですよね?」
「その通り。だから、この子は安全」
「あ……」
そういう側面もあるのですか。
安全だとか利用だとか、貴族のそれと同じようなドロドロですね。
大人の都合に子供が巻き込まれるのは許せません。そういうのは、大嫌いです。
私が憮然として黙り込むと、デボラは苦笑しました。
「別に、あんたの子供じゃないでしょうに」
と、呟かれてしまいました。
こういう怒りは、誰の子であれ、関係ないと思うのですが。
「まあねー。でもねトルディ、長生きしないわよ? そういう生き方だと」
「それが聖職者の云う言葉ですか!」
「これ以上ないくらい、聖職者の言葉でしょ? 平穏に生きていける道を説いてあげてるんだからさァ」
くつくつと笑いながら、デボラはタバコに火を付けました。
不思議と機嫌は良くなったようです。
口ではあんなことを云いながらも、この子の性分では娘が利用されることを良しとしないはずですからね。
さっきまでは、微妙に腹を立てていた気がするのですが。
「んで、公僕様が、一体全体、このあたしに何の用よ? お忙しい身の上なんだから、ただ会いに来たんじゃァ、ないんでしょ?」
「アロリナが可愛いから会いに来ただけですよ。貴方は単なるオマケです」
私の言葉を鼻で笑うと、デボラは消音の魔術を使用しました。
この中庭自体、人寂しい場所なのですが、それでも気を遣ってくれるのが、この汚れた聖職者の美点でしょう。
「ま、それでも良いけど? んじゃ、そのオマケ様が、親友の話を聞いてあげましょうかね」




